蜜と蝶

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   夏 越 祓 02    

 
 もし何かあったらこれで知らせておいでと彩未に渡した玉が昨夜鳴った。玉とは特殊な二つの石からなるなるもので、片側の石は送信用、もう片方が受信用。限られた文字を対となる玉に飛ばせる。それを使って「明日朝比奈に帰るから迎えに来てほしい」と言われて正直驚いた。一体何があったのか? いぶかしく思いながら行くと泣きはらした顔の彩未が出てきた。おまけに彩未は柊夜のところへ行った時に着ていた服を着ている。ああ、これは本気で帰る気なのだなぁと思った。彩未は結構頑固なところがあるから帰ると言ったら帰る。下手に仲裁しても頑なになるだけだと判断してとりあえず連れだしてきたのだが…。
「彩未、本当によかったの? 」
 柊夜の家をでてしばらく行ったところにある小さな茶屋に入った。ここで彩未の話を聞く算段だ。話せば落ち着き、柊夜の元へ帰るというかもしれない。二度手間にならないように、引き返しやすい場所を選んだ。私が尋ねると彩未は静かにうなずいた。だけどその表情は明らかに悲しそうだった。
「一体何があったの? 」
「……」
「私はご当主様から彩未のことを任されているんだ。報告しなくちゃいけない。ちゃんと話して? 」
 彩未は私が預かっている包みを指差した。
「昨日ね、作ったの」
 風呂敷を解き重箱をあけると水無月が出てきた。
 昨夜。六月三十日。夏越祓の夜。一月からの半年間の罪や穢れを払い、残り半年を無事に過ごせるようにと祈願する行事だ。朝比奈では毎年この日を盛大にする。その時に食べるのが「水無月」と呼ばれるういろうの上に小豆を乗せ、三角形に包丁された菓子だ。水無月の上部にある小豆は悪霊ばらいの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表していると云われている。
「彩未が作ったの? 上手に作れているね」
 彩未は少しだけ笑った。朝比奈にいた頃は料理などまったくしなかったのに…柊夜のために作ったのだろう。なんとなく妬ける。
「それで? これを作ってどうしたの? 」
「そしたら柊夜様は怒ったの」
「はい? 」
「これを作るためにね、食料を買いに行ったの。そしたら、『一人で外に出ちゃいけないって言ってるのに約束を破った』ってすごく乱暴な言葉で怒った。一生懸命作ったのに……」
 ……頭が痛い。
「喜んでくれると思ったのに……」
 彩未は泣いている。泣きたいのは私の方だ。
「えーっとね、彩未。そんなことで怒る柊夜も大人げないけど……それは彩未が我儘だよ。だって柊夜と一人で外出しないって約束してるんだろう? 柊夜は料理を作ってもらうより、彩未が約束を守ってくれることの方が嬉しいんだと思う。それなのに約束を破ってしたことを喜んでくれないと怒るのはおかしいよ? 自分勝手だ」
 だけど
「してない。約束なんてしてないの」
「は? 」
「出歩いちゃいけないって柊夜様はおっしゃるけど、私は一度もうなずいたことはないの。してない約束は破りようがないでしょう? でも柊夜様は私が一人で外出すると「約束を破った」っていっつもとっても怖い顔して怒るの」
 うなずいていないから約束はしていないと主張する彩未と、言ったことで約束は成立していると思っていると柊夜と…どうしてこの二人はこうも話が通じ合わないのか。
「柊夜様が私の身を案じて出歩くなとおっしゃっているのはわかってる。だから私も出来るだけそうしてるの。本当はね、お昼間は一人で退屈なの。だからいろんなところを見て回りたいの。でもね、柊夜様が嫌がるからどうしても必要な時しかお出かけしないようにしてるの。それでも柊夜様は怒るの…」
 彩未なりに譲歩している。にもかかわらずたまーにしかしない外出を咎められる。不満なのだろう。
「…その話を柊夜にはしたの? 柊夜が怒ったときに、約束なんてしてない。どうしてもの時は外出します。そう言った? 」
