蜜と蝶
夏 越 祓 11
栞祢に案内されて客間に入り彩未を降ろした。叫ぶのは止んでいた。栞祢が熱いお茶と羊羹を出してくれる。彩未は泣いている時には甘い物を与えると収まる。楊枝でついて一欠片を渡すと「いらない」と拒否した。
「彩未の好きな端っこだ。食べなさい」
「……」
「ほら」
強引に渡すと受け取った。
「食べなさい」
齧る。一口齧って涙を流し、空いている方の手で目元をこすった。それからまた齧る。食べては泣いて、泣いては食べるを繰り返す。食べ終わったので新しい一片を渡してやる。また齧る。三片ほど食べたところでようやく完全に涙が止まった。お茶を渡してやる。彩未は猫舌だが丁度いいぐらいに冷めていた。大声で叫んでいたのと、甘いものを食べたのとで、水分が欲しかったのだろう。一息に流し込んだ。
これなら連れて帰っても大丈夫だ。
私は帰り支度を始めた。
――帰ろう。
事情を聞く必要はない。これほど癇癪を起しているのだ。余程のことがあったのだ。もう引き離してしまった方がいい。彩未は大人しくしていた。従うだろう。
日も暮れかかっている。急がなければ、と立ちあがると、彩未はそれに続いたが、それを待ちかまえていたように朝椰が部屋に入って来た。
私たちの姿を見ると「帰るのか」と見た通りを言葉にした後、
「私は柊夜が可愛い。お前のような我儘娘とは別れてくれた方が嬉しい。だからこのまま朝比奈に帰ってくれれば万々歳だ。だが、一方的に柊夜が悪者にされるのも我慢ならない。帰るなら私の話を聞いてから帰れ」
と告げた。
この期に及んでまだ彩未を我儘と言うのか。苛立った。話など聞く必要はない。どうせつまらないへ理屈だ。こんなところに一秒たりともいたくない。そう思ったが話も聞かず逃げ帰ったと後々言われるのは癪だったので聞いてやることにした。
再び座りなおし、座卓に向かい合って座る。彩未は私の隣で咳をしていた。大声で叫んだから喉を傷めたのだろう。可哀相に。熱が出なければいいが……。
「それで、お話というのは? 」
早く終わらせて帰りたいので、と続けてしまいたいぐらいだった。朝椰は私に一瞥くれた後、彩未を見た。彩未は視線を受けて見つめ返していた。まるで先に逸らした方が負けだと主張し合っているようだ。呉羽当主として様々な場面でそんな駆け引きをしてきた男相手に、一歩も引かずに睨みつけている。先に朝椰の方が力を抜いた。
「お前はなかなか根性がある。だが忍耐はない」
誉めているのかけなしているのか。それから更に続けた。
「お前の言い分は夕凪から聞いている。柊夜がいかに無神経で、無理解で、お前の話をきいてやらずに、手前勝手な振る舞いをしていたか。なるほど、と思った。だが、その解釈も一方的だと私は感じた」
朝椰はチラリと私の方を見たが、すぐに彩未に視線を戻した。
「お前が腹に据えかねたのは柊夜が栞祢を引き合いに出すことだ。それは間違いないな」
「はい」
「誰かと比べられる。それは辛いことだ。お前が悲しむのも無理はない。柊夜が悪い。私からも言った。もう言わないだろう」
信じられるか。アホたれ男のことだ絶対繰り返すに違いない。彩未を見ると複雑な顔をして黙っていた。
「だが、そもそも遡ればどうして柊夜がそんな愚かなことを口にする状態になったのか。それはお前が約束を破ったからだ」
「だって――」
「わかっている。お前が『約束をしていない』のはわかっている。だが聞け」
「……」
「いいか。今日、先ほど、お前の口から『約束なんてしていません』と聞くまで、柊夜は本気で疑う余地なく『約束をしている』と思い込んでいた。勝手に思い込んだ柊夜が悪いとかそういう話は後でする。今は、『約束した』と信じていた柊夜の気持ちを話す。いいな? 」
「はい」
「柊夜は『約束しているから守ってくれる』と思っていた。そんな柊夜から見たら、お前は実に不誠実な人間だ。約束を破り一人で出歩くのだから。酷い話だ。だけど柊夜はその度にお前を許し今度はしないように言った。寛容だ。だが繰り返されるうちにいい加減堪忍袋の緒も切れる。そこで家で大人しくしている栞祢を引き合いに出した。見本の掲示だ。親が子によくやるような『ほら、お姉ちゃんを見てみなさい。出来てるでしょう? こうするんだよ』というような意味合いだ。それがいい方法かどうかは微妙だが、柊夜の気持ちはそうだった。比べる気などさらさらない。だからお前が『栞祢と比べられたくない』といくらいっても柊夜には理解できない。どうしてそれを比べていると解釈されるのかわからない。それが柊夜の見方だった。一方お前の解釈はまた別だ。『約束していない』お前にとっては約束していないことを『約束したのに破った』と怒りまくる柊夜は勝手だ。憤慨するのも最もだ。あまつ栞祢を引き合いに出して『どうして守れないんだ』と言われても納得できないだろう。だが、『約束していた』と仮定して考えてみろ。柊夜の気持ちは納得できるはずだ。違うか? 」
「……」
「柊夜は理解できると言ったぞ。『約束していなかった』とお前が思っていたと知り、その上でお前の言動を振り返ったら『納得できる』と認めた」
彩未は何も言わなかった。そんなにあっさりと理解するものなのか。怪しむのは当然だ。朝椰は彩未の反応を待っていたが俯くのを見て先を続けることにしたらしい。
