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恋でないなら 不遇な身の上 06 


 新しい年のはじまりは雪が降った。除夜の鐘が聞こえるとそれが合図なのか、闇夜を照らす灯りのごとく、ひとひら、ふたひらと舞い落ちてくる。雪片は水気の多いぼたん雪であったが、しんしんと夜を通し降り続けたせいか朝になっても消えてしまわず、木々の枝や塀垣の一部に積もった。
 目覚めて外に出た玖柳は耳鳴りに襲われる。凍てついた空気が突き刺し鼓膜に響いた。それから日に照らされた真白な世界に息を飲む。かような景色は目にしたことがない。凛として、見ていると冷えているはずの体が熱く発し胸が高鳴る。ただそれも、分かち合える相手がいなければつまらない。興奮は瞬く間に冷えた。"一人きり"という事実が染みこんでくると美しく輝く光景が、今度は物悲しく映った。
 早瀬にいた頃は、まだ薄暗いうちから参拝へ行き、戻ると御節料理が振舞われ、それから舞や歌詠みの会が開かれ賑やかにしたものだった。皆の明るい声がさらに楽しさを呼び込み、笑いのやまなかったことが懐かしく思い出される。しかし、今年はもうあの場に玖柳はいない。或いは正月ぐらい呼び戻されるかと期待したがそうはならず、新年を初めての地で迎えた。
 崎宮の家では昨年、側室の椿――ういの母親――が亡くなり喪に服している。祝いの色は一切なく日常と変わらない時間であり、玖柳も自分一人だけ"正月"と浮かれるわけにいくまいと倣っていたが。
 他家の若君がそうしているというのに、片や奥方と娘二人は側室のために何がしかをするなど不愉快であると、年の暮れから湯治へ出向いている。死人となってからも憎しみが消えないとは呆れるが、その振舞いを許す崎宮当主もいかがなものかと思われる。ただ、新年早々に揉め事は敵わない。嫌味を言われ責められるより機嫌よく送り出した方が良いと好きにさせた様子であった。
 目に余る振舞いがあるといえ、やはり女子というものは華やかで、いるだけで場を明るくするもの。奥方たちがいなくなった屋敷は尚更に閑散とする。男所帯となった崎宮の正月は実に侘しいものであった。――否、一人、まだ娘がいるが。末娘のういは当然に置いて行かれ屋敷にいる。
 一時期は玖柳の元へ遊びに通ってきたういであったが、近頃はまったく。
 原因は玖柳の態度にあった。
 新木に釘をさされて以降、なんとなく心持ちがくたびれてしまった。庇護したいとの思いをあのように否定されれば不愉快である。感謝されたくてしていた行為ではなかったが、自分の振舞いがくだらないものに思えてきて、さすればういへの思いも興ざめした。
 元より玖柳には好んでいるものに僅かでもケチがつくと嫌になってしまう気まぐれさがあった。そして、一度そうなってしまうと気持ちを取り戻すことが困難になる。その悪い癖がここでまた。可愛らしい姫君であると愛でていたのが一変。ようやく心を許してくれたと喜んでいたはずが、今度は懐かれると疎ましく、遊びに来ても快く思えなくなり、端々に素っ気なさがでる。
 敏いういは玖柳の変化を感じ取り、ただ心当たりがなく――実際にういは何もしておらず、新木とのやり取りの末の心変わりだ――わけもわからず余所余所しくなった玖柳に傷ついているようであったが。しかしながら、以前のように遊んでくれることを期待する気持ち半分と、冷たくされることを怯える気持ちが半分とで、しばらくは玖柳の機嫌を気にしながら遊びに来ていた。だがそれがまた癪に障ると。ういの遠慮がちな姿が媚びているように見え、腫れもに触るように接してこられると腹立たしく、嫌がられているとわかりながら縋ってくる姿がみっともなくも思え、鬱陶しさは増し、ついには遊びに来ても居留守を使うまでになった。
「くりゅうどの。遊びに参りました。」
 声が聞こえても返事をしない。二度、三度聞こえても知らぬふり。さすれば去っていく。
 寒さの中をとぼとぼと肩を落とし帰る姿を想像すれば可哀相になり、悪いことをしている気がして追いかけようとも思ったが、すると思い出すのは新木の言葉。自分の境遇と重ね合わせ、哀れに思い可愛がろうとすることは、優しさでも思いやりでもなく、自己満足であると。ういを愛でるのは、玖柳自身がしてほしいことをういを通してしているだけであると。そう言われているようにも感じられ愕然とした。悔しさがういと関われば否応なく思い出される。後は追えぬと留まった。
 それが一日、二日、三日続いたが。四日目――ついにういは来なくなった。
 来なくなればなったでもう少し粘れば相手をしてやったものをと憤る。しかし、ういが再び玖柳を訪ねてくることはなく年は明けた。

