蜜と蝶

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   夏 越 祓 06    

 
 柊夜来たこと、だが追い返したことを彩未に告げた。勝手な真似をしたと責められてもしかたなかったが彩未にも時間が必要だ。私の言葉を聞くと彩未は一瞬だけ悲しげな顔をしたがうなずいた。それ以上は何も言わなかった。
 ところがその翌日の夕刻。
 当主・相馬様に呼び出しを受けた。呉羽当主の使者が文を持ってきたと聞かされたので、返礼を届ける命を言い渡されるのだと思った。だが違った。
「彩未に届いた」
 差しだされた文には達筆な文字で彩未とある。直接呼び出して渡せばいいものを私を呼んだのは警告だろう。彩未の帰郷は「里帰り」と報告してある。下手に真実を話せば「呉羽本家の人間に非礼をした」と咎められる可能性があったからだ。
 朝比奈はかつて呉羽と対等であったと聞くが今はその面影はまったくない。一時期の乱食により人数が激減した。それから立ち直れてはいないのだ。現在では脆い存在として宴を開く代わりに呉羽一族に庇護されている。同胞の命を奪った相手に守られるなど釈然としないがそうしなければ滅んでいた。背に腹は代えられない。だが、そのことは庇護する者と庇護される者という上下関係を作り上げることに繋がった。守られることに慣れた朝比奈は一族再生するどころか、力を持ち過ぎぬように呉羽の手の内で生かされている。また当主に就いた相馬様が事なかれ主義だったのも立場を弱めた要因だ。栞祢や彩未を連れ帰るなど強引な要求をされた時も、たいした抵抗をすることなく了承した。「それはできない」と言えば庇護を失うかもしれない。大勢を守るためにわずかな犠牲は仕方ない。そう言われれば強くは反論できない。非力な者が「何かを守る」には残酷な選択しかないのだ。だが、もう少し追いすがってくれてもいいのではないかと思った。事実、蜜の中には相馬様を不信する者もいた。今はまだそれほど強い勢力ではないが。
 そんなお方であるから、今回の件も「柊夜と喧嘩して家を出てきた」など告げれば、彼らが怒り、別の難題をふっかけられては敵わないとすぐに謝りに帰されるだろう。彩未の気持ちよりも朝比奈の未来が重要とおっしゃる。だから事実を伏せたのだ。そこへ今回の文。「里帰り」しているだけの蜜に柊夜ではなく呉羽当主から届いた。何事かと怪しまれても仕方ない。
「夕凪。お前は歌詠みだ。歌詠みは文字通り歌を読み聞かせ後世に伝えていくのが役目だ。立場を忘れるな」
 優先させるべきものを誤るな。ほのめかしてくる内容をこの人に反論する気はなかった。彩未宛の文を預かり退出した。
――それにしてもまたややこしいことをしてくれる。 
 呉羽当主からの文となっているが、名を貸りているだけで実際は柊夜からだろうと疑っていた。それとも本当に呉羽当主からなのか。わからないが、いずれにせよ柊夜関連だ。歓迎できる代物ではなかった。それでもご当主様経由で渡すように言われた手前、私のところで握りつぶすわけにもいかない。癪だし気乗りはしなかったが彩未の元へ向かった。
 こちらに帰ってきてから彩未は元気がない。隠さずに素直に落胆していた。心配させないでおこうと気を張る力もないのだ。悲しみに暮れている。無理もない。彩未は柊夜を嫌いで出てきたわけではなく、柊夜が自分を好きではないと思って別れを決めたのだ。後ろ髪ひかれて『意地を張らずに傍にいればよかった。一番ではなくても大事にしてもらっていた。それで満足すればよかった』など考えているのだろうと思う。だがそんな気持ちで一緒にいてもやがては行き止まりだ。「好き」という感情は強力だが、それだけでは世の中立ちいかない。自分を愛してくれていない相手の傍にいれば疲れる。彩未の決断は間違っていない。だから揺れ動く気持ちに自分で打ち勝って乗り越えてほしい。……と、柊夜のあほたれが本当に彩未を身代りにしかしていなければ思うわけだが、二人の場合、そうではないので複雑だ。
 家に行くと散歩に出ていると彩未の母親が教えてくれた。どこへ向かったか検討はついた。宴のためだけに建てられた屋敷だ。月に一度使用されるだけで普段は人の気配がない。考え事をするのはうってつけの場所だ。それに柊夜と出会った思い出の場所でもある。恋しくなって訪れているのだと踏んだ。
 当時、彩未は歌えなかったので代わりに宴上がりをした蜜(年をとり歌が紡げなくなった蜜をそう呼ぶ)と共に裏方として働いていたが、宴が開始されると暇を出された。年若い娘が歌わずに裏方として離れや広間に出入りすれば目立つ。疑問を抱く蝶もいるだろう。その度に「歌えないのです」と説明するようなことになっては憐れだという配慮だ。することがなくなった彩未は宴が終わるまで時間を潰すしかない。幸い、栞祢が宴の折りに帰郷するので彩未の話し相手になっていた。柊夜は庭で栞祢を待つ彩未の姿を目撃し見染めたらしい(まったくうかうか庭にも出れない)。
 その庭へ行くと、案の定、彩未がぼんやりと空を見つめていた。いつもならば私を見つけると嬉しそうに「夕凪ー」と駆け寄ってくるのだが声をかけるとかすかにだが笑っただけだ。幼い頃から知っているし、私に対してはいつまでも子どもっぽいので、こういう顔をするようになったのかと多少驚く。
「呉羽当主から彩未宛に文が届いた」
 彩未は一瞬だけだが眉間の皺を濃くしたが手渡すと読み始めた。短い文面だったらしくすぐに読み終えたが、どんな風な言葉をかければいいか躊躇われた。中身は気になるが柊夜とのことは個人的な問題とも言えた。関与しない方がいいかもしれない。だが彩未はその手紙を黙って私に差しだしてきた。「読んでいいのか」と念を押すとうなずくので受け取った。読んで卒倒しそうになる。

