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しぐれごこち 15

 
「こんにちは。小坂保志です。短い時間ですが、耳を傾けてもらえると嬉しいです」
 午後四時。ホールの中央。暁生さんの絵に取り囲まれた中、短い挨拶と共にライブは始まった。椅子に腰かけて足を汲み、アコースティックギターの弦に軽く触れて音の確認をする。それから、傍にある譜面の頁を何枚かめくり、小さく咳払いして、すぐに歌い始める。
 小坂さんの歌は、丁寧に紡がれ、寓話を聴いているように心地がよい。甘さと残酷さ、光と闇、相反するものをそのまま存在し、その中心を一本の線が通り抜ける。基軸があり、安心感がある。そして、彼の歌の真ん中にあるのは哀しみだ。この世界を慈しみながら、同時に軽蔑し、だけど離れられずにいる。複雑な心境が見え隠れした。この感じ。暁生さんに似ていると思った。けして楽しいだけではない。時に悲しく、時に苦しく、感情の全てが、分け隔てされることなく、正直に、潔く、存在している。何一つ、偽ることなく、繕うことなく。この人は誤魔化さない人だと思った。
 会場が静かな熱気に包まれていくのを感じる。
 小坂さんの歌はパフォーマンスの派手さはないけれど、心の深い部分に直接語りかけてくる。聴いていると気持ちがざわついて、自分のことを話したくなる。人が、自分を表現する。それを目の当たりにすると、たぶん、自分も表現せずにはいられないのだ。反応してしまう。私にも言いたいことがある。考えてきたことがある。伝えたいことがある。それはこんな風に表現してみたい、という衝動だった。
「ありがとうございました。
 なんだか時間がたつのがあっというまで、忘れてしまいそうになりますが、残すはあと二曲です。
 次は『世界の片隅』という曲です。この曲は五年前ぐらいに作ったんですが、当時僕は人間関係にすごく悩んでいて。厳密に言うと中学生ぐらいからずっと悩んでいて、長い長い思春期だったんですよ。その脱出のきっかけになった出来事から作った歌なんですが。
 僕はずっと、友だちを作ることが人との繋がりだと思ってたんです。友だちがいないのは人と繋がってないことだって。その原因は中学の担任の先生の影響がすごく強くあって。僕の担任になった人はとにかく『友だちは大事だ。友だちこそ宝だ。悲しみは半分に、楽しみは倍にしてくれる』という人だったんです。でも僕はうまく友だちを作れなくて、言われれば言われるほどコンプレックスに感じて、先生に悪気はないのはわかるんだけど、悪気がないから悪くないことはなくて、苦しくて。で、結局ドロップアウトしたんです。逃げた。友だちなんていらないって。でも、そんな自分に負い目があって。ああ、僕は、友だちを作れない、人と繋がれない、脱落者だと自分を責めて過ごして、そんな時に出会ったのが音楽だったんです。音楽は僕をすごく慰めてくれて、唯一の救いだった。
 で、話は少し飛ぶんですけど、二十歳ぐらいになって、路上でライブをするようになったんです。一人で弾き語りをして。そしたら、酔っ払いのおっさんが来て『うるさい。下手くそ。やめろよ』と言われたりもして。そういうのって気にしないでおこうと思っても落ち込むんです。すんごい落ち込んで、あのおっさんは今言ったことを明日になったら絶対忘れてる。それなのに、僕は忘れられず、もう音楽辞めようかな、ぐらいのところまで凹んでると。そのことが更に切なくさせるんです。だけど、そういう嫌な言葉を浴びせられた後、不思議なんですけど、今度は『良かったです』と言ってくれる人に出会うんですよ。たとえばそれは、同じように道を歩いている人が立ち止まってかけてくれる声だったり、メールで『小坂君の次回のライブ行くからチケット前売り予約よろしくー。楽しみにしてます!』とかだったりするんですが、絶妙なタイミングで言葉をくれるんですね。僕がおっさんに凹まされてたことなんて知らないはずなのに、そして、その人たちは別に励まそうと意識しているわけではないだろうに、僕を振り立たせてくれる。そういう偶然をいっぱい経験させてもらっているうちに、ふと、『これが人との繋がり』じゃないかと理解したんですね。