*

 正月十日が過ぎ、玖柳は散歩に出た。
 泉殿に着くと椿が咲いている。崎宮に来た頃も早咲きのものが咲いていたが、比べて寒椿は背が低い。これならばういでも揚々と手折ることが出来よう、と考えて玖柳は苦い笑みを浮かべた。
――かの姫はいかにしているか。
 幼き身にそげない態度を示す一方的な拒絶であったが、ういは理由を尋ねてくることも、責めることもせずに黙って離れた。泣き喚き糾弾されれば五月蠅いと己の勝手さを棚にあげて怒ることも出来るが、聞き分けがよすぎる様子に、日増しに罪悪感が膨れ上がってくる。しかし、それを素直に認めるのも辛く、"少しばかり"冷たくしたからと"簡単に"訪ねてこなくなったういを薄情であると考えたが。時間が経過するほどに気になって仕方ない。
 玖柳は先に進む。目指すのはういが遊び場にしている釣殿である。
 ういを避けるようになって行かなくなった。会って嬉しげに駆け寄ってこられると苛立つだろうし、逃げて行かれてもそれはそれで腹立たしくなるだろう。何をしてもしなくても姿が目に着くだけで気に障る。それは容易に想像できたので遠のいていた。
 相変わらず錦鯉を話相手にしているのか。
 行ってどうするつもりか。何も思いつかずにいたが、それでも歩みを止められずに向かう。
 しかし、釣殿に着いてもういの姿は見えなかった。
 腹の底から息を吐き出す。真っ白に染まった息が目の前に溢れるが、安堵からか、はたまた落胆からか、いかような意味合いか玖柳にもわからない。
 どうしたものか。
 待っていれば駆けてくるかもしれないが――"たまたま"顔を合わせるのと、ういが来るのことを"待っている"のは随分と違う。別に自分はういに"わざわざ"会いたいわけではない。いたらどうしているか様子を見る程度の好奇心だっただけであると。意固地な矜持が顔を出し、その日は住屋に戻った。
 そして翌日。
 ういがいるだろう時間を見計らってまた釣殿を訪れてみる。だが、やはりういの姿はない。
――風邪か。
 一度あったことだけに玖柳は察する。
 あの時と同じく、たった一人で寝込んでいるのだろうか。
 そうであるならいかがするか。玖柳は迷いを抱え、釣殿の橋の上、腕組みをして池を覗く。すると、黒と黄金色の錦鯉が近寄って来る。ういの一の友だちのくろである。
「元気にしておったか」
 ういの真似をして話しかけてみるとくろは大きく跳ね上がり水しぶきがあがる。返事をされたのだと玖柳は感心した。くろは橋の傍を優雅に旋回している。
「姫君の姿がないが、風邪をひかれているようだな。無事であろうか」
 また話しかけてみる。さすれば今度は水面に頭をひょいひょいと突き出す奇妙な動きをしてみせた。何のつもりかと膝を折り覗きこめば、くろは水面に潜りういが駆けてくる方角へ泳いで行く。かと思えば橋の傍に戻ってきて、また頭をひょいひょいと突き出す。
「様子を見てこいと言うのか?」
 池から動けぬ自分の代わりにういの様子を見てこいと。
 玖柳が告げるとくろは頭を出すのをやめて旋回しはじめる。その泳ぎが、いつもよりも大きく尾ひれを振っているように見えた。
「そうか。ならば仕方ない」
 あの幼き身が弱り、また心細くしているかもしれぬなら流石にほおってはおけない。何より"くろに頼まれた"のである。これは断れまいと、ういの元へ向かうことに決め、いそいそと橋を降り西の対の方角へ進み出す。
 玖柳が急いた足取りで去ってしまうと、ぽちゃりと水音を鳴らしくろは池の底へ消えた。

