八月に入って最初の週末。父方の実家へ行くことになり一度家に戻った。
例年はお盆に行くのだが、今年は母方の祖母が亡くなって初盆だからこちらを優先させる、と母が主張し、事前に父方の実家へ出向くらしい。
戻ると、父はすっかり支度を終えていて、嬉しそうだった。
「ちょっと、ガソリン入れて洗車してくるから、着いたらワンコールする。ケータイの方にかけるから気をつけてて」
車のキーのついたケースを人差し指にひっかけて、くるくる器用に回しながら玄関へ向かった。本当に、ご機嫌だ。
父が出て行ったのを確認して、それでもまだ戻ってこないか用心して、玄関先を見つめながら、
「私も行かないといけないの?」
と告げた。
父の実家は祖父母と、七年前に離婚して戻ってきた父の姉とその娘の愛子ちゃん(私より一つ年上)が暮らしている。私は愛子ちゃんのことが苦手だった。出来るなら会いたくない。
「当然。一蓮托生よ」
母は鏡台の前で、化粧をしていた。鏡越しに目が合う。
「その使い方変だよ」
母も行きたくないのだ。私が愛子ちゃんを苦手なように、母も伯母さんが苦手だったから。
無理もないなぁ、と思う。伯母は父のことを顎でこき使う。見ていて気分がいいものではなかった。子どもの私がそうなのだから、妻である母はもっと複雑に違いない。
こき使うだけならまだましだ。伯母の態度は、実の弟を従える男勝りの姉、というのではなくて、自分の旦那様と勘違いしているのではないかと思われた。
愛子ちゃんの学校行事に父を呼び出すのだ。
忘れもしない。あれは、小学校四年生の運動会。父が転勤から戻ってきたばかりの年で、まだ父との関係が良好だった頃。初めて父が運動会を見に来てくれる。私は楽しみにしていたのだ。ところが、私の運動会と愛子ちゃんの運動会がかぶってしまった。そして父は愛子ちゃんの運動会を優先させた。
父曰く「離婚して大変なんだ。愛子も、父親がいなくて寂しいんだろう。虹子は一緒に暮らしているのだからいいじゃないか」ということになるらしい。「夫婦生活をしている母、両親が共に揃っている私」と「離婚した姉、母親しかいない姪」を天秤にかけて、恵まれている母と私より、可哀相な姉と姪によくしてやるのは当然という図式なのだ。あまりにも単純な式に、私は頭痛がした。
父のこういう価値観に全くついていけない。博愛主義というのはこういうことなのだろうか。悪い人ではないかもしれないが、夫、父親としては微妙だと思われた。
それに伯母も変だ。普通こういう場合、遠慮するものではないのか。だって父は、愛子ちゃんの叔父である前に、私の父なのだ。離婚したのは伯母さんの勝手だ。愛子ちゃんは可哀相かもしれないけれど、どうしてそれで私が我慢することになるのか理解できなかった。
一緒に暮らしていても、特別な日というものが存在する。普段はどうだっていいから、そこだけはキッチリ押さえておかなければならない、というのが。運動会はその一つだ。両親がいるのに、おまけに来られるのに、他所の家の子を優先するなんて。怒りも憤りも出てこない。悲しみを突き抜けて茫然とした。
「来年は虹子を優先させてくれるから」
母は慰めてくれたけれど、怒っていたのを知っている。その日から、しばらく、両親は無言だった。ギスギスしていた。そんな二人を見ているのが辛くて、私は明るく振舞った。ふてくされて悲しんでいたら、いつまでたっても二人がぎくしゃくしたままと思ったから。
それ以降、流石に、そのようなことはなかったけど、今も父は伯母と愛子ちゃんに弱い。呼び出されると可能な限り行く。父はそれが正しいことだと信じているので、文句を言っても機嫌を損ね、「お前たちは思いやりの欠片もないのか」と言われるのがオチだった。
私は自室に戻ってお気に入りのCDを引っ張り出した。車の中で聴くためだ。せめて、好きな音楽を聴かなくてはやっていられない。
選んだのはマイケル・ジャクソンのTHIS IS IT。洋楽は聴いたことがなかったけど、去年、急死した後、映画「This is it」を観て魅せられた。その後、いろいろ調べているうちに、彼も両親、特に父親との関係性に悩んでいたことを知った。二〇〇一年にオックスフォード大学で行った講演を聴いて感銘を受けた。
彼は講演で、父の生い立ちを省みることで父を受け入れていったと述べていた。父も苦しかったのだ、と。私を愛そうとしていたけれど、その方法がわからなかっただけ。父なりに愛そうとしてくれていた。私にはちっともたりない愛だったけど、愛がないわけではなかった。と。
それがわかったと泣いていた。
それで、私も父の生い立ちを考えてみた。
祖父母は定食屋さんをしていて、幼い父の面倒は四つ年の離れた伯母の仕事だった。遊びに行くのも我慢して世話をしてくれた。父と伯母の結束は固い。あの頃の恩を少しでも返そうとしている?
