BACK INDEX NEXT

しぐれごこち 06

 
 元気をなくした私たちはそれでも折角来たのだから、お参りしていかないとね、と鳥居をくぐった。霊感などないけれど、神社の敷地内に入ると気持ちが綺麗になったような気がした。濁った感情を鎮めてくれるような、澄んだ空気がある。それは暁生さんも同じようで、「なんだか背筋がピンと伸びるね」と言った。
 右手にある手水舎で身を清め、本殿の手前の礼拝用の建物である拝殿への道を人の流れにまかせてゆっくり進んでいると、暁生さんは財布を取り出した。賽銭箱の前は混雑するので今のうちに渡しておくね、と、ご縁があるように五円をくれる。
「自分で出すから良いよ」
「ご縁は巡ってくるものだから、人からもらった方が効果ありそうじゃない?」
 そんな話、初めて聞いた。
 そうだとしたら、と私は自分の財布から五円を取り出しギュッと握りしめて念を送る。私の祈りと、暁生さんの祈りの相乗効果が起こればいいな、と気持ちを込めて渡した。暁生さんは素直に「ありがとう」と受け取ってくれた。
 それにしても、どうして五円なんだろう。昔から不思議だった。「円」という単位はすでに「縁」を意味するから、百の縁があるように百円とかでもいい気がする。それとも神様に頼むのならやはり丁寧に「御」を付けなければならないのだろうか。或いは数字合戦になって、お金持ちが神様に贔屓されてしまうからだろうか。
 暁生さんは何と答えるだろう。
 気になって聞いてみると、
「百は多すぎるからじゃない? そんなにたくさんの縁がきたら大切に出来ないものも出てきそう。だからさ、いいご縁をお願いします。具体的なところはお任せしますので、いい塩梅で一つよろしく、みたいな曖昧さで濁しているとか?」
 暁生さんは両手をすり合わせてお願いするような仕種をした後、今度は手を揉んだ。それがなんともいえず様になっていて思わず噴き出した。だけど言っていることはなるほどな、と思った。数が多ければいいという問題ではない。いくら良縁がたくさんやってきても、自分にそれを受け入れる器がなければ、無駄にしてしまう。
「足るを知る、ってことだね」
 私が言うと、「難しいこと言うね」と暁生さんは眉を寄せて考え込むような顔をした。それから、
「身の丈を知る、とも言いかえられるね」
「なんか対抗してる?」
「虹子には負けてられません」
「そういうところが子どもなんだよ」
 呆れた、というと、暁生さんは笑った。
 賽銭箱付近はやはり混雑していた。
 暁生さんは私が人ごみでもみくちゃになってしまわないように、背後に立ちガードしてくれた。洋服ならばもっと身軽だけど、浴衣となるとなかなか難しい。着崩れてしまったら自分で直せないというのも慎重になる理由だろう。
 どうにか最前列までたどり着き、お賽銭を入れる。自分の投げ入れた五円玉が箱の中に落ちていくのを見届けて手を合わせた。
 無事にお参りを終えて、鳥居まで戻ると一仕事終えたような達成感がある。
「なんだかさっぱりした」
 私が言うと、
「不思議とね。お墓参りの帰りとかこういう感じになる」
 神妙な面持ちで暁生さんも言った。
 そうだ。あの清々しさに似ている。神社参りと先祖供養は同じなのかもしれない。目に見えないものに祈りをささげる。神であれ、亡くなった人であれ、祈りは祈りだ。そこに違いなどなく、同じ。そうなのかもしれないなぁと少しだけ思った。
 それから、私たちは再び通りに戻り、母に頼まれていたベビーカステラとチョコバナナの代わりにトウモロコシを買った。香ばしいいい匂いがする。
「花火も買って帰ろうか」
 暁生さんの提案で、花火の屋台で、噴出花火を三本と手持ち花火を購入する。やっぱり花火といえば線香花火だろうと多めに買った。
「どっちが長持ちするか競争しよう」
「いいよ。どうせなら食事の後片付けを賭けよう。負けないよ」
「虹子は意外とギャンブラーだね」
「大袈裟だよ」
 そんなことを言い合いながら出店が並ぶ通りを抜ける。
 帰り道は何事もなかった。ほっとする。
「通りを抜けると、嘘みたいに人がいなくなる」
 暁生さんは通りを振り返って言った。
「あそこだけ密集しているものね」
 私は答えた。すると、
「本村さん?」
 後ろから声がする。そちらを見ると五メートルほど先にある外套の下に女の子が三人立っている。同じクラスの子だ。
「やっぱり本村さん。なんだか雰囲気違うからわからなかったよ」
 雰囲気が違うのは浴衣だからだ。
 彼女たちは私に近づいてきて取り囲まれた。
「浴衣、いいね。とっても似合ってる」
 山崎さんが言った。彼女は活発で人懐っこく面倒見がいい。クラスでも目立つ存在だ。私とは対極にいるような女の子。あまりにも違いすぎるものだから、彼女と話すとき妙に緊張する。どのようなことを言えばいいかわからない。