 彩未は首を左右に振った。
「柊夜様は私の話は聞いて下さらないの。言おうとすると『だってじゃない』って怒るの。だから悲しくなって泣くの。そしたら今度は『ごめんね』って言われるの」
「それで? 」
「『ごめんね』って言ってくれたからわかってくれたのかなって思って許すの。でもね、それは私を泣きやますために言ってるだけで本当は悪いなんてちっとも思ってないの…」
 彩未が柊夜の家を出るときに「柊夜様は口先ばかりで本当に悪いと思ってない。もう騙されない」と言っていたけどようやく意味がわかる。しかし…
「それが朝比奈に帰る本当の理由じゃないよね? 」
 彩未は思っていることが伝えられないときますますだんまりになる。だから間違っても勢いで「帰りたい」とは言わないはずだ。それがどれほど威力ある言葉かわからないわけじゃないだろうし。余程の覚悟で言っていると思う。だが、今聞いた話はそれを言わざるを得なかった理由にしては弱すぎる。
「何を隠しているの? 」
「何も隠してない」
「嘘だね。私は彩未が赤ん坊の頃から知っているんだ。隠し事をしててもわかる。何か重大なことを黙っているね? 」
 彩未はうつむいた。答えるまでここから動かないというように彩未の顔を覗きこんでじっと待つ。根気勝負では私が強い。彩未もそれをよく知っている。するとしばらくして、
「柊夜様は私を好きじゃないの」
 私は倒れそうになった。どこをどうしたらそういう台詞が出てくるのか。理解できない。あの男が彩未を好きじゃないと言うなら、一体誰が彩未を好きだと言うのだ? どんな表現をすれば納得するのだ。
「それはいくらなんでもないだろう? どうみても彩未のこと好きだろう? 」
「違うの。柊夜様が本当にお好きなのは私じゃないの。私はその人の身代りなの」
 そこまで言うと彩未は喉元を押さえた。悲しみが込み上げてきたらしい。それでも聞かないわけにはいかない。もしそれが本当なのだとしたら許せない。可能性は極めて低いけど……。
「一体誰の身代りだと言うの? 」
「……」
「そんな酷いことをされていたのに気付かなかったのなら私にも責任がある。一体誰の身代りにされていたの? 答えなさい」
 彩未はポロポロと涙を零すばかりだ。だが私もここで引くわけにはいかない。再びの我慢比べ。そして、
「…様」
「誰だって? 」
「栞祢姉様」
 栞祢? それは痣の蜜として呉羽当主・朝椰の元で暮らす蜜の名だ。彩未にとっては姉のように慕う人であり、私の幼馴染でもある。柊夜は実は栞祢を好きで、けれど栞祢には朝椰がいる。だから代わりに彩未を連れ帰って栞祢の代わりにしている?
――それは…
 言われるとあながち無茶苦茶な話ではない。ような気もする。いや、しかし、柊夜の彩未に対する態度をみるととてもじゃないがそうは思えない。それとも人前と二人きりになった時と態度が違うのだろうか? 私はもう一度彩未に向き直って、何故そう思うのかを慎重に聞きだすことにした。
「どうしてそう思うの? 」
「だって……柊夜様はいつも言うの」
「何を? 」
「栞祢姉様と私を比べて、彩未はどうして出来ないの? って言うの。昨日も言われたの『栞祢さんは一人では出歩かない。どうして彩未は出来ないの? 』 って」
 聞くところによると、柊夜は度々そのようなことを口にするらしい。
 なるほどね……これでようやく事の真相が見えた。
 つまり、だ。柊夜は彩未を束縛したい。出来るなら家の中に監禁しておきたいぐらい思っている。だから「一人で出歩くな」と彩未に告げる。告げたことで「約束した」と思っている。一方彩未は「一人で出歩くな」と言われても返事はしていないから「約束していない」。でも柊夜の気持ちを汲んでなるべく外出はしないようにしている。だがごくたまに出歩く。それを知った柊夜は「約束を破った」と激昂する。彩未は約束はしていないと伝えようとするが、彩未の言い分には全く耳を貸さない。すると彩未は聞いてもらえないから泣く。彩未の涙に弱い柊夜が謝る。その謝罪は単に泣きやんでほしいために言っているだけだからすれ違いは解決されない。だから時間がたてばまた同じことが起きる…。なんて間抜けな無限地獄なんだ。それもこれも柊夜がちゃんと話を聞いてやらないからだ。あの男は相変わらずの甲斐なしの大バカ者だな。
