朝食の支度が整うと、私は暇になった。
テーブルに並べられた、おにぎりと玉子焼きとお味噌汁から湯気があがっている。日本の朝の風景だ(焼き魚でもあればより完成度は増す)。ただ、足りないのはテーブルに座る人。たとえばこれが、万国博覧会会場で、日本の朝ですよーと見せるための展示物ならいいけど、ここは万博ではないし、これは展示品ではない。食べる人がいて、そのために作ったものだ。
「ごはんできたよ」
そう言いに行けばいい。時間も九時になる。私と暁生さんが朝を始めてきた時間だ。だけど体が鉛のように重たくて、二階まで行きつける気がしない。きっと私の重さで途中で階段が崩れてしまう。
席に座る。
温かなご飯を前に、香りだけを飲み込む。
静まり返った部屋に私の吐息だけが聞こえる。
――この家は、こんなにも広かったのか。
考えてみれば、この場所で一人きりでいたことがほとんどない。「休みの日はぐーたらしてるんだぁ。今は虹子がいるから規則正しい生活してるけどねぇ」と暁生さんは何が面白いのか愉快な顔をして言っていたけど、そう言う割には毎日早起きで、私が二階から降りてくると、すでにサッパリした顔で新聞を読んでいる。また、朝食後、ここで宿題を始めるのだけど、暁生さんは後ろにあるソファに寝そべって本を読んだり、ダラダラしたりする。時々、調子っぱずれの鼻歌を歌うこともあり(暁生さんは驚くほど音痴だ)、
「もう、人が真面目に勉強してるのに!」
嫌がらせか、と私が嘆く。どっかいってよ。気が散る。と、結構酷いことも言った。でも暁生さんは、
「だって、他の部屋でクーラーつけたらもったいないじゃないか。エコだよ。エコ」
と笑ってとりあってくれない。私は邪魔だ、と言いながら、でも本当は嫌ではなかった。心底嫌なら、二階の部屋で勉強することも出来たのにそうしなかったのは、暁生さんの気配を近くに感じると、何故だか気持ちが落ち着くから。
後ろを向いて、ソファを一瞥した後、窓を見つめる。太陽光が差し込んできて明るかったけれど、なんだか寂しく思う。ガランとした場所へ降り注ぐ光はその強さの部分だけ、物悲しさが増すのだと知る。
祖母が亡くなった春から、私が居候しはじめた夏まで、ここで、一人で過ごしていたのか。
それは普通に一人暮らしをするのとは少し違うような気がした。いたはずの存在が、ぽっかりと消えていなくなった後に、そこでその人がいた時となんら変わらない日常を送る。噛み合わない感覚になるのではないか。
「起きてたのか」
声がして振り返る。まるで気配を感じなかったけど、暁生さんが立っている。まだ顔を洗っていないせいか、寝癖のついた髪のせいか、だらしなく見えた。左手の甲で左目を拭う仕草は子どものようだ。
暁生さんは一度顔を洗うため出て行って、五分程度して戻ってくると、席に座る。私も座る。「お釜にご飯が残ってたから、おにぎりにした」と伝えると「おいしそうだね。いただきます」と両手を合わせる。私も同じポーズをとる。
暁生さんは、テーブルの中央にある容器に手を伸ばす。小さい方を手にとって鼻先近くで匂いを確認する。もう何年(何十年?)使っている調味料入れなのに、未だにどっちに何が入っているか覚えない。小さい方はソースで、大きい方が醤油。この夏で私は覚えたしまったけど、暁生さんは覚える気がないらしい。祖母や母に注意されても直らない。手にした方はソースだから、私の前に置く。私は卵焼きにソースを、暁生さんは醤油をかける。もう一つの少し大きい方の器を取り、頭を人差し指で押さえるようにして卵焼きにかける。
暁生さんの指は長い。骨ばっていて、ごつごつして、神経質に見える。醤油差しを元へ戻すと、お箸を持って、味噌汁を口に含む。次に玉子焼きにお箸を入れる。一口大に切って頬張るのかと思ったら、お箸を置いて、おにぎりを手でとり食べた。暁生さんのお皿に置いたおにぎりは全部梅干しを入れてある。三つ残っていたので使いきった。酸っぱいはずの梅干しを、顔をすぼめることなく真顔で食べた後、テッシュペーパーに種を出す。私が梅干しを食べ終えた後の、種のじゅくじゅくした感じを気持ち悪いと言ったからだろうと思われた。
