蜜と蝶

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   夏 越 祓 09    

 
 彩未を送り届けたのはいいが、また帰りたいと言うかもしれないので様子を見た方がいいと判断し、柊夜の家に上がった。そこには呉羽当主・朝椰が待ち構えていて、彩未はすぐに柊夜の寝室に行かされ、残った私は居間に通された。
 朝椰とは顔見知りだった。歌詠みになってからご当主様の使いで幾度か文を届けるために自宅を訪問したことがあったのだ。その際は、栞祢も一緒だったが、栞祢といる時と今とでは随分雰囲気が違う。明らかに今の方が冷たく威圧感があった。おそらく当人は無意識なのだろうが。朝椰が栞祢に惚れこんでいると聞いていたが事実なのだなぁと思った。
「茶でも飲みますか」
 と、勝手知ったるとばかりに茶を淹れてくれる。私と朝椰とならば私の方が客人扱いされるのはわかるが、呉羽当主に茶を淹れてもらうなどご当主様が知ったら卒倒しそうだ。
 少しして緑茶の濃いものを出してくれた。
 それから事の経緯を聞いた。
 一昨日の夜、偶然出くわしたが、柊夜の様子がおかしいので気になっていた。翌日職場にも顔を出さない。心配になり家を訪れると高熱を出して倒れているところを見つけた。
「焦りました。とにかく着替えさせて医者を呼び薬を飲ませた。熱に浮かされながら『彩未』と呼び続ける。私が来たときにはいなかったと告げてやると『朝比奈にいる』と言うので使いを走らせた次第です」
「では、二人の間に何があったかはご存じない、と」
「知りません」 
 知りませんではないだろうが。今度は私が二人の間にあった出来事を話した。朝椰は途中で言葉を挟むことなく最後まで聞いていた。全部話し終えると「なるほど」と納得したがそれ以上は何も言わない。だがなにやら酷く不機嫌そうに見えた。だから私も何も言えず(本当は余計な真似をしないでもらいたいと文句の一つも言いたかったが)黙っていると、
――彩未の泣き声が聞こえる……。
 先ほどから何か聞こえてくるなぁとは思っていたが、話終えて沈黙が訪れると明瞭になった。それはどう考えても泣き叫んでいるとしか思えない彩未の声だった。彩未はよく泣きはするが、こんな風に大声を出すことはない。少なくとも私が知る限りない。私には一度もこんな真似をしたことはなかった。一体何が起きているのだ? 柊夜と何をしている? これは仲裁に入った方がいいのではないかと朝椰を見るが涼しい顔で茶をすすっていた。焦れた私は、
「見に行った方がいいのではないでしょうか? 」
 と告げたが、朝椰は「少し濃すぎたな」と暢気に自分が淹れたお茶の味を述べた後に、
「何がです? 」
 と言った。
「何がですって……聞こえませんか? 」
「聞こえますね」
 聞こえますね……って聞こえているのなら見に行こうとするだろう? 一体どういう神経をしているのだと訝しく思っていると、 
「必要ないでしょう。一人で癇癪を起しているだけでしょうし」
 カチンときた。彩未は何もないのに癇癪を起こすような子ではない。
「襲われて泣いているのかもしれません」
「柊夜はそんな真似しません。あの蜜が一人で騒いでるだけですよ」
 朝椰は眉ひとつ動かさずに言った。冗談じゃない。
「彩未がここに連れてこられた時のことをお忘れですか? そんな真似をする男ですよ、あなたの弟は」
「あれは合意の上でしょう? 蜜が歌えないから歌えるようにしてやっただけ。それを襲ったと言われては柊夜が憐れです」
 そんなやり取りをしていると、先ほどよりもずっと大きな彩未の泣き声が聞こえてきた。私は矢も盾もたまらず一人だけで彩未のところへ向かうことにして席を立ったが、
「これは二人の問題です。ほおっておくべきでしょう? あなたは過保護ですね。あの蜜が我儘になった理由がわかります」
 我儘……確かに彩未は我儘なところはあるが、それは懐いているから出る甘えであって、彩未のことをろくに知らないこの男に言われる筋合いはない。
「彩未の何が我儘だというのです? 」
 わかったようなことを言うなという意味を込めて言った。
「我儘でしょう? 先程の話もバカ蜜の勝手な思い込みです。言うにことかいて柊夜が栞祢を好きだなんて、よくもそんなおそろしい発想に結びついたものです」
――バカ蜜だ?
「そんな風に勘違いさせる柊夜が無神経なのでしょう? 彩未は可愛い焼きもちを妬いていただけです。それをあの男は受けとめてやることも出来ずに……彩未になんら非はありません。彩未の我儘だなんてとんでもない。私のことを過保護とおっしゃいましたが、ご当主様の方こそ柊夜に甘くていらっしゃる。だからあの男は自分本位な発想しかできない視野の狭い男になったのでしょう」
「可愛い焼きもち? おぞましい勘違いの間違いではないですか? 柊夜は私を慕っています。その私の相手である栞祢を好きになるなどあるはずがない。少し考えればわかるというもの、それを理由に朝比奈に帰るなど愚かすぎる」
――……。
 可能生として全くない話じゃない。人を好きになるときはなってしまうものだろう? この男の言っていることは無茶苦茶だ。が、合点がいく。つまりこの男は、自分が愛する女を可愛い弟が好きかもしれないと言った彩未に憤りを感じている。そんな悲惨な状態を考えるのも嫌だ。そういうことか? 自分の気に食わないことを言ったからと彩未を我儘だと詰っている。なんて勝手なのだ。この兄にしてあの弟ありだ。馬鹿らしい。実に馬鹿らしい。こんな男と言い争っても無駄だ。
 ため息さえ出てこずにいると、
「夕凪様。いらっしゃっていたのですか」
 栞祢だった。
「来たのか」
 朝椰は立ち上がり、栞祢が手に持っていた袋を受け取った。夕餉の支度を買ってきたらしい。
「お帰りになられるのですか? 」
 立ち上がっている私に栞祢は告げた。
「いや……柊夜の部屋から彩未の泣き声が聞こえるものだから気になって様子をみにいこうかと…」
「あやちゃんが? 」
 栞祢は耳を澄ますようにしたが、すぐさま絶叫が聞こえてきた。それは格段に金切り度が上がっている。
「……ちょっと見てくる」
「私も参ります」
 栞祢が行くなら私もと素知らぬ顔だった朝椰もついてくることになり三人で柊夜の部屋に向かった。
 部屋に近づいていくと彩未の声は大きさを増していく。それはまったく意味をなさない叫びだった。逆に言うなら純粋な叫びともいえる。「あー」とか「いー」とか叫ぶことが目的の叫びだ。感情をもてあまして発散する術がない時の最後の手段として人がとる方法のように思われた。
「入るぞ」
 と一応声をかけるが当然返事はない、構わずに開けると、
――なんなんだこれは…。
 暴れる彩未の両手を拘束して「彩ちゃん。落ち着いて。ね? どうしてそんなに叫ぶの? 」となだめすかす柊夜と、対して彩未は「うるさい! 」と考えられない暴言を吐いては「キー」と叫びまくっている。惨劇としか言いようがない。彩未は完全にキレている。どうしたらこんなことになるのだ。柊夜、お前は一体何をやらかしだんだ。

 


2010/7/8

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