 だが、問題はもう少し根深い。
 それは柊夜の怒り方だ。栞祢を引き合いに出すのは頂けない。だいぶ問題だ。根本的に栞祢と彩未では性格が違いすぎる。栞祢は蝶に対して心底畏怖を感じているし、そもそもが大人しい性格だ。朝比奈にいるときでさえ家にいることを好んだぐらいだ。一日じっとしていても苦痛ではない。だが彩未は違う。確かに、言葉がうまくないから一見すると大人しいように見えるが、こちらが辛抱強く聞いてやれば結構話す。何より活発だ。幼い頃、体が弱く外に出て遊べなかったこともあり、好奇心は強い。まして蝶に対して恐怖心があまりない。物珍しい呉羽の町に興味を持つのは自然だ。家でじっとしていろと言う方がむごい。それでも大方は守って家にいるのだろう。彩未の性格を考えれば充分頑張っている。褒めてやってもいいぐらいだ。だが柊夜はそうじゃない。栞祢が出来るなら彩未も出来るはずだと決めてかかって出来ないのは彩未の我儘だと酷く叱りつけ、あまつ栞祢と比べる……そんなことされては彩未の立つ瀬がない。人にはそれぞれ性格というものがある。栞祢にとって安易なことでも彩未には困難なことがある。どうしてそれをわかってやらないのか。これでは「栞祢のようにしようとしている」「栞祢の身代わり」と彩未が解釈しても仕方ない。柊夜の気持ちに疑いを持つのはうなずける。彩未の性格などちっとも見ていない。ただ自分が思う通りにしてほしいだけ。それならば彩未ではなく、もっと大人しい子を選べばいい。栞祢のような子を。
 それでも彩未は柊夜を好きだから一生懸命に頑張っていたのだろう。彩未なりに。そして昨夜。柊夜のために苦手な料理を頑張って作った。喜んでもらおうと思って。だが柊夜は喜ばないどころか怒り(柊夜からしたらまた約束を破って!と当然の怒りなのだろうが…)また栞祢と比較した。そしていつもの繰り返しが起きるはずだった。だがいつもと違った。ついに彩未は我慢の限界に達したから。
「それで彩未は『帰りたい』と言ったんだね? 」
「本当に私を好きなら引き止めてくれると思ったの」
 試すような真似をした。それはけして褒められない。だがそれだけ追い詰められていたのだ。そして、そんな彩未の気持ちを理解していない柊夜は「帰ればいい」と告げた。彩未は相当衝撃を受けたのだろう…。
――バカ男め。
 どうしてその時「帰るな」と引き止めなかったのか。そうすれば彩未も慰めらてここまでの事態には発展しなかったはずだ。普段どうでもいいところでベタベタ甘やかしているくせに、肝心なところで物の見事に外している。柊夜は結局、彩未に対し下手に出ているように見えるがその実は違うのだ。彩未の話もろくに聞いてやらず、意に沿わぬことをしたら叱りつける。甘やかすにしても、自分が甘やかしたいように甘やかして、本当に彩未に寛大にならなければならない(彩未が求めている)ところでは甘やかす力はない。なんて無能なダメ男なんだ。これがいわゆる隠れ亭主関白というやつなのだろうか。それも本人は無自覚だから始末が悪い。
 よくわかった。
 だが私がわかっても問題は解決されない。今の話を柊夜が知るべき内容だ。けれど柊夜は彩未が傷ついている理由をわかっていないだろうな。「一人で外出したことを怒られたことが気に食わなくて出て行った」ぐらいにしか思っていないに違いない。
「彩未……可哀相に。大変な目に遭っていたんだね」
 頭を撫でながら慰めて、これは連れ帰った方がいいなと判断した。



2010/6/22

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