 捨てる神あれば拾う神あり、じゃないですけど、僕を罵倒する人もいれば、優しくしてくれる人もいる。だけど、その人たちと友達かと言われると違う。路上で出会った人なんて、名前も知らないし、二度と会わないだろう人の方が多い。でも確かに僕にとって、恩人です。けどそれは意識して掴んだものじゃなくて、本当にたまたま、偶然のもので。僕が歌を歌った、ということへの世界からレスボンスなんじゃないかって。そしてレスボンスが返ってくるということは繋がってるからなんだと。もし、僕が、本当に一人きりだったら、誰とも繋がっていなかったら、路上で歌を歌っても何も反応はないわけで。繋がりがあるから反応を返してくるんだろうな、と。
 そう気付いた時に、人と繋がることと、友だちを作ることは別物なんだとわかって。きっと、友だちはいてくれた方が人生を楽しくしてくれるとは思うんですけど、僕みたいにうまく作れない人もいてて。だけど、友だちがいないからって、誰とも繋がれないなんてことはなくて。たとえば、それはコンビニの店員さんにお金を支払う時とか、ちょっと入ったカフェの店員さんが注文の品を持ってきてくれた時とか、『ありがとう』と言う。そういう他愛のない 日常の一コマに繋がっている感覚を持てることが大事なんじゃないかと。
 それがわかって、僕は友だちはいないけど、この世界と繋がっている。だから、一人じゃない。それは僕だけじゃなく、この地上にいてる人、誰しもにいえることだと思うんですが、何より、当時の自分に言いたくなったんです。それで、この歌を作りました。
 でもまぁ、みんな繋がってるってことは、僕に『下手くそ』ゆーたおっさんとも繋がってるってことでそれは嫌なんですけどね。あのおっさんとは繋がってたくないなぁって思うんですが、でも繋がってるんですよねぇ。って最後、僕がどれだけ恨みがましいかって話になってしまいましたが。早く歌えって感じですかね。歌います。 では、聴いてください。 『世界の片隅』」
 気配を感じる。隣を見ると、暁生さんが立っていた。
 私は胸がいっぱいで、小坂さんが歌っている間、苦しくてたまらなかった。
「ありがとうございました。
 では次、いよいよラストの曲です。この曲は今日の日のために作った曲で、ちょうど僕の真後ろにかけられてる絵を見て、そこから作った曲なんですが。
 僕は、この絵を最初に見たとき、というか今もそうなんですが、すごく泣きたくなって。でもそれは悲しいと言うのではなくて、懐かしいって感じなんですよね。懐かしくて切ない。
 それで、ちょっと話は変わるんですが、僕は一つ信じていることがあって。さっきの『世界は繋がっている』って話にも通じるんですが、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え、価値観があって、バラバラに見えるようでいても、ずーっとつきつめていった先にあるのは同じ気がしてるんですよ。 一つになってしまうような。なかなかね、そこまで行くことが出来ず、今もって地球上では戦争が起きているわけだけど、でもきっと、人が自分の内を見つめ続けたら、みんな最後は同じところへ行く気がするんです。
 で、話はまた戻るんですが、その時に、最後の最後に出てくるのはこの絵のような景色なんじゃないかって。だからすごい懐かしくて、知っているような気がするんじゃないかなと。そして、ここへ行きたい。帰りたい、と思って泣けてくるんじゃないか、と。
 僕はそう思っていて、それでそういうイメージで曲を作ったんです。
 それで、今日、会場に来て、久々にこの絵を見たんですけど、絵に題名がついてて。みなさんもご覧になったと思いますが、『時雨心地』って題名が付いてあって。ああ、綺麗な言葉だなぁって思って、それで、杉原さんにお会いした時、そのことを伝えたんですね。そしたら、杉原さんが『実はこの題名、姪が考えてくれたんだよ。涙が出そうになる気持ちって意味らしい。この絵を見るとそういう気持ちになるからってつけてくれた』って嬉しそうに教えてくれたんですね。僕はそれ聞いた時、ばーって鳥肌が立って。ああ、そう感じるのは僕だけじゃないんだ、と。だから、やっぱり人は繋がってて、そしてこの絵はきっと原風景なんだと。確信しまして。それで、この曲の題名をまだ思いついてなかったので、杉原さんの姪っ子さんに許可を得て『しぐれごこち』に決定しました。そのままというのもなんなんで、僕の方はひらがなね。ちょっとだけ変えました。という経緯のもとに、仕上がった曲です。
