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蜜と蝶
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蝶 と 蝶 16
――どうしていいかわからない。
あれから、休日は必ず、平日も時間を作れた日のみだが環の元へ会いにいっている。男が三ヶ月女の元へ通い、期間が満了したとき返事を聞く。正式な手順にのっとった求婚行為だ。女は嫌になれば途中であっても断ることが出来るし、男は通わなくなればそれで諦めたことを示す。旧来の方法で、私は環に求愛していた。
鴇塔の家では突然熱心に通い始めた私を歓迎してくれた。そのまま再び婚約という流れを踏んでもおかしくないほど喜んでくれた。だが、それを邪魔したのが朝椰だ。「手順に乗っ取った方法で、環が応えるまでは復縁などさせない」と言い放った。いろいろ迷惑をかけた。心配してくれているのもわかる。しかし鴇塔の父親より、朝椰の方が厄介というのが……。お前は環のなんなんだと言いたい。完全な小舅だ。常々目を光らせている。それは言葉の文などではなく……環と会うときは必ず朝椰が置いた鈴音のある部屋で会うのだ。何かあればすぐに自分を呼ぶようにと言付けてある。私だってそこまで馬鹿ではない。もう襲ったりなどしないと言っても全く(本当に全く)信用されない。朝椰監視の元で会っている。干渉しすぎだ。だが仕方ない。自業自得だ。環に会わせてもらえるだけ、感謝しなければならない。
で、まぁ、今日も、こうして出向いてきているわけだが…。
客間に通されると、しばらくして環がやってくる。私の前に座り、丁寧にお辞儀する。美しい。幼い頃からしつけられてきた人間の、淀みなく優美な動作だ。そんなこと意識して見てこなかった。何も見えていなかった。
「環……」
「はい、なんでございましょう」
まっすぐに見つめてくる。じっと、私の目を見て……ただそれだけのことなのに、
「……」
「どうかなさいましたか? 」
「……」
「草寿様? 」
「ああ、いや、その…」
――お前の美しさに見とれていた。
そう言えばいい。これまで他の女には言ってきた。大袈裟な世辞であっても女は喜ぶ。だから、歯の浮くような台詞だなと呆れるようなことも口にしてきた。だが今は世辞などでなかい。真実なのだ。そう思っているのだ。だから素直に伝えればいい。嘘ではない。言え、と心で唱える。しかし言葉が一つも出てこない。言おうとすれば体が熱くなる。喉が震えた。いつもそうだ。環を前にすると言葉にならない。言おうとすると、体中がむずがゆくてじっと座っていられない。暴れたをしてのたうちまわりたくなった。
環は不可思議な顔をしてすっと視線を私から外した。緊張から解放される。同時に、途方もない寂しさを感じた。見つめられると息ができなくなるのに、見られないと苦しくてたまらない。どうしてほしいのか自分でもわからない。
「こんなに頻繁に会いにきていただかなくても結構でございますよ」
ドクっと心臓が揺れた。脈が速くなっているのか、止まったのか。痛い。
来なくていい? 私に会いたくない? 顔も見たくない? 求愛を断るということか? やめてくれ。そんなこと言わないで――。
「お忙しい身でございましょう。ご無理をしてお体に差しさわりがあっては大変です」
――ああ、
私の身を案じてくれているのか。こんな時、情けなくなる。環は私を見てくれているというのに、私は自分のことばかりだ。どう思われているか気をとられて疑ってしまう。あれほど、やめようと、生まれ変わろうと決めたのに、出来ていない。恥ずかしくなる。
「ありがとう。でも、私は無理などしていないよ」
「……さようでございますか」
環はほんの少しだけ、一瞬だけだけど微笑んだ気がした。
――綺麗な人だな
傍にいられるだけで幸せ。そんなことあるわけないと思っていた。人間には三大欲求というものがある。睡眠欲、食欲、性欲。人として生まれたからには自然なことだ。女を求めることは普通だと思っていた。だけど、
「……」
「……あの、何か? 」
「……」
目が合う。吸い込まれそうなほど澄んだ綺麗な目だ。頭の芯からボーっとする。
「草寿様? 」
