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しぐれごこち 14

 
 杉原暁生展【silent picture】一階セントラルコートにて開催中。
 モールの中央入り口を入ってすぐの掲示板に張られているポスター。父が目ざとく見つけ反応した。「これは写メールとっとかないとな」とパシャパシャと携帯電話を取り出して三枚ほど撮る。恥ずかしいからやめてよ、と思ったけど、気分良くしているのに水を差すのも悪い気がして黙って耐えた。
 今日は、暁生さんの個展最終日だ。
 お盆が終わった翌週は変な毎日だった。暁生さんの個展は金・土・日の三日間開かれるのだが、土曜日には子ども限定の絵画教室を催し、日曜日には絵と音楽のコラボレーションライブがあり、暁生さんにとってどちらも初めての試みで(美術教師なのだから、絵画教室は専門分野だろうと思うけど、小さな子どもに教えるのと高校生に教えるのは勝手が違うかもしれないし、と弱腰だ)緊張と興奮状態にいた。特に、前日の木曜日になると、ナーバスで、朝から意味もなく部屋の中をうろついて、
「自分が描いたものを多くの人に観てもらえるのは幸運なことだと思うし、ありがたいとも思うんだ。だけど、怖い。胃が痛い」
 と喜びと苦痛とがごった返した複雑な顔をしていた。 
 丁寧に作り上げた作品に胸を張ることはできるけど、それを人に受け入れられるかは別だ。過去二回開いた個展は概ね好意的に受けとめてもらえたが、気にいらないと文句を言う人も数は多くなかったけれど存在した。わざわざアンケート用新に「俺の方がうまい」や「どうしてこの程度の絵で個展が開けるんだ」と心ない言葉を書く人も。それは寂しく、悲しいことだった。様々な人がいて、合う、合わない、好き、嫌い、はどうしようもない。どうしようもないけれど、たまらない気持ちにさせる。
「わかってるんだ。頭ではね、わかってる。開きたくても開けない人だっている。こういう機会に恵まれた僕が、何を弱気なことを言っているんだ。万人に好かれることなんてないんだから、好かれることも、嫌われることも、両方ひっくるめて引き受ける覚悟を持たないといけないって」
 そして、暁生さんは、自分の頬をバシバシバシっと三度叩いて、「晩御飯はかつ丼にしよう」と言い出した。
「……それはいいけど、突然どうしたの? 何故かつ丼なの?」
「敵に勝つでかつ丼。決戦前はかつ丼って昔から決まってるだろう? まぁ、この場合の敵っていうのは自分自身だけどね」
 ダジャレ? この人は案外大丈夫なのかもしれない、と。心配したことを少しだけ後悔した。それでもなんだか前向きになっているようだし、言われた通りに晩御飯はかつ丼にした。近所のお肉屋さんでちょっといいお肉をカツ揚げにしてもらって、家で玉子でとじ、お手製のかつ丼を作り食べた。その後で、今度は肉体的な胃もたれを起こし(夏バテ気味のところへいきなり脂っこいものを食べたから気持ち悪くなったのだと思われた)、やっぱりこの人は大丈夫ではないなぁと不安になった。それでも初日、少し強張った顔つきではあったけど、暁生さんは現場へ向かった。緊張も行きつくところまで行きついたのか、家を出る後ろ姿は堂々としていた。もし、不安定なままだったらついていこうと思っていたのでほっとした。
――手伝うべきかどうか。
 それは相当悩んだことだったから。居候させてもらっているし、何か役に立ちたい気持ちはもちろんあったし、手伝いたいと言えば、暁生さんは連れて行ってくれるだろう。でも、会場で暁生さんは、画家・杉原暁生として存在する。杉原暁生の個展を成功させようと尽力してくださった方々が傍にいる。そこに姪だからと割り込んで行くのは無神経なことのように感じられた。人手が足りないならば話は別だけど、中学生の私がのこのこ出て行っても場違いだ。勘違いした子ども。邪魔にしかならない。大人しくしているべきだと思った。
 その代わりにおはぎを作った。去年と一昨年、祖母が差し入れていたことを思い出し、今年は母と私で差し入れようと、朝、暁生さんを見送ってから一度家に帰り作ってきた。
「さぁ、行こう!」
 写メールに満足したのか、父が言う。足止めしていたのは父なのに調子がいい。
