しぐれごこち 03
夏休みに入って、いよいよ暁生さん宅で居候生活が始まることになった。
とりあえず一週間分の洋服と、夏休みの宿題をつめたボストンバックを持って訪ねる。
暁生さんの家は徒歩で二十分ほど行ったところにある古い旧家だ。居間に入ると、クーラーを入れたところらしく、まだ生ぬるい風が室内に残っていた。
「本当に私が来てよかったの? 邪魔じゃないの?」
オレンジジュースと麦茶とどっちがいい? と聞いてくる暁生さんに尋ねた。ずっと気になっていたことだ。聞いても邪魔だなんて言う人ではないけど、聞かずにはいられなかった。
「いつでもおいでって言ったろ? 何、気兼ねしてんの」
「そう、だけど……」
暁生さんの家には実は頻繁に遊びに来ていた。誰にも内緒で毎週日曜日に訪れるようになって四年が経過する。
きっかけは、真夏のうねるような暑い昼下がりのことだった。
父の目を避けるために、私はいつものように友だちと遊んでくると嘘をついて家を出た。行き先は近所の図書館だ。電車で一駅のところには大きくて立派な図書館が建てられたばかりだから、多くの人はそちらを利用している。けれど私はこの町にある、こじんまりとした図書館が好きだった。あまり効いていない冷房は長時間いるには丁度よかったし、知り合いに会う可能性が低い。時間を潰すにはもってこいだった。だけど、
「――休館だ」
パソコンではなく手書きの「本日、休館日」という張り紙をみて言葉を失った。月の終わりは休館だと知っていたが、うっかり忘れていた。
どうしようか――家に帰ったら父は心配するかもしれない。こんなに早く戻ってきてどうしたの? もしかして友だちとケンカでもしたの? と。ケンカはよくないよ、謝って仲直りしておいで。そう言われるかもしれない。家に帰るわけにはいかない。
公園に行くことにした。さすがにこの暑さだ、人気はなかった。
ベンチに腰掛ける。太陽が眩しくて目を開けていられない。じんわりと目頭が熱くなった。光が強すぎて涙が出たのか。それにしてはやたらと胸が痛かった。
蝉が鳴いていた。
夏が終われば死んでしまう。儚い命。このままここで一日いたら私も――そんな物騒なことを考えていた。
「日射病になるよ」
ふっと視界を遮る大きな手。夏だというのにとても冷たい。それが額に置かれた。
暁生さんだった。
あまりにもタイミングが良すぎる登場に夢かと思った。砂漠で幻のオアシスを見てしまう旅人になった気分だ。だけど、夢でも幻でもなく、正真正銘、暁生さんだ。
それから、当たり前に私を自宅に招いてくれた。
おばあちゃんは手芸教室に通っていて日曜は夕方まで戻らない。一人で退屈だからこれからはうちにおいで、と。手をつなぎながら家までの道を歩いた。長い間太陽に当たっていたせいか足元がふわふわ揺れてちっとも現実味がなかった。
ああ、そうなんだ。これから暁生さんの家に行けばいいんだ。
なんだか無性に泣けてきた。ぐるぐると世界が回っている。
「気持ち悪い? もうすこしだから」
そう言って私をおぶってくれた。
あれから、毎週日曜日、暁生さんと過ごすようになった。何も聞かず、ただ私のいさせてくれる。でも、たまに遊びに行くのと、一緒に暮らすのは全然違う。
「で、どっちにする?」
「じゃあ、オレンジジュースで」
コップをうけとる。口をつけると、少し酸っぱい。
「飲んでると結構いけるんだ。何事も慣れだね」
暁生さんは自分の分を飲み干して言った。酸っぱさに慣れるなんてことあるんだろうか。それならもっと甘いジュースを買えばいいのに。
暁生さんは満足そうな顔をしていた。
朝起きて、ご飯を食べて、宿題して、昼食を食べて、本を読んだり、DVDを観たり、ちょっと散歩して、戻ってきて夕食を食べる。暁生さんとの生活は家にいた時とほとんど同じで拍子抜けした。
ただ、違うのは夜の過ごし方だ。
