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恋でないなら 不遇な身の上 09 


 抱えた折り鶴が重く走れない。一羽はたいしたことはなくとも、千羽も集まれば相当なもの。これをあの小さな身が抱えてきたのか。今日だけではなく、玖柳が居留守を使って追い返した三日間も持ってきていたのだろう。どうしてすぐに出なかったのか。後悔は募る。
 重たさは何も数が積み上げられたからだけではない。
 両手の中で揺れる鶴は美しいとは言いがたく、どれも僅かに歪んでいる。
 折り鶴は特に花弁折りのところが難しい。玖柳にも経験がある。幼い手では上手に内側へ折り込めず嫌になった。少し成長してやってみればあっさりこなせ、これが出来なかったのかと驚いたものだ。
 座卓の前に正座して、一生懸命指先に集中して折るういの姿を思う。
 さぞや苦労しただろう。
 それも、一羽、二羽ではないのだ。折っても折っても終わらない。それを投げ出さずに成し遂げたと思えば、なおのこと胸がざわつく。走りだしたい衝動に襲われて、しかしそれが思うように出来ず、溢れ出て来る感情に顔を歪めながら気ばかりが焦る。
 早く、早く、早く――そして、ういの後を追うが。
 急いでいるときほど邪魔が入る。それはもう人の世の常なのだろう。
「玖柳殿」
 泉殿の前に差し掛かった時だった。ここで一度も出くわしたことはなかったというのに、突然呼び止められた。無視することも出来ずに、渡殿に立つ新木と対峙する。
 新木の視線は玖柳ではなく折り鶴に注がれていた。
「随分と熱心に折っておりましたが、余程あなたのことを慕っているのでしょう」
 ういは新木に折り方を教えてもらったと述べていた。事情は全て知っているのだろう。ただ、言われた内容にどう返事すればよいか玖柳の方は困る。新木は続けた。
「それであなたは急いでどちらへ? 冷たくするなら徹底的にしていただかないと、意外と頑固な性分ゆえに諦めません。どうぞほおっておいてやってください」
 淡々と告げられる。何もかもをお見通しというような静かな声と眼差しに突き刺され、玖柳の体は固くなる。
「……それは出来かねます」
「出来かねるとは? 一度は私の申し出を受け入れ、ういを袖にしていたしたではありませんか」
「ならば何故、姫君に鶴の折り方を教えたのですか」
 玖柳は切り返した。
 ういと関わってほしくないのであれば、折り方を教えなければよかったのではないか。さすれば、ういはその段階で諦め千羽鶴を折り上げることなく、それを渡された玖柳の心が動くこともなかった。そうしなかったのは他でもない新木自身である。
「何故とは?」
 新木はより冷淡な表情で言った。それは玖柳の言うことが理解できなくて問いかけているというより、理解した上でそれで尚且つ問うているという物言いだ。
「確かに、私はういに鶴の折り方を教えました。都合がよかったからです。ういが鯉を愛でるのを日課にしていることはご存じでしょう。母親がおらぬようになってますます入り浸るようになりましたが、寒くなってきたので行くなと申しても聞きわけません。それ故、千羽を折り終わるまで釣殿に行かぬならば折り方を教える、と約束しました。途中で破るかと思いましたがしかと守り通しました。風邪でも引かれると厄介でしたから足止めに役に立ちました。それのどこに問題が?」
 尋ね返される言葉は妙な凄みがある。
「どこに? 幼子が自分のために懸命にしてくれたと知れば、心打たれるのは自然なこと。それをご自身では教えておき、私に拒絶しろとおっしゃる。自分勝手すぎるのではありませんか」
 玖柳の声は粗ぶっていく。反して、新木は静かなまま、
「されど、あなたは一度、ういを相手にせぬと決めたのではないですか。それは、私の申したことに賛同されたからと解釈しておりましたが。それがういのためであるとあなたも思われたから突き放したのでしょう。ご自身が決めたことなら、当然貫かれるものと考えておりました」
「ならば、それはあなたのお考えが甘いのでしょう。幼子の懸命な振舞いを無碍に出来るほど私は非道ではありません」
「なるほど。つまりあなたは人の言動に簡単に左右されるということか。結局、ういのことを真剣に思ってらっしゃらないということですね」
 玖柳は新木の言うことを理解できなかった。
