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恋でないなら 不遇な身の上 03 


 ここ二日の間に季節が一挙に移ろいだ。
 羽織を着ていれば快適に過ごせた早瀬の地とは違い綿入羽織でも寒さを感じる。
 このような調子で厳しい冬を越せるのか。
 憂鬱さを押さえきれず肩が落ちるが、吹いてくる風が頬を撫であげると身震いが走り今度は肩が竦む。上下させる様が滑稽に感じられた。
 早く目的を遂げてしまおう。
 ういが遊び場と好む釣殿までは二つの道がある。これまでは大周りになるが人通りの少ない厩舎から泉殿を周る道を選んでいたが、近道の北の対を横切り正殿を抜ける道を進む。
 北の対は正室の住屋であり屋敷の中枢ともいえ人の出入りも多い。誰かに見つかると面倒だと気配をさせぬよう息を潜め、懐の菓子が歩くとシャンシャンと鳴るのを押さえるために腹に手を置き、早足に通りすぎようとしたが。
「どうしてういに甘いの! 早瀬からの贈り物は"厄介者"を押し付けた侘びでしょう。それを同じ厄介者のういにも分けるなんておかしいわよ。ここにおいてやってるだけで十分じゃない。それをお父様もお兄様も『ういも正式な崎宮の血を引く者だ。権利がある』なんておっしゃるのですもの呆れちゃうわ」
 憤る声が響いた。崎宮の長女・舞の嘲るような物言い。それを後押しするのは次女のべに香だ。
「お姉さまのおっしゃる通りだわ。お母様がお優しいのをいいことに、お母様を苦しめた女の娘を庇う発言をするなんてあんまりよ」
 奥方と娘たちが先程届いた早瀬からの贈り物を巡って話をしているらしい。
 "厄介者"という言葉に玖柳の体は熱くなる。崎宮で己がどのように思われているかは承知していたが、言葉にされると体を串刺しにされたような痛みが貫いた。
 玖柳が屋敷の傍にいることを知らぬ女たちの話は続く。
「きっとういが取り入ったのよ。男をたらしこむのは母親譲りなのね。末恐ろしい子。だけど、それに騙されるお父様もお兄様も愚かだわ」
「そうよ、そうよ」
 娘二人が言い合えば
「二人とも優しい心の持ち主ですね。母はそなたたちがいてくれて頼もしく思いますよ。殿方と言うのは愚かな生き物ですから、我らがしっかりせねばなりせん」
 窘めるどころか満足気な声で述べる。この母にしてこの娘ありなのだな、と玖柳は思った。
 それにしても奇妙なのは新木だ。崎宮当主は実の娘だからわからぬこともないが、”あの"新木もういを可愛がっていると認識されているのか。一月前の椿の一件を思い出してみても、そのような様子は僅かも見受けられなかった。一体どういうことなのか。
 奥方たちの方か、それとも玖柳の方か、どちらかに誤解があるのだろう。
 ともかく、聞いていても不愉快さが増すばかりであると先を急いだ。

*

 釣殿についても目当ての人物はいなかった。
 時間が決まっているわけではないが、普段ならば橋の上で鯉を眺めているはず。今まで居ないことはなかったのに今日に限って姿が見えない。
 玖柳は橋の中央まで進み出て、ういがそうするようにしゃがみ込み池を覗く。
 楽しみにしていた早瀬からの使いには辛い現実を突き付けられて、偶然といえ"厄介者"と明言された場に立ち会い、このまま消えてしまいたい心持ちに落ちた。それでも冷遇されている姫君を喜ばせてやろうと来たが、肝心のういは見当たらない。ついていない一日だ。
 池に映る男の顔は沈鬱としていて、このような面をしていれば幸せなど逃げていくと思えど、表情が変わることはない。見ていると余計に面白くなくなると視線を動かそうとしたが、ミナモが出来て映り込む姿が消えた。代わりに黒と黄金色のまだら模様が美しい錦鯉が現れ、口をパクパク動かしている。エサをもらえると思っているのか。
 玖柳は懐に入れていた干菓子の包み紙を取り出す。
 袋を開け、二、三粒を取り出して池に投げ入れると鯉は見事に食らう。それを知ったのか他の鯉も集まり出す。パクパクとこちらに一斉に口を開く。玖柳は袋に手をいれもう一度干菓子を投げ入れる。
 ういのためにと持って来た高級菓子を池の鯉に投げ入れるなど戯れもいいところ、酔狂と言える。しかし、哀れな姫君と思っていたのは勘違いでそれなりに可愛がられているらしいと――あの話にいかほど信憑性があるかは定かではないが――知った。疎まれる姿に己の境遇を重ね、可愛がってやろうという気持ちも芽生えたがそれは思い上がりで、自分が目をかけてやる必要はないのだと。それならば、いくらも懐かぬ姫よりも、たとえ池の鯉であれ熱心に求めてくる方にやったほうがいいという気になる。何より、邪魔者、不要者とされた自分に群がってくる鯉の姿に慰められる。
 投げ終える前に来れば残りを渡してやればよいか。姫に運があれば間に合うし、なければそれまで。
 そうしてどんどん池に菓子を投げ入れ続けた。