「それから、お前は柊夜が話を聞いてくれなかったと主張しているようだが、柊夜は本当に聞かないのか? 」
全ての原因だ。あの男が彩未の言葉を遮り聞いてやらない。誤解を解こうとした彩未を無視し続けた。言葉がうまくない彩未が必死で言おうとした言葉を聞きいれてやらなかったのだ。それを「本当か? 」などまるで彩未の主張を疑っているような発言だ。失礼極まりない。これは私が言ってやらねばならないと思ったが、
「聞いてくれません。言おうとすると『だってじゃない』って言う」
と自分で言った。彩未も憤慨している。大きな声だった。また感情が爆発するのではないかと心配した。手をつけていない私の分のお茶を彩未の前に出してやるとそれをまた一息に飲んだ。一方で朝椰は悪びれた様子はない。自分がどれほど不躾なことを口にしているか。朝椰にしたら柊夜が可愛いから庇いたいのだと思った。それが彩未を傷つけるなど考えない。やはりこの兄弟はろくでもない。話を聞こうなどするのではなかった。私がついていながら彩未を守ってやれなかった。失態だ。だが、
「それは怒っている時の話だろう? そうではなく、冷静になっている柊夜はどうだった? それでも聞いてくれなかったのか? 」
朝椰は言った。彩未とは逆に静かな声だった。冷静な物言いだった。
「怒っている時は誰だって感情的になる。相手の話なんて聞けない状態だ。お前だって先程癇癪を起したとき、柊夜の言葉を聞き入れなかっただろう。私とてそうだ。栞祢と喧嘩した時は栞祢のいい分など聞かない。自分を主張する。だが冷静になってから栞祢は私に『あの時は私はこう思ってました』と告げてくる。私の思っていたことと全く違う解釈をされていて驚くが、そういう気持ちでいたなら、なるほど、お前の言い分はもっともだと納得する。お前はそういうことを柊夜にしたことはあるのか? 」
「……」
「違うな? お前は平静な状態の柊夜には話したことがない」
朝椰は大きく息をついた。
「確かに柊夜は強引だ。あれも甘やかされて育ったから人の心の機微には鈍感だ。自分本位なところはある。お前が苛立ちを感じる気持ちはわからないでもない。だがな、柊夜はけして話を聞かない男じゃない。『聞ける状態』の時なら聞く。お前は『聞いてもらえそうな状況の時に言う』という発想が足りない。それは怠慢じゃないか? 全ての手を尽くしてやれることはやって、もうこれ以上伝えようがないというところまでした。それでも柊夜が聞かなかったのなら柊夜が悪いと私も認める。だがそうじゃないだろう? お前は本気で柊夜に伝えようとはしていなかった。すぐに諦めた」
聞いてもらえそうな状況の時に言う――それは最もだった。
それから朝椰は私に視線を移した。
「お前は『気持ちを伝えるのが苦手な彩未が言おうとした。よく頑張った。それなのに聞いてやらないなど酷い。もっと聞いてやれ』と主張する。だが、それを言うのならば、人の話を遮ってしまうのが柊夜だ。『強引に言われれば聞く。どうして言ってやれなかったんだ。ちょっと遮ったからって言わないなど冷たい』という主張も聞いてやらねば不公平だろう」
――……。
「別にお前の考えが悪いとは言わない。人にはそれぞれに生まれ育った環境があるし、性格もある。彩未にとってそうしてやることが必要だったのだろう。これまでは。だが、いつまでもそうしているのは問題だ。これからの彩未にとっては害になる。お前の態度が『甘やかし』にしかならなくなっていく。彩未はいつまでも子どもではない。そうだろう? 」
朝椰は再び彩未を見た。
「柊夜は人の話を遮ることがある。お前が委縮してしまうのもわかる。だが柊夜は今回のことでお前の性格を知った。今後は理解するよう努力すると言っている。人の性格など簡単に変わるものではない。失敗することもある。それでもお前と共にいたいからやってみせると言っている。だが柊夜が一人で頑張っても溝は埋まらない。お前からも歩み寄ることが必要だ。お前の方はどうだ? 」
彩未はしばらく朝椰見つめていた。
「……炊事場で栞祢が夕食を作っているだろう。柊夜に粥と薬を飲ませなければならない。手伝ってきなさい」
瞬きするとポタリポタリと涙が頬を伝った。彩未は私の方を見た。うなずいてやると朝椰に丁寧にお辞儀をして部屋を出て行った。障子が閉まる音を最後に静まり返る。
この男は一体なんなのだ。彩未のことを嫌っているのではないのか。柊夜に肩入れして彩未を悪者にする一方的な男。だから私は彩未を守ってやらねばらならいと思っていた。だが、蓋を開けてみれば一方的だったのは……。
「よく黙っていたな。途中で口出してくるかと思っていたが。最初にお前の話を聞いた時はべたべた甘やかすだけの男なのかと思ったが、そうではなかったのだな。見直したぞ」
「嫌味にしか聞こえません」
それからほどなくして栞祢が「夕食が出来ました」と告げにきた。私や彩未に向けていた顔とは別人としか思えないほど優しげな顔を栞祢に向ける。嫌な男だなと思った。
2010/7/10
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