 何故、そのような考えになるのか。不思議で仕方なく、それから不愉快さが込みあげてくる。
「あなたは私が気に食わないだけでしょう」
 要するにそういうことだろうと判断する。玖柳を嫌っているから難癖をつけているだけであると。すると新木は嗤う。
「気に食わないと申されますが、では何を気に食えとおっしゃるのか」
 新木は揺るぎなく強い眼差しで見つめてくる。
 玖柳は逸らしそうになるが、それでは負けであると際どいところで踏みとどまる。
「あなたは自分の傲慢さを僅かもお気づきではないようです」
 睨みあったまま新木が告げた。
「どういう意味ですか」
「最初は可哀相だからと可愛がり、次に私に釘を刺されて突き放し、今度は健気だからと愛でる。確固とした考えもなく、その場、その場の感情で動いているだけ。そして、それを咎められたら『人がこうしたから』と申される。責任は全て他人にあるとおっしゃられる。自分というものが少しもない。これが傲慢ではないと?」
 辛辣な、軽蔑したような物言いであったが、玖柳は言い返せない。
 己の態度が人からどのように映っているか。考えたことはなかった。これまで、いつだって玖柳の言い分が最優先されてきたのである。しかし、新木は新木の目で見た真実で話をしてくる。そして、そこに映っている玖柳は確かに浅はかで無責任な人間だった。
「以前にも申しましたが、ういにもういの運命がございます。幼くして母を失ったのも、奥方様に目の敵にされるのも、全てはういの運命です。さすればういはそれを自分で乗り越えねばなりません。誰に同情されることなく、後ろ盾を失いどうやって生きていくか知らねばなりません。それを半端な気持ちで、あなたの感情一つで、甘やかされたり冷たくされてはういも混乱します。人の言動に振り回されていては、己の立場を受け入れることが出来ず、やがては『可哀相な身を憐れんでくれぬ周囲が悪い』と恨むことにもなるでしょう。されど、世を憎んだところで幸せになれますか。それよりも、己の運命を受け入れてどう生きるか。考えさせる知恵を与えてやる。一過性の同情などいらぬのです」
 新木は一息に言い終えると玖柳の様子を伺ってきた。玖柳はひやりとした。それはそのまま己の陥っていた状態だったからである。新木がそこまで考えていたとは思わずに、玖柳には返せる言葉がなく沈黙が生まれる。
『何も"私は"無闇にういに冷たく当っているわけではない。崎宮を継ぐということは、家の者の身の振り方の責任も負うということです。それ故に"あなたにはわからない"思いがある』
 以前、新木は玖柳に告げた。あの時は調子の良い自己弁護であると感じていた玖柳であったが、新木の言葉に嘘はないと知る。その方法が良いものであるとは言いきれないが、少なからず新木が新木なりに考えた末、揺るぎない意思の元に行動していることを理解する。
 対して自分はどうであるか。
 軸となる考えなどなく、その時々の気持ちで行動していると言われても反論できない。今だってそうである。あれほどういを薄情な姫だと馬鹿にしていたのが、実はそうでなかったと知って追いかけている。しかし、真実を知らなければ、今も嫌って見下していただろう。ういの行動が自分の都合いいものであれば可愛がり、そうでないなら拒絶する。どこまでも勝手である。
 新木はさらに折り鶴を指さし続ける。
「私も『受け取ってくれぬかもしれぬぞ』と一言告げました。しかし、ういはそれでも構わないと申したのです。あなたにそげない態度をとられても、そんなことには関係なく、あなたのために折ると、楽しみにしている釣殿へ行くのを断ち、もらってもらえるかもわからぬ鶴を折りあげました。その気持ちにあなたが応えられるとは私は思えません。また、"誰か"に"何か"を言われればういを袖にするのでしょう。ならば、今から何もせずにやってください。これはういの兄としてのお願いでございます」
 そこまで言うと態度を一変し深々と玖柳に頭を下げる。それは紛れもなく"兄の顔"だった。その姿と、告げられた内容に、いよいよ玖柳は追い詰められた。
 新木は頭を上げた。そして、もう一度会釈程度のおじぎをしてから去って行く。
 玖柳は黙ってその姿を見送った。



2012/2/5

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