
Stick one's neck out
「自らの命と引き換えに」ドラマなんかである究極の選択ね。自分の命と相手の命と、どちらかを選ばなければならないならどうする? そりゃ命あってのモノダネでしょ。自分が生きることを選ぶ。緊急避難――自分の命の危険がある時は人を見殺しにして罪には問われない――憲法でだって認められているしね。私は自分が生きることを選ぶ。ずっとずっとそう思ってきたの。
「本当にいいんですね?」
「決めましたから」
私に迷いわなかった。私はこの子を産むの。決断に周囲は驚いたようだった。
だって、妊娠がわかったとき嬉しかったんですもの。喜んでる自分に驚いたわ。子どもなんて嫌いだった。すぐ泣くし、たまったものじゃない。自分の子は特別? そんなことあるわけないって思ってた。けど、あれは本当ね。「三ヶ月です」と告げられた時、じんわりと体の奥が温かくなったの。私に母性なんてものがあるとは思わなかったわ。
でも、人生はうまくいかないものね。私の体は出産に耐えられないかもしれないと医師に言われた。
何それ。今更よ? もう私のお腹には生命が宿っているのよ? 「 どうします?」と平然と尋ねる医師が悪魔に見えた。どうするもなにも産む以外の選択なんてなかった。
反対する人もいたわ。
「母親のいない子にするつもり?」
言葉が、私の胸に突き刺さった。
私自身、両親との関係が希薄だった。面倒を見れないなら子どもなんて産むなと思っていたから。
自分の子に同じ思いをさせるの? お腹の子は私を恨むかもしれないわ? いじめられるかもしれないし、肩身の狭い思いをするかも。卑屈になったり、荒むかも。この世は優しくないし生きやすくもない。守ってやることもできない。この子一人をほっぽりだすの?
それでも私は産むことに決めた。
やっぱり私は自分勝手なのね。私が産みたいから産む。この子のことなんて考えていないのかもしれないわ。
分娩室に入り、痛みで卒倒しそうだった。頑張ることは嫌い。なんでも投げ出してきたけど、今度ばかりは止めることはできない。助産婦さんや看護婦さんに励まされながら私は必死だった。人の声がこんなにも力強く思えたのは初めてよ。
「おぎゃぁあ」
「ああ、元気な女の子ですよ」
ようやく対面できた子をすぐ抱かせてもらった。くしゃっとしててちっとも可愛くなかったけど愛おしいかった。抱いていると泣きやんで、その顔を愛おしいと思う。
私の子。無事に産まれたのね。五体満足で健康に産まれてきてくれた。ねぇ、とろくさい私にしては上出来じゃない?
気が抜けて、なんだかもうどうでもよくなったわ。ごめんなさい。あなたを育てることは出来ないみたい。貴女のパパはしっかりした人だから大丈夫よね。
羊水の匂いの残る頭にそっと唇を寄せる。
ああ、この匂い。懐かしい。遥か昔、私もこうやって生まれてきたのね。そして、ここへ還るんだわ。おやすみなさい。私の子。いつか、また、会える日まで――。
※Stick one's neck out 意味:危ないことをする、又は、抱いてキスをする
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2009/10/23