「……ありがとう。これ、祖母の手作りなの」
「そういえば、本村さんのおばあさん、お裁縫が得意なんだよね。小学校の時も素敵な手提げ袋持っていたよね」
 今度は、片岡さんだ。彼女とは小学校から同じだ。やっぱり明るい子で、私とはあまり関わることはなかったけど、何度か同じクラスになった。祖母お手製の作品を真っ先に誉めてくれたので印象深いが、それを今も覚えていてくれたことに驚いた。
「そうなんだ。手作りとかいいなぁ」
 最後にそう言ったのは、川村さん。ふわふわした綿菓子みたいな可愛らしい女の子。三人は仲良しで、どこへいくのも一緒だ。今日も例外ではない。
「もう行ってきたの?」
「うん、帰るところ。みんなは、これから?」
「そう。間宮君と仲村君と待ち合わせしているのに、まだこないの」
「そうなんだ」
 なんてことない会話。だけどそわそわしてしまう。
 私はチラリと暁生さんを見る。少し離れた位置で、右手にベビーカステラとトウモロコシと花火の袋を提げて、左手はパンツのポケットにつっこんで立っている。目が合うと笑った。それに気付いた、川村さんが、
「もしかして、本村さんの彼氏?」
 驚いた。確かに暁生さんは若く見られるけれど、彼氏だなんて。あるわけない。
「まさか、違うよ。叔父さんだよ。夏休みの間、居候させてもらってる」
 慌てていうと、三人は残念そうな顔をした。期待に添えなくてなんだか申し訳なくなった。
「本村さん落ち着いているし大人っぽいから年上の彼氏がいそうなのに」
 落ちて着いていて大人っぽい。自分では感じたことがないけど、人からはそのように見られているのか。聞きなれない言葉に躊躇いは大きかった。私が何も言えずにいると、彼女たちは更に、
「年上の彼氏と言えば、三組の西野さん、岡本先輩と付き合う事になったの知っていた?」
「え、何? 知らない」
「っていうか、さっき二人で私たちの前を通ったじゃない」
「えーうそー。どうして教えてくれなかったの!」
「言ったじゃない! 聞いてなかったの?」
 完全に私は取り残されている。
 こういうとき、どうしたらいいのだろう。
 抜け出すタイミングを掴もうとするが、おしゃべりをやめてくれない。彼女たちは、おそらく人柄がいい。秘密主義でひそひそすることはなく、私のようなそれほど仲が良くない人間を前にしても、堂々と会話して、その内容を聞かせてくれる。誰かを疎外して、自分たちの仲の良さを見せつけるような女の子特有の感情はなく、爽やかだ。だけど、それが返って困る。とりあえず、私は笑っていた。「そうなんだ」「へー」「すごいね」と思いつく感嘆詞を片っ端から口にして、なるべく楽しんでいるように振舞う。言葉を知らな小さな子どもになったような消耗していく感覚が胸を軋ませる。
 そうしていると、
「山崎」
 声がして、会話が中断される。仲村君だ。その後ろに、間宮君が立っている。待ち合わせをしていると言っていた。到着したのだ。
「遅ーい。すごく待ったんだから」
「悪ぃ。ちょっと時間間違えてた」
 彼女たちの意識は一瞬でそちらにむく。この機会を逃してはならない。「じゃあ、私は行くね。また学校で」と述べて輪から離れた。
「またね本村さん」
「あれって本村か。誰かわからなかった」
「ひどい。それひどくない?」
「いや、浴衣とか見慣れないから」
 そんな会話を背中で受けたけれど、振りかえらず暁生さんの傍に戻る。
 暁生さんは相変わらずのんびりと笑っていた。
「もういいの?」
「うん、早く行こう」
 一刻も早く去りたい。私は先を歩く。暁生さんがついてくるのは気配で分かった。
 輪から抜け出してきたのに、帰るためにはまた彼女たちの横を通らなければならない。微妙だったけど仕方ない。私は素知らぬ顔でそそくさと通り抜けてしまうつもりだったけど、彼女たちは私に気づき、「じゃあねー」と声をかけてくれた。そっとしてほしいのに、と思うけれど、悪意はなく(むしろ善意)、私はどうにか「うん、また」とだけ返した。でもその輪の中でただ一人、間宮君だけは黙ったままだ。チラッと見たが口は動いていなかった。間違いない。
 間宮千昭。私の幼馴染で生涯で初の友達。幼稚園からずっと一緒で、子どもの頃はよく遊んだ。お風呂まで入った仲だ。だけど小学校にあがってすぐ、「女と仲がいいなんて、お前はおかまか」とクラスメイトにからかわれて以降、あっさり私を無視するようになった。そして、それは今も。私たちが実は仲が良かったことなど知っている人はもういないだろう。私のアルバムに、間宮君の幼い頃の姿が映っているなど。
 数メートル歩くと彼女たちの大きな笑い声が聞こえた。楽しげな声に、足どりが速まった。

