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恋でないなら 不遇な身の上 05 


 火鉢が鳴る。
 パチパチと心地よく弾ける音を聞きながら玖柳の心も弾む。
 玖柳の住屋は渡殿が取り払われ独立した屋敷になっている。玄関口があり、座敷、次の間、居間と続く。一人で暮らすには十分な広さだ。
 屋敷にいるときは主に居間で過ごすのだが、座敷の火鉢をつけて室内を暖めている。
 座卓の上には色鮮やかな千代紙と菓子が並ぶ――全てはういのためである。
 ういの風邪は幸いにも悪い病ではなく翌日には熱も下がり切り、翌々日には外に出られるまでに回復した。
 その二日の間、玖柳は言葉通りに傍に寄り添いういが目を覚ますと一言、二言、声をかけてやった。すると不安げな表情が安堵に変わり、気が緩まったせいでぽろりぽろりと涙を流した。甘えさせてくれる者も、頼れる者もなく、それを嘆くことも、文句を言うことも出来ず、じっと耐えていた幼心を溶かしているように泣き続けた。そうしながら次第に元気を取り戻して行くと玖柳に心を許すようになってきた。朗らかな表情で話しかけてくる様は太陽にも負けぬほどまばゆい。本来はかように輝かしい姫であったかと、それまで懐かずにいただけに可愛さはひとしおというもの。玖柳は屈託のない笑みがもう消えることがないように己に出来ることは惜しみなくしてやろうと――それが崎宮の地に来た意味。巡り合わせというものかもしれぬと考えるようになった。
 部屋が暖まり準備万端と待ちかまえていると、
「くりゅうどの。遊びに参りました。」
 元気のよい声が聞こえてくる。
 玖柳はすかさず玄関口へ向かう。もう幾度も訪れてくるようになったが、それでもういは玖柳が開けるまでは大人しく待っている。躾のせいか、はたまた性分か、慣れてきても遠慮深さは変わらず、けして勝手に入ってくるような真似はしない。今日も同じである。
 板戸を開けると、駆けてきたのであろう、頬を真っ赤にして白い息を吐きだすういが見上げてくる。
「ようこそお越しくださいました。寒かったでしょう。さぁ、さぁ、中にお入りください」
 ういは深々とお辞儀をし「お邪魔いたします。」と述べて入ってくる。
 玄関口で履物を揃えて脱ぎ上がる。
 玖柳は先に立って座敷に案内する。火鉢の前で振り返りここへと促すと従う。
 ういは小柄であるため、ちょこんと正座してしまうと火鉢の背より低くなる。それでは火にあたれまいと玖柳はういを膝の上に抱き上げる。以前ならば驚いたり身を固くする。否、それなら良い方で触れられる前に避けたりもしていたが、今は抵抗することなくすんなりと乗る。玖柳はういの手をとって火鉢の上にかざす。幼子は体温が高いものだが寒さで冷え切りかじかんでいる。早く温まるようにと揉んでやると、
「指の先がじんじんとしております。」
 感覚を取り戻し始めたのだろう。ういは掌を握ったり開いたりしはじめたので、玖柳は手を離し今度はういの頬に手を置いた。さすればそれはくすぐったいらしく身をよじりながら声を立てて笑った。
「さて、姫君。今日は何をいたしましょうか。御伽草子の続きをお読みしましょうか。それとも千代紙を折りましょうか」
 尋ねれば、ういはしばらく迷った後で、
「千代紙がよろしいです。」
 と答えたので、玖柳はういを抱いたまま座卓の前まで移動した。
 どれで折りましょうか。と色合いの違う千代紙を扇のようにして目の前に広げてやると、ういは人差し指を出して一枚一枚指差していく。そうして中頃にあった橙と赤の混ざった紙を選び「これがよろしいです。」と言うので、「では、これにいたしましょう」と取りだして座卓に載せた。
 菱形の向きに紙を置き角と角を合わせ三角の形を作る。
「姫君。ここに折り目をつけてください」
 玖柳の申し出に小さな手が折り目をつけはじめる。そのようにして二人で一枚の千代紙を折っていくが、細やかな作業になってくると、自分が手を出せば邪魔になると察してういは座卓に出していた手を膝の上に降ろす。何もすることがなくなれば退屈になりそわそわしそうなものであるが、ういは微動だにしない。後ろから抱えているので玖柳から表情は見えないが、その視線が紙を折る指先へ注がれているのがわかる。かほどに熱心にされてはこそばゆくあり、失敗出来ぬと緊張もしたが、
「出来あがりました」
「……これは初めての形でございます。」
 完成したものを小さな手に乗せてやるとういは両手で受けて呟いた。
 玖柳もういの年頃には千代紙遊びをしたが、大きくなるとこれは女子の遊びであると離れた。それ故に折り方を覚えているものは少なく、風船とあやめと奴ぐらいであった。ういは十分喜んではいたが、他に何かあったはずとこの数日、記憶を呼び覚ますように座卓に向かいあれこれと試し折りをしてようやく思い出した一つである。
「鶴です」
「つる? つるとは何でございますか?」
「鶴とは空を飛ぶ鳥のひとつです。ここが顔でこちらが尾、そしてこれが羽になります」
 ういの手にある折り鶴の羽をバサバサと動かしてやれば「大きな羽でございます。」と感嘆の声をあげた。その様子がなんとも面白くもっと驚かせてやろうと、
「折り鶴には不思議な力がございまして、祈りを込めて千羽折り、それを思い人に渡すと、贈られた者の願いが一つ叶うと言われているのですよ」
 つけ足せば膝に乗る身がくるりと振り返り玖柳の顔を見上げてくる。大きな目を輝かせて、
「願いが叶うのでございますか?」
「左様でございます」
「左様でございますか。」
 そう言うとういは身を元に戻し「それはすごいことでございます。」としみじみと呟いて折り鶴にそっと触れた。
 しばしそうして撫でていたが、ふと何かを思いついたらしくするりと滑り玖柳の膝上から降りる。近くに感じていた温もりが奪われて玖柳は悲しみともむなしさともつかぬ奇妙な空虚を感じ、
「姫君どうなされましたか」
 慌ててもう一度抱きかかえようとしたが、ういは折り鶴をひらひらとさせながら、
「くろにも見せてあげるのです。」
 それはそれは嬉しげな顔である。そして、玄関へ駆けていく。
 玖柳に懐くようになってからも相変わらずくろに一日の出来事を話す行為はやめていない。それどころか玖柳に遊んでもらった報告に忙しいらしく、これまでよりも釣殿にいる時間が増えたぐらいだ。新しい遊び相手、それも話しかければ応えてくれる者が出来てもくろを大切にする様子は律儀ともいえるが、
――まだくろが一番なのか。
 玖柳はむっとなる。鯉を相手に対抗心を燃やすなど愚かと思えど面白くない。
「姫君。そのように走らずともくろは逃げたりしません」
 後を追い玄関先で履物を履く背に声をかける。それは思いのほか厳しい口調となり、驚いたようにういは手をとめて体を半身捻り玖柳を見上げてくる。淀みのない眼差しを向けられると、玖柳の内には決まりの悪い気持ちが溢れる。
「なれど、とても美しいので、くろにも早く見せたいのでございます。」
 そう言うと玖柳から折り鶴へ視線を移す。
 ういの顔に僅かだが悲しみを感じた。
 純粋に喜び、その喜びを一の友であるくろにも分けてやりたいと、健気な気持ちをつまらぬ悋気で水を差してしまった。そうでなくともういは人の負の感情に敏感なのである。ようやく玖柳に心を開いてくれたのにこれでは元の黙阿弥になってしまう。
 玖柳はういの傍に近寄って声を荒げたことを詫び、
「あまり急いではこけてしまいます。怪我をすればくろも悲しみましょう」
 と年長者らしい台詞を述べた。とってつけたような言い訳ではあったが、ういは素直に自分への心配であると解釈したようで元気を取り戻し「こけぬように気をつけます。」と告げた。それから舞いでも舞うように軽やかな足取りで出ていく。玖柳はういの後姿を見つめた。