深夜のアトリエ――客間と祖母の寝室だった部屋の壁をとりはらって一間とし、画材道具を運び込んだだけの殺風景なものだったけど、私はそこをアトリエと呼んだ――で暁生さんが絵を描き、私はそれをソファに寝っ転がって眺める。「集中したいから一人にしてくれ」なんていかにも芸術家が言いそうなことを暁生さんは言わない。絵を描くことは何も特別なことではなく、日常の一部として存在している。誰がいても、誰がいなくても、揺らいだり意識が散漫になることはない。描くことに変わりはないから。それが暁生さんのスタンスだ。
大きなキャンバスではなく、机に座りB5サイズのスケッチブックを使用して水彩絵の具で描く。時折姿勢を悪くし背を丸め、顔を張り付けるようにしてフゥーと息を吹きつけたりする。生命を吹き込んでるみたいだなぁと思う。絵を描いているというより、何かもっと特別なものを作成している。神様はきっとこんな風にして世界に色を付けたに違いない。
それからたまに思いついたように「退屈じゃない?」と私に聞く。「面白いよ」と答えると「そう」とうなずいてまた作品に向かう。その繰り返し。私はこの時間が大好きだった。
人は自分を表現せずには生きていられない。それを、日常の中でおしゃべりすることで消化出来る人もいる。でも、そうではなくて、もっと違った形でしか自分が言いたいことを言えない人もいる。暁生さんは後者の人だった。そして、暁生さんが選んだ手段が「絵」だったのだと思う。暁生さんの描く絵は、その時々の暁生さんの感情が体から切り離されてしまったように、いつだって話したがっているように感じられたから。その大半が悲しみであり怒りであり激しい慟哭を伴っている。生きれなかった暁生さんの感情が弔われているのだと感じた。
アトリエには暁生さんが今までに作った作品も置いてあった。
眺めているうちに、私は少しずつ、その絵がいつ頃描かれたものがわかるようになっていった。無造作に積み上げられた作品を時系列に並べ替えていくのも楽しみだ。新しい作品から古い作品へ並べかえながら、当時の暁生さんと会話する。私が生まれる前の暁生さんが確かにそこにいて、語りかけてくる。
たとえば二十一歳から二十三歳くらいまでは、漠然とした大きな波に飲まれた感じ。深く濃い夜の中で目をつぶりながらも描き続けた爪痕が見え隠れする。だけど二十四歳から途端に世界が反転する。ひどく落ち着くのだ。それまで足りなかった何かを見つけてしまったように、不気味な安定をみせる。そしてそこからわずかに哀しみが浮かんでいた。
その中で一枚だけ異質なものがあった。
基本、暁生さんの創る世界は静かで哀しかった。全てが哀しいから、彼の世界の住人は平和だ。哀しみの先にある深い絶望のさらに先の、もう何も失いたくないという願いが穏やかな世界にさせる。けれどその絵だけは違った。深い緑を幾重にも塗り重ねて、そこに胎児の真黒な切り絵が貼り付けられている。帯盤が繋がれた先には枯れた大木。他の絵が見せる饒舌さはない。だから余計に気になった。沈黙することで重大な秘密を隠し持っているようだ。
一度だけ、この絵について話したことがあった。
一息入れようとお茶を飲んでいた時だ。深夜だからとカフェイン抜きのハーブティを入れてもらった(暁生さんがアトリエで飲む飲み物は何故かホットと決まっている。私もそれを真似ている)。独特の香りがしてあまり得意じゃない。両手でカップを持って冷ましながら、例の絵を見ていると、「その絵がどうかした?」と暁生さんが言った。
「なんかこれだけ他と違うなーって思ったから。いつの頃の絵?」
「中学二年」
即答だった。
「じゃあ、今の私と同じくらいだ」
「絵を描きはじめた頃のものだからね。へたくそだろ」
「んーなんかわかんないけど気になる。他にその頃の作品ってある?」
「……ああ、どうだろ? 捨ててはないから探せばどっかにあると思うけど」
「そっか」
それで話は終わったけど、その後でじっと絵を見つめる暁生さんの横顔が見たことないほど真剣だったのを覚えている。この絵は、おそらく、暁生さんにとって思い入れのあるモノなのだろう。それだけは確かだった。
2010/8/9