『柊夜が熱を出して寝込んだ。うなされながら「彩未」と呼び続けている。朝比奈に行った帰りに雨に打たれたのが原因だ。看病する義務がある。早く帰ってきて面倒をみてやれ』

 愛想もなにもないけれど巧いと思った。
 勝手に朝比奈まできて勝手に雨に打たれて勝手に熱を出したのだ。彩未は関係ない。看病する義務も、面倒をみてやる必要もない。柊夜に対してなんら愛情の欠片を持ち合わせない私ならそう突っぱねてしまえるが彩未は違う。風邪を引いているだけでも心配するだろうに、こんな書き方をされれば罪悪感も感じる。まして自分の名前を呼んでいるとなれば様子を見に行きたくなるだろう。そうでなくとも気持ちが揺れているのだ。だが、啖呵を切って出てきた手前、そう簡単には帰れない。そこで「義務がある、面倒をみてやれ」が効いてくる。呉羽当主にそう言われたら従わないわけにいかなかったと言える。面目が立つ。横柄な文面だが秀逸だ。…などと感心している場合じゃない。
 彩未を見る。じっと俯いていた。
――絶対帰りたがっている。
 余計な真似をしてくれた。この二人には冷却期間が必要だというのに、こんな文をよこすなど迷惑極まりない。呉羽当主にしたら弟可愛さでの行為なのだろうが、彩未はこちらに帰ってきたまだ一日しか経過していないのだ。今帰って喜ぶのは柊夜だけだ。彩未はまた我慢を強いられる。冗談じゃない。だいたい、柊夜も柊夜だ。何を熱出しているんだ。お前はどれほどひ弱なのだ。しかし、 
「夕凪……」
 聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。
「帰りたい……」
 やはりか。言うとは思っていたがやはりそう言うのか。……私はどうやらこの二人に散々振り回される星の元に生まれているらしい。へたり込みそうになりながら運命だと思って諦めることにした。
 


2010/7/2

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