彼女の唇が告げるのは幸運にも私の名だ。柔らかで優しい声をしている。
「どうかなされました? 」
「……」
「……」
いけない何か話をしなければ。環が退屈する。でも、何を言えばいいかわからない。つまらなさそう。私といても楽しくない? ――それは、そうだろう。面白い話題を提供することも出来ず、押し黙ったままなのだ。だが、駄目だ。いつものように振る舞えない。自分が自分でいられない。それは嫌な感じのものではないのだが……。しかし、環にしてみたら、こんな無言の男といても少しも楽しくはないにちがいない。このままではいけないと思うが、何を話せば喜んでくれるか。
「……では私はこれで…」
環は退室した。引き止めることも出来ず見送る。環は会ってくれるがすぐに退室してしまう。ほんの三十分程度でいなくなる。立ち去る後ろ姿を見つめながら心が張り裂けそうになる。どうしたら、もっと一緒にいてくれるのだろう。気のきいた話一つ出来ない私では無理だろうが……。
「はぁ……」
「なんのため息だ」
「朝椰か」
ここのところ職務は順調だった。能率があがっているのは、単に早く終わらせて環の元へ向かいたいからだ。今日も無事に上がり、これから向かう。あの人に会えると思うと心臓が痛い。体が強張り喉が渇く。緊張している――その答えに行き着いたとき、流石に笑った。
「環のところへ向かうのだろう? 私も行くよ。あれから忙しくて様子を見に行けてなかったからな」
「そうか」
連れだって向かう。着くと、鴇塔の使用人は驚いていた。ご当主がやってくるなど予想外で戸惑ったのだろう。鴇塔の当主は生憎不在らしく奥方が出てきて丁寧に挨拶を述べ、酷く恐縮していた。それを見て朝椰は申し訳なさそうにしていた。客間に通されてから環を待つ間も、「迂闊に来るものじゃないな」と苦い笑みを零していた。
それから間もなく、環が入ってきたが、
――っ。
「ようこそお越しくださいました」
「突然きてしまってすまないね。家の方を驚かせてしまった」
「いいえ……何のお構いもできませんが」
環は柔らかい笑みを零した。
「髪を切ったのか 」
朝椰が言った。
「はい。前髪を切りました。ずっと伸ばしておりましたので、妙な感じがします」
長く伸ばした後ろ髪よりも短かったが、それでも顎の下に届くまであった前髪を眉の上で切りそろえている。長い姿も似合っていたが…、
「そうか、よく似合っている。幼子のようだ。昔を思い出す」
「ふふふ。私は今年で二十四でございますよ 」
「お前はいくつになろうとも、私にとっては可愛い妹だ」
「身に余るお言葉でございます。環は幸せ者でございます」
――……。可愛い。
環はにっこり微笑んで、嬉しそうな顔だ。私だってそんな風に笑ってもらいたい。
「なんだ。どうした草寿、押し黙って。可愛いと思わんか? 」
「……か、わいい」
言った瞬間、心臓が止まるかと思った。だが、
「愛想のない。もうちょっと気のきくことが言える男だと思っていたが」
私だって環以外にならいくらでも言える。だが、環にだけはどうしてもいえない。どうしてお前はそんなにスラスラと言えるのだ。逆に問いたかった。腹が立つほどなめらかな賛辞を口にする。堅物だと思っていたのが、いつのまにこんな風になったのだ。お前は栞祢にだけ語らっていればいい。環には私が言う(言えないが…)。
「それでその後、体調はどうだ? 風邪は治りきったのか? 」
「はい。ご心配していただきありがとうございます。本来なら、私の方からお礼に伺わなければなりませんのに……。栞祢様はお元気でいらっしゃいますか? 」
「ああ、元気にしているよ。退屈している。時間があるときにでも遊びに来てやってくれ」
「はい。是非に」
二人は私を置いて談笑し続けている。
環は笑っていた。その姿を見ているとなんともいえない温かい気持ちがあふれ出してくる。楽しそう。こんな表情を見れて、泣きたくなるほど幸せだった。ずっとそうしてくれていたらいいなと思う。どうしたらこの顔をし続けてもらえるのだろう。
それから三十分ほどたった頃だろうか、
「では、私は先に暇しよう」
「お見送りいたします」
私一人を残して二人は退室した。
2010/5/14
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