 夜道を歩く。来た時と同じように私も暁生さんも無口だったけど、私の方が前を暁生さんが後ろを歩いているところは違う。それから、気分も。全く違う。
 脳裏に浮かぶのは、先程の光景。クラスメイト達との会話だ。意地悪されたわけでも、嫌がらせを受けたわけでも、無視されたわけでもない。その真逆。親しく声を掛けられ、会話し、機嫌良く別れた。それなのに、なんだかすごく叫びたいような感じに襲われていた。
 いつもこうだ。一人になると「私、変なこと言ってなかったよね?」「場違いなこと言ってないよね?」「不愉快にさせるようなこと言ってないよね?」そんなことばかりを考えて、憂鬱でたまらなくなる。だから、何も言わず、にこにこしているだけに留めるようになったけど、そうすると今度は「大人しいね」「静かだね」と言われる。つまらない人と言われている気がして辛い。嫌われたくない、という気持ちが強すぎるのだろうか。それとも別の何かがあるのだろうか。わからない。ただ、話をするのも、話をしないのも、どちらも私を不安にさせる。それならば一人きりでいる方が落ち込まない。気楽だ。いつ頃からか、そう思うようになった。
「虹子。虹子ってば」
 はっとなる。振りかえると、暁生さんが立ち止まっていた。
「ぼけっとして、どうしたの?」
「なんか人酔いしたみたい」
「そう? じゃあ、ちょうどいいや。ちょっと寄って行かない? 一本だけ線香花火していこう」
 公園を指差している。そのような気分ではなかったけれど、あまりに唐突な提案だったのと、公園入り口の街頭に照らされた暁生さんの顔がなんだか頼りなくみえて、断ったら傷つけるのではないかと不安になり、うんとうなずいてしまった。
 私が返事をすると、暁生さんは公園に入っていく。私も続く。
 公園は静かだった。誰もいない。ブランコの前のベンチに腰掛ける。
 このベンチは、昔、図書館が休館であることを忘れて、でも家にも帰れずに、行き場がなく座り込んでいたら、暁生さんが私を見つけて声を掛けてくれた場所だった。あの時、暁生さんがヒーローに見えた。ピンチに駆けつけてくれるヒーロー。優男という雰囲気だから、熱血タイプのレッドや、クールなブルーにはなれないけど、レッドとブルーの喧嘩を「まぁまぁ、そんなこと言わずにさ」となだめる気のいいグリーンといったところだ。私は昔から小さなことを見逃さず大切にするグリーンが一番好きだった。
 花火の袋から線香花火を二本取り出すと、「ちょっと持ってて」と渡された。黙って受け取る。暁生さんは袋からマッチを取り出し擦った。私は左右に一本ずつ持って、火がつくのを待つ。右、左の順で火をつける。ジュワワワっと小さな音と共に火花が弾き出す。暁生さんはマッチの火を吹き返して、私の左に座ったので、左手の線香花火を渡した。
 小さな火花がやがて丸まって大きな火種になる。少しでも動かすと落下してしまうから注意が必要だ。私は左手で右手の手首を押さえてぶれないように固定した。赤というより朱色のそれをじっと見ていると、
「友だちって必要なの?」
 するりと出た言葉に驚いたのは私自身だった。だけど、聞いてみたかった。暁生さんなら何と言うだろうか。
「いてくれたら、楽しいと思うよ。でも、必要かどうかはわからないな」
 暁生さんを見る。視線はまっすぐに線香花火に注がれたままだ。 脈略のない問いに「どうしたの?」「何、突然」と笑ったり訝しがったりせず、静かな声だった。必要、でも、必要じゃない、でもなく、わからない。あなどられていないな、と思った。私を子どもだと思って当たり障りのないことを言っているのではない。そして、「わからない」という言葉が私を安心させた。そうか、暁生さんでもわからないのか、と。曖昧なままなのに、何故だか不思議と心が軽くなる。
 線香花火がボトリと落ちる。
「虹子の負けだね」
 すかさずに暁生さんが言った。
「……ちょっと待って。火をつけたのは私の花火の方が先だったから、フェアじゃないよ。この勝負は無効だ。同時に着火したものじゃないとダメ」
「自分が負けたからってそんなクレームつけるなんて、大人げないなぁ」
「じゃあ、この勝負を入れていいから、三回勝ち抜けにしようよ。後二回、勝負しよう」
「えー、しょうがないなぁ」
 暁生さんはちょっと抵抗したけれど、私の提案を受け入れ、花火袋から線香花火を取り出した。その後、二戦は私の圧勝だったけど、夕食の後片づけの件はなかったことにしてあげた。



2010/10/26
2010/11/19 加筆修正

BACK INDEX NEXT

Designed by TENKIYA