父の立場に立ってみれば、なるほどなぁ、と思わなくはない。だけど、やっぱり私は父の行動をよしとは出来そうになかった。
CDを手にリビングに戻る。母の支度も出来ていた。タイミング良く、電話がワンコールで切れる。父が戻ってきた合図だ。
「行きたくないよ」
私はもう一度口にした。言ってもどうにもならないとわかっているけど、それでも言葉にしないとやりきれないことがある。
「お母さんだって行きたくないわ」
母まで言う。
「こういうとき、普通の親なら慰めたり宥めたりするんじゃないの?」
「親だろうが、大人だろうが嫌なものは嫌なのよ。仕方ないから行くの。わかった? さ、行くわよ」
無茶苦茶で説得力の欠片もないけれど、一層清々しかった。
私たちは盛大なため息をつく。
これから、戻ってくるまで、母だけが味方だ。それは母にとっても同じだろう。父の実家に行く時、私たちはひたすら我慢するしかない。母と私が何より協力的になる行事だ。今日も、頑張ろう。
覚悟を決めて、家を出る。
マンションの下に着くと、少し進んだところに車が止まってあった。母が助手席、私は後ろのシートに座った。昔は、シートにゴロンと横になって眠っていたけど、中学生になってからやめた。みっともないと感じるようになったから。シートベルトをして、大人しく座っている。
「あ、このCDかけて」
母に持ってきたCDを渡す。
やがて、派手なオープニング曲が流れ始める。
「洋楽か?」
父が聞いてきた。
「うん、マイケル・ジャクソン」
「虹子はマイケル・ジャクソンが好きなのか」
「にわかだけどね」
好きな音楽に囲まれてしばしのリラックスタイムに入る。嫌な顔せず、にこにこして過ごすためには英気を養はねばならない。シートに沈み込んで、流れる風景を眺める。真っ青な空に、真っ白な雲が浮かぶ光景を見つめて気持ちを整えていく。
父の実家は、車で二時間半だ。近くはないが、遠くもない。もっともっとずーっと遠ければよかったのに。そしたら行かずに済むのに。うっかりするとネガティブな方向へ考えが流れる。用心が必要だ。
「あ、お菓子持ってきてるよな?」
父が慌てたように言って、
「ええ、虹子、持ってきてくれてるよね?」
母が更に私に言った。
「うん、あるよ」
私は隣に置いてある手土産の紙袋をルームミラーに映るように掲げた。
「ああ、よかった。ここのお菓子、愛子が好きなんだよな」
父は心底安堵したように言った。
私の好きな音楽は知らないのに、愛子ちゃんの好きなお菓子は知っているんだなぁ。と、何とも言えない気持ちが広がる。父に悪意がないのはわかっているけど、もやもやした。
車中は静かだった。おしゃべりな母も黙り込んでいる。ささやかな反抗だけど、父はそんなもの気にする様子はない。口笛を吹いて、楽しげだ。私と母はこっそり目を合わせ苦々しい顔をする。
「遅くても八時にはあちらを出ましょうね」
母が念を押す。八時でも遅いぐらいだ。
「おいおい、着く前から帰る話なんて、どれだけせっかちだよ」
まったく、鈍感だ。
母は父の何がよくて結婚したのだろうか。さっぱりわからない。それでも普段の父と母はけして仲が悪い夫婦ではない。
「今しとかないと、あちらでそんなこと口に出来ないでしょう? 約束よ。どんなにお酒をすすめられても呑まないでよ」
たぶん、絶対、お酒を呑まされるだろう。泊まって行けばいいのよ。明日お休みでしょう。たまには実家でのんびりしなさいよ。いつもお嫁さんに気を使って大変でしょう。伯母は母の目の前で平気でそのようなことを言う。失礼だと思わないのか。そんなんだから離婚したんだ。と、私は言いそうになる。言ったら言ったで、きっと母が悪く言われるだけだから我慢するけれど、悔しい。私は、母に害を及ぼさず、あの伯母をやり込める方法を知らない。悔しくて、やるせない。
「わかってるって」
父は簡単に答えた。言い方から、絶対に適当に言っているだけだと思われた。こういうところが私が父を好きになれない理由だ。父にとって、伯母と愛子ちゃん、その次は自分、それから母と私、なのだと思う。家族に甘えている、と言えば聞こえはいいが、一番割を食うのは母だから許せない。
「あなたが呑んで酔うようなことがあれば、私が運転して帰りますから」
頼りない父を当てにしても仕方ない。母はこの日のために、運転免許を取得した。正確には暁生さんの指導の元、脱・ペーバードライバーを果たしたのだ。最悪、母の運転で戻ってこられるだろう。夜道の運転は心許ないそうだけど、それで事故に遭って死んだって、あそこで泊まるよりずっといいと思った。
2010/11/1