*

 何事もつつがなく進むというのはないもので、進展を見せ始めた玖柳とういの関係であったが、横槍を入れる者が現れた。
 年の暮れが迫り来た日のことである。
 これまで一度も玖柳の住屋を訪れたことがなかった新木がやってきた。珍しいこともあるものだと不思議に思いながら座敷に上げた。
 座敷はすっかりとうい専用の遊び部屋となっており千代紙や御伽草子の書などが置かれている。新木はそれらを一瞥した。冷やかな視線によくないものを感じたがそれは的中する。
「随分と手名付けたようですね」
 棘のある物言い。
「手名付けたとは人聞きの悪い」
 何故新木がかように辛辣な言葉を吐くのか。玖柳には理解できなかった。邪魔者扱いする幼い妹の面倒を見ているのだから、手間がかからなくなってよいと感謝されてもひどく罵られる覚えはないと眉を顰める。
「最初に申したはずです。ういのことに口出しするのは無用であると。関わらないでいただきたい」
 今度は真っ向から告げられる。
 その眼差しは強く怯みそうになるが。
「姫君には傍に寄り添ってくれる者が必要です。辛く当られるばかりでは心を病んでしまわれます」
「それ故にあなたが寄り添っていると申されるのですか」
 新木の声は抑揚がない。感情がないと言ってもよい。それ故に冷たく響き馬鹿にされているような気になり玖柳の方の感情は熱していく。
「そうであったとして、何か問題でもあるのでしょうか」
「余計な世話であると申しているのです。ういにはういの運命がございます。あなたとてこの先ずっとここにいるわけではないでしょう。時が来れば身の振りを決めねばならなくなる。そうなればういの面倒などみれなくなる。懐くだけ懐かせて捨て置くしかない。甘えることを覚えた身を放り出す方が酷だとは思いませんか」
 そこまで言って新木は一度言葉を切り玖柳の様子を窺う。その目はどことなくういに似ている気がした。半分は血の繋がった兄妹であるから似ていてもおかしくはないのだが。しかし宿る色合いは全く違う。
 新木の告げる内容は一理ある気もした。確かに玖柳は生涯ここにいるわけではない。いずれは早瀬に帰るか、そうでないにしても崎宮の家を出ていかねばならぬ日が来る。しかしそうであっても、
「ではあなたは目の前で寂しげにする子を捨て置くのが正しいとおっしゃるのですか。先々のことを考えて何もせずにいることが姫君のためであると本気でお考えなのですか」
「……あなたはどうも誤解されていらっしゃる。何も"私は"無闇にういに冷たく当っているわけではない。崎宮を継ぐということは、家の者の身の振り方の責任も負うということです。それ故に"あなたにはわからない"思いがある。考えがある。それを可哀相だから可愛がるという目先の思いだけで甘やかされては困ると申しているのです」
 ぴしゃりと言い切られる。
「私は目先の思いだけで動いているわけではない」
「では何で動いておられると?」
 しかし、聞き返されると答えられる言葉は持ち合わせてはいなかった。新木の言うように蔑ろにされるういに、自分を重ね合わせて可愛がってやりたいと思う気持ちから近寄ったのは事実である。
 黙り込む玖柳を置いて新木は静かに退座した。



2012/1/16

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