食事の間はほとんど会話がない。いつものことだ。だけど、私は、何か話さなければならない気がした。楽しく、笑えるような、明るい話題。考えるほど言葉は出てこない。自然なはずの静けさが、不自然な険悪さに思える。もう、黙ったままでいることが出来なくなってしまったように感じている。私は暁生さんの前で、元気に明るく振舞わなければならない気がしていた。それなのに、やっていることは全く反対で、何も言えず、自分の手元ばかりを見つめていた。そうしている間に食べ終わり、
「作ってもらったから、片付けは僕がするよ」
暁生さんが食器を重ねて炊事場に持っていく。私は「手伝うよ」とも「お願い」とも言えず、後ろ姿を見つめる。炊事場から水の流れる音がし始めると、食卓に座ったまま、置かれてある布巾で台を拭く。拭き終えると、今度は布巾をひっくり返しまた拭く。ピカピカになっても何度も、何度も、拭き続ける。だけどふと、あまりやり過ぎると、布巾に着いた汚れを逆に食卓に擦りつけることになるのではないか、と思い至りやめる。途端、手持無沙汰になる。
――どうしようか。
宿題も終わっているから、ここで広げるものはない。途方に暮れていると、片づけを終えた暁生さんが戻ってくる。
「これから、学校に行かないといけないから」
告げられた言葉に反応して、昨日のことを報告しに行くの? それとも、新学期の準備? というセリフが脳内に浮かんだが言えない。相変わらず黙ったままの私に「夕飯までに戻るよ」と言って、暁生さんは部屋に戻ってしまった。着替えのためだろう。
私は大きく息を吐く。
何をしているのだろうか。さっぱりわからない。暁生さんは普通だ。ぎこちないのは私の方だ。気を使わせていることは明白だった。本来なら、私の方がそれをしなければならないのに。
暁生さんは支度を整えると、もう一度リビングに顔を出して、「じゃあ、行ってくるよ」と出ていく。「いってらっしゃい。気をつけてね」ぐらいは言えるだろうと思われたが、喉の当たりで引っかかって声を失ったように音にならない。結局私は食卓の椅子に座ったまま、暁生さんが出ていくまでじっとしていた。
暁生さんの気配が完全になくなると「何やってるんだろう」と呟きが漏れる。
ちゃんと、声は出る。それなのに肝心なところで何も言えない。こういう時、適切な言葉が思いつかない(最も、わかったとしても、実際に言えたか疑わしかったけれど)。
何かを壊すことは出来ても、そこから再構築させることは難しい。よく聞く話だけれど、実際に自分がそのような状況に追い込まれて改めて痛感する。
もし、もう少し私が子どもだったら無邪気に話しかけられたし、あるいは逆に大人だったら何事もなかったように振舞うことが出来たかもしれない。だけど生憎、私は中途半端だった。自分がしたことに自分で打ちのめされ、後悔し、うじうじして、押し黙るしか出来ない。悪いことをした、と思っても、それを償う方法がわからない。
大きく息を吐く。ため息をつくと、幸せが逃げていくと聞いた。もしそれが本当だったとして、逃げた幸せが暁生さんのところへ行ってくれるならいい。それならば私は毎日毎日、ため息をつき続ける。と、バカなことを真剣に願ってしまう。だけど、誰かの幸せをもらって、自分が幸せになることを、暁生さんは望まない気もする。余計に悲しませるだけかもしれない。
普通に振舞えないのならば、ちゃんと話そう。――きっと、それが一番最善だと思われた。戻ってきたら、話そう。何が出来るかわからないけれど、何か出来ることがあるかもしれない。心の中で繰り返す。強く言い続ければ覚悟が決まるかと思ったが、心もとなさは消えず、私はもう一度、はぁ、と息を吐いた。
2010/12/18