*

 西の対に来るのは随分と久しぶりである。こちらに暮らす者は多いので玖柳は無闇に近づかない。ういと睦まじくしていた時期も、己の屋敷に招くことはあれど、ういの住屋に行くことはなかった。あまり崎宮の人間と顔を合わせたくないとの思いからだ。しかし、娘二人は湯治に行ってまだ戻っていないし、新木とういしいかいない今は警戒心も少しばかり緩む。なんなく辿りつけると考え玖柳は迷いなく歩くが。
 ういの住屋の傍、足取りが止まる。
「一度ここに折り目をつけた方が折りやすいだろう。手間になるがそうしなさい」
「ここでございますか。」
 住屋からの声。ういだけではない。誰かいる。玖柳は気付かれぬように息を殺した。聞こえてくる声に耳をそば立てれば新木であるとわかる。
――何故、新木殿が。
 妹の住屋へ兄がいることなど何ら不思議ではないが、玖柳は意外なことが起きているとばかりに眉を寄せて、ばれぬように細心しながらもっと様子を伺いやすい場所へ移動する。
「こちらにも折り目をつけなさい。さすればお前の小さな手でもどうにか折れるだろう」
「はい。」
「もっとしっかりと。……そう。そこを開いて……ああ、そうだ。難しいところだが、ここが上手くいけば後は簡単だから頑張りなさい」
「はい。」
 ういの声音は溌剌としており風邪ではないようだが。体調が悪いならば普段は冷たくしていても心配して見舞うことはあるだろう(以前の時はそれでも一人きりにさせていたが)。しかし、そうではないのにういの元へ来ている。それも、話し声から察するに二人は"折り紙"で遊んでいるらしい。
 鬼の居ぬ間に洗濯というが――ういを目の敵にする奥方が留守ならば、いくら可愛がっても咎められる心配はない。ならば遊んでやろうということか。
 日頃は散々冷たくしておきながら、都合のよい時だけ優しくする。玖柳には「いずれいなくなるのだから、無責任に甘やかすな」と苦言を述べたが、新木とて奥方が戻ってくればまた突き放すのであろう。していることは同じではないか。それが。玖柳は駄目でも自分ならばよいのか。
 玖柳は綿入羽織の襟元を強く握る。拳が震えているのは力を入れ過ぎているからだけではない。目の前が真っ赤に染まりむかむかとする。
 ういもういである。普段は相手にされずに一人寂しくしているのに、何の抵抗もなくころりと懐いたのかと思えば、意地や矜持はないものかと情けないと感じる。
 拒否したことを、心の何処かでは常に申し訳ないような、魚の小骨が喉に引っかかりとれぬような気持ち悪さを持ち続けてきたが。ういはすでに綺麗さっぱりと玖柳のことなど忘れている。そうして新木に可愛がられ愉快に過ごしている。自分だけが詫びる気持ちを引きずり、気にかけていたのかと。また、風邪を引いて不安に陥っているのではとの心配も全くの無用であったのかと。玖柳は己が間抜けに思えていたたまれなくなった。
 もはやこの場に一時もいたくはない、と今来たばかりの道を振りかえり駆け出す。
 走りながら叫び出したいような衝動が押し寄せてくる。
 それをどうにかこらえ釣殿まで一息に走り抜けた。
 これほど走れば体が温まり寒さは感じなくなったが、呼吸が大きく乱れる。深呼吸し息を整えると次第に動悸は治まってくるが、感情の乱れまではどうにもならない。
 橋に近づき池を覗けば醜く顔を歪ませた男が映り込んでいる。
――そもそも千代紙遊びは私としていたものではないか。
 それを新木ともしているなどひどく裏切られたような気になり腹立たしくてたまらない。水面に映る苦虫を噛み潰したような顔は更に歪む――否、それは玖柳の方ではなく水面の揺れのせいであったが。ミナモが広がっている。くろだ。
 戻ってきた玖柳に気付き顔を出したらしいが。
 くろに関してもそうである。玖柳と遊んでいてもくろに話をしに来ることを続けていたが、新木が遊んでくれるようになればやめてしまったのか。玖柳がいてもくろは必要であったが、新木がいればそれだけでよいのか。と思えば尚のこと怒りが込み上げる。
「お前の姫君は風邪などではなかったぞ。他に遊んでくれる相手を見つけたらしい。それ故に、お前のことも忘れてしまったようだ。まったく薄情な姫君だな」
 憎々しげに告げる。
 すると、くろはぷいっと身を翻し尾ひれでぱしゃりと水をはねさせた。それはまるでういの悪口を言うなと怒っているようにも見え、玖柳は余計に忌々しくなり、
「そのように庇ったところで、姫君はもうお前のところになど来ない」
 捨て台詞を吐いて釣殿を去った。



2012/1/22

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