 もうなんかあれですね、つい興奮して話しすぎました。ライブではなく講演会みたいになってしまったので、歌います。この歌が、みなさんの心に届きますように。聴いてください。『しぐれごこち』 」
 私はなんだか隣に立つ暁生さんの手をとってぎゅっと握りしめたくなったけど、あまりにもらしくない気がしてやめた。でも高まっていた気持ちを抑えることが出来ず、代わりに半歩だけ傍に近寄った。

 ライブが終わった後、暁生さんに小坂さんを紹介してもらえることになり(小坂さんも私に会いたいと言ってくれていた!)、スタッフルームへむかった。
 あんなにすごいものを観た後、それを行っていた人と話す。早まる鼓動に緊張感が増していく。
 控室。ノックをして入ると、小坂さんはギターケースにギターを戻したところで、
「お疲れ様でした。とても素敵なステージで、光栄でした」
 暁生さんが声を掛けると、振り返って笑う。
「あー、杉原さん。お疲れ様です。楽しんでもらえたようで僕も嬉しいです」
 その声は、ライブの時よりわずかに高い。興奮冷めやらぬのだと思った。大勢の人の前で、エネルギーに満ち溢れたあれほどのステージを披露したのだ。気持ちが高ぶるのは当然だろうなぁ、と思われた。
「ええ、すごく楽しんだし、気持ちが清々しく一新されました」
 暁生さんはそう言った後、後ろにいた私を隣りに呼んでくれて
「姪の虹子です」
「ああ、どうも。…一番前で観てくれてましたよね? はじめまして。それから曲名の件、了承してくれてありがとうございます」
 はい。一番前で観てました。素敵なライブでした。私がもやもやしていたことに、明瞭な答えをもらえたような、強く後押ししてもらえたような気がして、嬉しかったです。それから、あの絵。私のことを、同じように感じてるって言ってもらえたことも。あの曲に、「しぐれごこち」と付けてもらえたことも。すごく嬉しかったです。そう言いたいのに、うまく言葉にならずに、
「こちらこそ、ありがとうございました」
 と言うのが精一杯だった。
 小坂さんは私はじっと見つめた。その目は何かを探るように感じられ、私は何かおかしなことを言ったのか不安になる、すると、
「虹子ちゃんはおいくつなんですか?」
 唐突な問いだった。
「十四歳です」
「……ですよね。それぐらいですよね。……ってことは、杉原さんっておいくつなんですか?」
「僕? 三十八です」
「三十八! すみません。てっきり、僕とそんなに変わらないのかなって勝手に思ってました。姪子さんがいてるって聞いた時も、小さい子どもを想像したんですが。だから、『時雨心地』って言葉を知ってるのすごいなぁって思ってて……いや、十四歳でも十分すごいんですけど。僕、初めて知った言葉だったし」
 なるほど。あの不可思議な眼差しはそういうことだったのか。確かに、暁生さんは若く見える。私の年齢ぐらいの姪っ子がいるなんてびっくりするかもしれない。
 事実に心底驚いていた小坂さんはそれから改めて私に向き直り、
「十四歳ですか。大変な時期ですね」
 と言った。今度は私が驚く。若い頃はいい。楽しい時期だ。大人になればもっと辛いことがある。子どもの頃の辛さなんてたいしたことない。と、言われることはあっても、そんな風に言われたことは初めてだ。
「僕が音楽始めたのも十四ぐらいなんですよ。当時は、しんどかった。しんどいしか覚えてないんですけど、でも、今となったら、よかったなって思えるから不思議です」
 小坂さんは年下の私にも丁寧な敬語で話してくれる。その距離の取り方に私は好感を持った。また、話してくれている言葉にも。この人は本当に苦しんで、いろいろ考えてきた人なのだろうと感じられた。
「いろいろあると思いますが、大事に過ごしてくださいね」
「はい」
 その後で、小坂さんのライブをまた見たいです、とどうにか伝えると喜んでくれて、ホームページにライブ情報を載せているし、アドレス教えていただければダイレクトメール送りますよ、と言ってくれた。生憎、私は携帯電話を持っていないので、代わりに暁生さんのところへ送ってもらう事になる。
「また、絶対聞きに行きます」
「その時は、必ず『しぐれごこち』歌います」
 そう約束して別れた。




2010/11/16
2010/11/19 加筆修正

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