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蜜と蝶

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   夏 越 祓 03    

 
 何が起きたのか理解できずにしばらく動けなかった。
 それから次に感じたのは強い怒りだった。
 昨夜私は確かに「帰ればいい」と言った。だが本気なわけないじゃないか。私がどれほど彩未を想っているか。彩未だってわからないわけじゃないだろう? 常日頃彩未に示している愛情がたった一言で崩壊するなんてことあってたまるか。それにあれは本気じゃなかったと撤回したじゃないか。謝ったし帰らないでくれと引き止めた。だけど彩未は帰った……。
――信じられない。
 だいたい、元を正せば彩未が約束を破って出歩いたのが悪いのだろう? それを咎めたら泣きだした。謝まれば許すといったのに謝らないと首を振り「帰る」と脅した。さすがに私の我慢も限界に達した。これまで泣いている姿を見ると可哀相になって折れてきたが、もう出来ない。甘やかしたからどんどん傲慢になった。だからここはビシッと筋を通させなければいけない。それで「帰ればいい」と突き放した。彩未はきっと「帰る」と言えば私が慌てて引き止めるとでも思ったのだろう。だが彼女の当ては外れた。案の定真っ青な顔をして部屋に閉じこもった。これでちょっとは反省すると思った。しかし、反省どころか怒って当てつけに本当に帰った。
――なんて我儘なんだ。
 今までうまくいってたのは私が譲歩してきたからで、それをやめた途端にこの有様だ。私はどれほどの我慢を強いられてきたのだ。あんな子だとは思わなかった。
 もういい。知らん。終わりだ。気分が悪い。とにかく眠ろう。まだ体調が万全じゃない。自室に戻り寝具に横になり目をつぶる。何度も深呼吸して乱れた感情を宥める。大丈夫だ。なんてことない。あんな我儘娘がいなくなったぐらい平気だ。そうだ。私はそもそも自由が好きだった。煩わしいことは嫌いだ。これで全部が元に戻るだけ。
 だけど。
 ささくれ立った気持ちはそんなに簡単には治まってくれなかった。
 重たい体を引きずって台所へ向かう。水を飲むために湯のみを取ろうと水切りかごに手を伸ばす。そこにはまだ濡れた食器があった。先ほど彩未が洗ったものだ。ここに来た当初、彩未は食器一つ洗うのもおぼつかないほど何も出来なかった。お揃いで買った夫婦茶碗もすぐに割って(私の物)大泣きするものだから買い換える。だがそれもまた割って(やっぱり私の物)……そんなことを四度繰り返し(残りの二度も割ったのは私の物でいい加減わざとじゃないかと疑った)、彩未の茶碗ばかりが溢れてしまい夫婦茶碗はやめた。そんな状態なのだから当然料理なんぞ出来るはずもなく……最初はとんでもないものを食べさせられた。よくわからない黒い塊。食べれる食材を使っているはずだからと食べていたが(不思議なことに意外と味は悪くない)、あれは一体何を使って作ったのか。未だに謎だ。それでも一生懸命な姿が可愛かったし、私のために頑張ってる姿が愛しかった。今日はどんな料理なのかとひやひやしながらも帰るのが楽しみだった。でも今は……。生ごみ入れの中に捨てられた料理に目がいく。秩序なくまぜこぜになっていてもそれがどういう料理なのか理解できる。
――……彩未…。
 やっぱり駄目だ。彩未がいないなんて…。我儘でもなんでもいい。私の傍にいてくれるならそれで。だから謝ろう。そして帰ってきてもらおう。機嫌良くしているときは素直で可愛らしいわけだし。それでいいじゃないか。何もかもを気にいる相手なんていない。それに私は彩未を愛している。私が我慢すればそれでうまくいくなら我慢しよう。
 私は彩未を連れ戻すために朝比奈に向かった。
 朝比奈の敷地内には強力な陣が張られていて、招かれた者しか入れない。呉羽一族は月に一度の宴の際には解禁になるが今行っても閉ざされているはずだ。どうしたらいいか。考え込んでも仕方ないのでともかく先を急ぐ。
 着くと、私の心配とは裏腹に夕凪が大きな木の傍に立っていた。
「追いかけて来るだろうと思っていたが遅かったな。途中で捕まるかと予想していたが……反応の鈍さは彩未への愛情の薄さと比例するのかな」
 そんなわけないだろう。嫌味な男だ。だが、私の行動を予想して出迎えてくれているのなら有難い。
「彩未に会わせてくれ」
「会ってどうする気だ? 」
「謝る。それで連れて帰る」
 それ以外にないだろう。だが夕凪は笑った。