 会場につくと、暁生さんがどこかから戻ってきたところで、鉢合わせになる。私たちを見つけると近寄ってきた。三日目となれば慣れるのか落ち着いてキリっとして見える。
「義兄さん、姉さん、虹子。せっかくの休日に、わざわざありがとう」
 嬉しそうな暁生さんに父も嬉しそうに
「暁生くん、今日はおめでとう」
「ありがとうございます」
 父と挨拶を終えると、今度は私と母を振り返ったので、
「これ、差し入れ。お母さんと一緒に作ったんだ」
 風呂敷に包んだお重を渡す。それで、暁生さんはピンときたようだった。
「上の段があんこで、下の段がきなこだよ。まだ家にもあるから、もしスタッフの人の分が足りなかったら暁生さんは我慢して」
「なんだよ。僕がメインじゃないの?」
 暁生さんはわざとらしく拗ねた顔を作ったので、
「気持ちの部分ではメインだよ」
 だけど、合計三十個あるからおそらく足りないことはないだろう。むしろ、家にまだ大量にあるおはぎをどうやってさばくかが気がかりだ(完全にお米を炊く分量を間違えた)。
「いやぁ、それにしてもすごいなぁ。こんな広い会場で個展だなんて。年々すごくなっていくなぁ」
 父はしみじみと言った。まだ絵を見ていないのに「すごい、すごい」と言いすぎではないだろうか。父が純粋に、個展を開くのだからすごい、と思っているのは分かる。だけど、個展を開くから、大きな場所でするから、立派だと言うのはどうも違う気がした。 
「僕の力ではなく、紹介してくれた人の力ですよ」
 暁生さんは少しだけ困った顔をしているように感じられた。だけど父はそんなことには気付いていないのか、ますます破顔して、
「持つべきものは友か。もちろん暁生くんの実力があってこそだろうが、やっぱり友だちは大事だ。なぁ、虹子」
 何故、そこで私に話を振るのだろう。父は言いたいことは面と向かって口にする人だけど、妙な勘ぐりをしてしまう。気にしないように思っても、一度入ってきた淀みはなかなか消えなかった。夏休みになってから父と離れて過ごしていたので、このような言葉を聞くことがなかった。そのせいか動揺は激しかった。普段なら父と接するときはもっと用心しているのに、無防備すぎた。今日は暁生さんの大事な日なのだ。不愉快な顔なんて絶対出来ないのに。天邪鬼に乗っ取られてしまったように、いけない、いけない、と思うほど、どんどん気持ちはとらわれていく。
「ねぇ、中に入りましょうよ」
 入口付近で立ち止まってたら邪魔だわ、と母が言う。それを合図にぞろぞろと移動した。父と母が前を、その後ろに暁生さん、更に後ろに私だ。出来るだけ父から離れて歩く。ささやかな抵抗。こんなつまらないことをしても父はちっともわかってくれないだろうけど。なんだかどんどん惨めな気分になっていく。
「そうそう。虹子がつけてくれた題名、評判にいいよ」
 ふと、暁生さんが立ち止まって振り返る。
 私が決めた題名。「秩序」と「裏と表」と「パレード」と、それから、
「特に、最後の絵」
「ああ、」
 最後の最後まで決まらなかった、夜明けのような朝焼けのような静かな絵。私はあの絵に「時雨心地」という題名をつけた。お墓参りに行った日、帰りにここのモールにある本屋に寄った時、偶然手にした本に載っていた言葉だ。なんとなく頭から離れなくて、帰宅してから意味を調べてみたら、あの絵から受けるイメージそのものだったので、もう他には考えつかなくて決めた。決まってしまう時は本当にあっさり決まるのだ。
「それでさ、今日ライブしてくれる小坂くんって男の子が、すごく気に入ってね。新曲の題名を決めかねていたらしいんだけど、その曲も『時雨心地』にしていいかって言われたんだけど、構わない?」
 びっくりした。思ってもみない申し出だ。そもそも「時雨心地」という言葉は存在していたから、私が考えたわけではないし、とめる権利などない。
「私はいいけど……」
 本当にいいのか、と逆に問いたいぐらいだった。
「ああ、よかった。実は、小坂くんのその曲、あの絵をイメージした曲らしいんだよ。僕もまだ聞かせてもらってないんだけど。これで絵と歌が完全に繋がった」
 それから暁生さんはいつものように「虹子の橋渡し。虹は橋みたいなものだからな」とつまらないことを言って、私は返事に困って笑った。




2010/11/16

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