しぐれごこち 02
日曜日の午後だった。
CDを探していたら、机の奥から表彰状が出てきた。小学校の時のものだ。懐かしくなって母にも見せようとリビングへ向かった。
こんなにのんびりとした気持ちで過ごすのは久しぶりだ。
リビングに着くと、なんだか喉が渇いたので、先に冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出してコップに注ぐ。コポコポコポっと独特の音が鳴る。半分ぐらいまで入れて、一挙に飲み干す。随分と渇いていたみたいだ。
ダイニングでは母が再放送の殺人事件を見ていた。
そばに近寄って腰を下ろす。
断崖で犯行を吐露している。「だって仕方なかったのよ。あの人がいたら私の幸せが潰される」と犯人役の女性が悲鳴のように叫んでいた。「だからって殺していい理由にはならない」と主人公が叱咤する。
「傍にいると辛くて、でも離れることも無理なら、自分が死ぬか相手を殺すしかないって思うのなんかわかるけど」
母は視線をチラリと私にむけた。
「それでもどうにかして生きていくのが人生ってものなのよ」
こともなげに告げると、またテレビに集中する。
母はどこまでわかって言っているのだろう? 私はそれ以上何も言えなかった。
父との関係がうまくいかない。
思春期にありがちだと聞く「父親嫌い」というものか。それとももっと違うものか。自分ではよくわからない。ただ、傍にいると上手く息が出来ずに、言葉が出てこなくなったのだ。
長いこと離れて暮らしていたのも大きいのかもしれない。
私が四歳の時、父は単身赴任で北海道へ赴いた。母は仕事を持っていたし、家を買ったばかりだったし、いろんな理由が重なった結果だ。それは私が小学校四年生になるまで続いた。寂しくはなかった。電話はちょくちょくしていたし、長期休暇には帰ってきたり、遊びにいったりしていい関係を続けていた。だけど、一緒に暮らし始めてからその関係はあっさり壊れた。距離というものが私たちを良好な関係でいさせてくれただけで、私と父は根本的にそりが合わなかったことがわかったのだ。
それでも、最初はうまくいっているように見えた。お互いに不慣れさを補うように、一歩引いた感じで、遠慮しあっていたのがよかったのだと思う。「家に父親がいる生活」は不思議で、新鮮だったし、こういうのが普通の家族なのかぁとこそばゆかった。でも、数ヶ月も一緒に暮らしていれば人となりが見えてくる。
父はいわゆる「体育会系」の男の人だった。
休日には友人たちとわいわいと出かけていくのが普通。家にじっといるなんて不健康でつまらない生き方だと心底思うような人だった。
一方私は真逆だ。休日は家でのんびりと本を読んだり映画を観たりしたい。私はそれで満足していたのだ。だけど、
「虹子は、友だちと遊びに行ったりしないけど、どうして?」
ある時、父が言った。
「どうしてって?」
質問の意味がわからずに聞き返すと、
「日曜日でも友だちを呼んでいいよ。お父さんは怒ったりしないよ」
どうやら私が日曜日に友人を呼んで遊ばないのは、自分がいるからだと思っているらしい。忙しいお父さんをゆっくり休ませてあげて、と母に言われているから私が友人を招かないのだと考えているようだった。
「お父さんがいるから呼ばないわけじゃないよ。家に呼んりする相手はいないから」
私が答えると明らかに不安そうな顔をした。不審といってもいい。「もしかしてうちの子はいじめにあっているのではないか」と恐怖に感じているのが見えた。私はぞっとした。この人は、休日に遊びに行かないとそんな風に解釈してしまう人なんだ。それは純粋な親としての心配と、世間体を思う気持ちが混濁していた。私はとっさに
「喜藤さんってすっごくお金持ちの子がいてね。みんなで集まる時はその子の家に集まるの。とっても珍しいケーキやお菓子を出してくれるのよ」
嘘だ。だけど父は納得した。納得しようとした。心配ごとを無くしたくて無理やり信じようとした。弱い人だったのかもしれない。そういう揺らぎが辛かった。優しい父親でいさせてあげられなくてごめんなさい。いつ頃か、そう思うようになった。以来、私は、なるべく父の願いを叶えるように休日は友だちと約束があるふりをして家を出るようになった。
