蜜と蝶

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   蝶 と 蝶  10   

 
 私は今、朝比奈の屋敷に来ている。月に一度の宴に出席するためだ。本家と御三家以外の蝶は大広間に通され、特殊な衝立で区切られた各々専用の空間に座り蜜がやってくるのを待つ。そして、歌を食べ、終えた者から順次に退席し、くつろぐために用意された部屋へと移動する。そこで談笑しながら宴終了を待つのだ。早く部屋を移動する蝶ほど蜜に人気の蝶ということになる。それは一つのステータスでもあった。私は幸いにも宴が始まってほどなく蜜が歌いに来てくれるから、早々に広間を退席し、部屋を移動できる。だが今日は違う。食べ終わってもその部屋へは行かず、渡り廊下をつたい、本家、御三家の部屋がある離れの一室に来ていた。彼――朝比奈の歌詠み、夕凪に会うためだ。
 「歌詠み」というのは朝比奈の中で、とりわけ歌の上手い人がつく職で、本家、御三家の専属だった。だから、本来なら私と会うことはない。知り合ったのは偶然だった。先月、貧血で倒れたときに助けてくれたのだ。その時の礼をのべるために、離れの一室に備えられた、夕凪専用の休憩部屋を訪れた。もしかしたら、宴に出向いていて不在かなと思ったけど、声をかけると中にいた。
「今、ちょうど休憩をとるために戻ってきたところなんだ」
「じゃあ少しして出直した方がいい? 休みたいでしょう? 」
「別に構わないよ。今は柊夜の専属になったから昔よりも楽なんだ」
 以前は、様々な人のところで少しずつ歌を披露していたが、今は呉羽本家次男・柊夜様の専属となっている。本来、男の蜜は女の蝶に歌うものなのに、男の蝶に歌うなど異例だ。だが、柊夜様は夕凪からの歌しか食べないと宣言された。柊夜様を満たすためにはかなりの分量がいる。それを一人でまかなうとなれば、他の蜜に歌う時間がなくなる。夕凪の歌を楽しみにしていた者は多いが、呉羽は縦社会であるから、本家の柊夜様がそうおっしゃるなら反対できなかった。かくして、夕凪は柊夜様専属の蜜となった。
「それで、その後どう? 」
 夕凪は私が草寿様と蜜との関係を知り動揺している姿を見た。衝撃が強すぎて恥も外聞もなく号泣するのも見ている。そんな面倒な場面に出くわしても、慌てることなく、泣く止むのを待ち、話を聞いてくれた。私も初対面の相手だというのに、何もかもをぶちまけた。感情が抑えられなかった。誰にも話したことがなかった胸中を全て聞いてもらった。堪えていたものを言葉にすると楽になるというのは本当だ。
 あれから草寿様とは婚約破棄したこと、今の気持ちなどを話すと、
「怒涛の一月だったわけか。でもまぁ、何かが変化する時はあっという間だったりするからね。よかったじゃないか」
 と言った。
「……よかったのかな」
「よかったよ。だって環はとても優しい顔になったよ? 前に会ったときはもうちょっとキツイ感じがした。あのままだときっとヒステリー女の道をひた走っていたね」
 夕凪は両指を曲げてわなわなさせながら、イーッと顔をくしゃくしゃにさせた。ヒステリーの表現らしいけれど……
「そんなにひどくはないでしょう? 」
 思わず笑ってしまったら、夕凪は今度は眉をしかめて
「これぐらいになってたよ。般若も真っ青なぐらい」
「般若って、」
 私はそんなに酷い顔をしていたのだろうか?
「でも今は優しそうだ。だから、環がした選択は正解だったんだ」
「うん……」
 間違っていない。正解だった。そう言われると何故だか涙が込み上げてくる。人前で泣くなど恥ずかしいと思っていたのに、ここのところ泣いてばかりだ。特に、夕凪の前だと素直に泣ける。最初にみっとみない姿を見られたからかもしれない。今更取り繕っても仕方ない。それに、夕凪は私が泣き叫んでも嫌な顔をしない。人を落ち着かせて包み込んでくれる不思議な空気を持っていた。
「ごめんね」
「大丈夫。手のかかる子には慣れているんだ」
「ありがとう」 
 それからしばらく、他愛のない話をする。夕凪は聴き上手であったけど、それ以上に話し上手でもあった。話題にことかかないし、何より面白い。こんなに笑ったのは久しぶりだ。私はちゃんと笑えるんだなぁと思うと嬉しかった。時間はあっという間に過ぎていく。
「さて、じゃあ、ぼちぼち柊夜のところへ戻るよ。あいつは大食漢だからな…」
 げっそりした顔。笑ってしまう。
「笑い事じゃないんだよ? どうしてあんな男に歌ってやらにゃならんのだ……あいつに歌うより環に歌ってやりたい」
「歌詠みにそんな風に言ってもらえるなんて嬉しい」 
「そう? じゃあ、来月は歌ってあげるから食べずにおいで? 」
「……本当に歌ってくれるの? 私は普通の蝶よ? 歌詠みは本家、御三家専属が決まりでしょう? 」
「バレなきゃ大丈夫だよ。それに、そんなこと言ったら、環がここにくるのだって違反だろう? 」
「……」
「冗談だよ。環ならいつでも歓迎するから気が向いたらおいで? ここにきて好きなだけ泣いたらいい」
「私はそんなに泣き虫じゃありません! 」
「泣いてる姿しか見てない気がするけど? 」
 確かに。二度会って二度とも泣いている。途端に恥ずかしくなる。頬が熱い。そんな私の頭をポンポンと撫でてくれる。 
「……」
「で、これからどうする? 私は柊夜のところで歌ってくるけど……ここにいる? 」
 こんな泣きはらした顔で大広間に戻りたくはなかったけれど、かといってここにいると、また草寿様が蜜と戯れる声が聞こえてくるかもしれない。一人でいるとどうしても周囲の音を意識してしまうから。もしまたあの現場を見たら…それは嫌だった。私の胸中を汲んでくれたのか、
「庭に行ってみる? 今は紫陽花が咲いて綺麗なんだ。案内してあげるよ? 」
「紫陽花があるの? 」
「ああ、好きなのか? 」
「一番好きな花なの」
「じゃあ、決まりだね、おいで」
 そういって、私の手をとった。
「手をつなぐ必要あるの?  」
 ビックリして尋ねると、
「小さい子は繋いであげると落ち着くんだよ」
「私、小さくないわ」
「似たようなものでしょ? 」 
 そのまま手を引かれて部屋をでる。廊下を歩きながら鼓動が早まっていく。奇妙な感じだ。だって、
「男の人と手を繋いで歩いたのはじめてよ」
「そう? じゃあ、これからきっと出てくるよ。環を大事にして、手を引いて歩いてくれる男がきっと出てくる。その時に緊張しないように練習だと思えばいいだろ?  」
「出てくるかな……」
「出てくるよ。出てこなかったら……私がなってあげるから」
「あなた蜜じゃない」
「問題ないだろう。呉羽本家のご兄弟様のお相手は両方蜜だ」
「ふふ。それもそうね」
 私の手を引きながら前を歩く夕凪の背中を見ていると、また涙があふれてきた。



2010/5/10

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