*

――来なかったか。
 最後の一粒になり、日の光に当てるように掲げてみる。冬の日差しは思いのほか強く刺しキラキラと光る。
 玖柳はそれを己の口に入れ、しゃがんだ姿勢から立ち上がる。さすれば鯉たちも"終わり"を察したのか散り散りに泳ぎ去っていく。
 玖柳は大きな息を吐き出す。
 体の芯から冷えている。早く住屋に引きあげて火鉢にでも当たりたいが、近道をしてまた嫌な話を聞くのは敵わないと帰りは遠回りをすることに決めて泉殿を目指して歩きだす。
 橋を渡り終えたところで、ぽちゃんと水音がした。
 驚いて振り返ると最初に近づいてきた黒と黄金色のまだら模様の鯉が大きく跳ねた。礼のつもりかと考えて、ふっと笑いがもれた。そして、踵を返そうとしたが、池の向こうから駆けてくる小さな姿が目に飛び込んでくる。
 今日はもう来ないものと思っていたがういだ。しかし時は遅すぎた。菓子は全て池の鯉にやった。玖柳がここにいてもまた怯えて萎縮するだけと挨拶もせず戻ることにした。
 少し進むと異変を感じる。
 奇妙に思い振り返ると、ういがすぐ近くまで来ていた。
 目が合うと、いつものように深々と丁寧なお辞儀をしてくれる。玖柳はそれに会釈を返す。ういはそれからじっと玖柳を見つめる。何か言いたげなようにも見えるが何も言わない。不思議に思い、しばし待って見るが無言のままなので、玖柳はもう一度会釈をしてから歩みを進めることにしたが。数歩進むと――やはり後ろが気になり振り返る。
 ういは先程よりも距離をつめてきている。こちらの方向に用事があるのかとも思ったが、玖柳が止まれば同じように止まる。ついてきていると考えるのが自然な気もして、
「何かご用ですか?」
 声をかけるとゆっくりとだが頷いた。
 玖柳は半身だけ振り返った姿勢を改めて、ういの正面を向いた。
「何でしょうか?」
 ういはいくばくか躊躇ったが更に距離を詰めてくる。四つか五つぐらいだろうが、この年頃の子にしては随分と小さい。傍に寄って見上げてくる格好は首が痛そうだった。
 玖柳は膝を折ってかがんでやった。
 ういは玖柳の動作に合わせて目線を下げていくが、その間も玖柳の双眸を捕らえている。黒目がちの瞳が真っすぐに射抜いてくる。普段の玖柳であれば照れくさくて逸らしてしまうものだが、しかし今は照れくささはあるものの不思議とやめようとは思わず、ういの視線を真っ向から受け止め続けた。
「くりゅうどの。」
 ふいに名を呼ばれる。初めて真正面からういの声を聞く。玖柳の胸はトクリと音をたてたが。
「……姫君は私の名前を知っておられるのですか」
 ういはまたゆっくりと頷く。
「知っておられるのです。父上さまが、前にそうお呼びになってました。」
 ういの言葉遣いは丁寧で品がよかったが、自分のことも丁寧に言ってしまうようで、しかし、それが妙に愛らしく映り玖柳は微笑んだ。
「くりゅうどの。」
 ういは最初から仕切り直しとばかりに、もう一度玖柳の名を呼ぶ。
「はい。何でございましょうか」
 尋ねると、ういは懐に手を入れて包みを取り出し、ぐいっと前に出してくる。
 玖柳はひとまず受け取ってはみたが、
「これは?」
「父上さまがくださいました。とても美しい菓子でしたのでお礼にさしあげます。」
「お礼とは?」
「お花のお礼です。椿の花を手折ってくださいました。よくしていだだいたらお礼をせねばなりません。遅くなりました。」
 それはもう一月前の話である。覚えていて、お礼をせねばとずっと考えていたのかと玖柳は感心した。
 ういは目的を達成して満足したらしく、また深々とお辞儀をすると「それでは。」と玖柳が声をかける間もなく小走りに去って行った。渡された包みの中には、玖柳が池の鯉にやってしまったのと同じ干菓子が入っていた。



2012/1/9

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