でも今日は違う。父は休日出勤になった。おかげで気兼ねなく家にいられる。とてもありがたかった。けれど来週になればまた私は嘘をつく。それを思うと憂鬱だった。
「そういえばさ、さっき、机を整理してたら懐かしい物が出てきたよ」
事件が解決して、エンディング曲が流れ出すと、途端に興味を失ったのか母はチャンネルを回した。私はそれを確認して持ってきた表彰状を出した。
「名前の由来を調べて作文を書きなさいって宿題が出たことあったじゃない? 小学校のとき」
「ああ、表彰されて、学校新聞にも掲載されたわね」
「うん。あの時の表彰状が出てきた。先生に、本村さんは叔父さんに愛されているのねとか言われちゃって。そんなこと堂々と言われたの初めてで照れちゃったな」
「愛されているわよ。暁生だけじゃなくて、みんなに」
母がどういう気持ちでそれを言ったのか、やっぱり私にはよくわからなかった。
状況というのはあるとき突然の変化をみせる。
梅雨明けした日。家に帰ると、暁生さんがのんびりとダイニングルームでおせんべいを齧りながらお茶を飲んでいた。暁生さんから出向いてくることは滅多にない。これは何かあったのだろうな、と着替えてダイニングへ戻った。
母も暁生さんも「子どもが大人の話に首を突っ込むんじゃない」という人たちではなかったので、私が席についても話は中断させることなく続けていた。
聞こえてくる話をつなぎ合わせてあらましを作ってみて驚く。暁生さんは美術教員として高校に勤めているのだが、そこの生徒が妊娠し、父親は暁生さんだと主張したと言うのだ。
「ねぇ、これってのんきにせんべい齧りながらする話なの?」
知り合いの知り合いにこんな人がいて大変らしいんだ、可哀想だよね、という気安さが信じられない。
「騒いだところでどうにもならないだろう?」
「どうにもならなくても騒ごうよ。気概がなさすぎ!」
思いのほか大きな声が出てしまった。母はそれを見て大笑いしているし、怒鳴られた暁生さんは目を白黒させている。
「虹子って六十年代に生きていたなら間違いなく全共闘運動に参加するタイプだよね」
暁生さんが言った。すると、母も、
「お父さんの血が濃いのかもしれないわ。隔世遺伝ってあるじゃない。お父さんの若いころはまさに学生運動真っ只中で、結構すごかったらしいよ。おかげで就職に苦労したってよくこぼしていたじゃない」
祖父のことは知らない。私が生まれるずっと前に亡くなっている。
「ああ、そういえばそうだった。姉さんも僕も穏健派だから、覇気が足りないってよくいわれたっけ」
「私はまだ女だったからましだったけど、暁生はよく怒鳴られたなもんね。男のくせにって」
「怒鳴られてる記憶しかないかも」
突然、シュウシュウとかすれた音がわりこんでくる。沸騰した合図だ。沸点に達すると口笛の音で知らせるヤカンとして発売されている代物だった。使い込んでいるうちにすっかりくたびれて、かすれた音になってしまった。それはまるで悲鳴のようだ。ボロボロになっても役割をまっとうしようとしている。母が立ち上がりキッチンへ向かう。ほどなくして静まった。
「虹子。あんたしばらく暁生の家で暮らしなさい」
「え?」
キッチンから戻ってくるなり、母は強い口調で言い切った。
暁生さんは今、一人暮らしをしている。今年の春先に祖母が亡くなり、住んでいた家に彼以外の人間が誰もいなくなってしまった。その結果、ひとりぽっちになってしまった。
でもどうしてそんな話になるのか、さっぱりわからなかった。そんな大変な状況の暁生さんのところへ私が行っていいのだろうか?
「人と一緒に暮らすのって久々だから緊張するな」
暁生さんは笑っていた。母も笑う。笑いながら、大きな波に飲まれていく気がした。
今年の夏はきっと特殊なものになるだろう。そんな予感。
テーブルにのせられたせんべいに手を伸ばし齧りながら私もなるべく笑った。しけっていてちっとも美味しくなかったけど、三人で残りのお煎餅を全部食べた。
2010/7/13