「謝るって一体何を謝る気だ? お前は何も悪いことはしていない。そうだろう? 」
「……」
「彩未は『一人で出歩くな』という約束を破った上に謝りもしない。それどころか怒るお前に対し『朝比奈に帰る』と言った。そういえばお前が折れると思っているから。お前を舐めているんだ。でもお前は折れなかった。すると今度は当てつけに本当に朝比奈に帰った。酷い話だ。どう考えてもお前に非はない。彩未が我儘だ。どうしてお前が謝るんだ? 」
「私は彩未に傍にいてほしいんだ」
「傍にいてほしいから悪くもないのに謝る? そんなことをすれば彩未はますますつけあがるぞ? お前はそれに耐えるわけか。今後もずっと。それで本当に納得できるのか? やがて不満が爆発するぞ。お前ばかりが犠牲を強いられる。そんなバカな話はない。悪いことは言わん。そんな我儘娘やめておけ。お前にはもっと他にいい子がいる。誰に聞いてもそう言うだろうな」
「それでもいい。私は彩未を愛しているんだ」
「ほう。愛しているから自己犠牲する……それはそれはご立派な。さすがは呉羽本家の次男様だ。おっしゃることが違う」
 本音で言っているわけではないのは明白だ。それどころか嘲っている。私の気持ちをそこまで理解しているのに、どうしてそんな態度をとっているのか。意図が理解できない。
「……何が言いたい? 」
「お前は所詮はいいところの坊っちゃんだということだ。ちやほやされて生きてきた。だから自分本位な物の見方しかできない。彩未のことをちゃんと見てはやれない」
 自分本位? こいつは何を言っているんだ。私は彩未のためにいろいろしている。今だって、悪くないが折れると言っているのだ。それのどこが自分本位というのだ? だが夕凪は大きなため息をついた。
「わからないという顔だな。なら一つ例をあげてやろうか? 今日、彩未が着ていた服があるだろう? あれは彩未がお前のところに連れて行かれた時に着てたものだ」
「それぐらいわかってる」
「じゃあ、その色を覚えているか? 」
「色? 青だろう? 」
「そうだ。だがお前の元に行ってから彩未が着ていた服は桃色や黄色だ。あれはお前が用意したものだな? 彩未のためにお前が買ってきた」
「それがどうした」
「まだわからないか? じゃあもう一つ聞こう。どうしてお前は桃色や黄色を買った? 」
「どうしてって……彩未に似合うと思ったからだ」
「そう。彩未に似合うと『お前が』思った。だがそれが彩未の好みだったのか。答えは『違う』だ。彩未は青や緑を好む。朝比奈にいた頃は寒色系ばかりを着ていた。もしお前が彩未のことをちゃんと見ていたら、最初に着ていた『青』を見てその色が好きなのかと思ったんじゃないか? でもお前はそうじゃなく、自分が彩未に抱いている理想を優先させた」
「――……」
「あれやこれや買ってやるのは相手のためだ。だがな、それが相手にとって好ましいものか考えない贈り物は自分本位なものでしかない。違うか? まぁ、最も、彩未はお前が自分のために買ってくれたものだからと喜んでいたがな」
 そうだ。彩未はとても喜んでくれていた。だからそんなこと考えなかった。けれど振り返って考えてみると、宴を抜け出して庭で彩未を見ていた頃、夕凪が言うように彩未は青や緑ばかりを着ていた……。
「まぁ、こんなのは氷山の一角だ。一事が万事お前は自分本位だ。今回の件もそう。悪くないのに謝る、愛しているからと愁傷なことを言っているがその実「私が折れてやっている。我儘娘を寛容に受け入れている」と思っているんだ。お前は自分の傲慢さを認めるべきだ」
 それは私の心の最奥を貫くのに充分過ぎた。
「それにな、彩未はお前が思っているような理由で『帰りたい』と言ったわけじゃないぞ? もし本当に悪いことをしたのにそれを謝らず、怒られたのが気に食わなくて、当てつけに朝比奈に帰りたいと言ったのだとしたら、私は彩未をお前の元から連れ帰らなかった。そんな我儘娘、朝比奈にも置けないからな」
「……だったら、どうして彩未は『帰りたい』なんて…」
「それはお前が自分で考えるべきことだ。わからない以上、彩未には会わせない。会ったとしてもうまくはいかないだろうし」
「……」
「お前たちには冷却期間が必要だ。帰れ。それで考えろ。少なくとも次の宴まではもうここへは来るなよ。来ても彩未には会わせない」
 そう言い残して夕凪は行ってしまった。



2010/6/24

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