蜜と蝶

PREV | NEXT | TOP

   夕 凪 の 憂 鬱  4   

 
 柊夜は苛立った顔で私を見ていた。早く話せと剣呑な眼差し。彩未のところへ行きたいのだろう。これだけ焦がれているのに彩未に伝わっていないのだなぁと思うとなんだか憐れだ。だがこの男の不甲斐なさが招いた結果でもある。素直に彩未の気持ちを告げるのは癪だった。しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。部屋では彩未が待っているだろうし。
「お前にこんなことを言うのは図にのせるだけだから言いたくないが、彩未はお前のことが好きみたいだな」
「…何だって? どういう意味だ」
「私が、そしてお前が、思っている以上に、彩未はお前に惚れているという意味だ」
 柊夜は不審な顔をした。推し量るような。当然か。二人のことを反対している私が突然こんなことを言えばいぶかしく思う。私だって言いたくない。だが彩未のためだ。
「あの子が死んでもいいから歌いたいと言ったのは、お前に捨てられる前に全てを捧げてしまいたかったからだそうだ」
「……すまないが、言っている意味が分からないのだが。私が彩未を捨てると彩未が思っていると? そう聞えたが? 」
「私も聞いて驚いた。だが事実だ。彩未はそう思っている。いつかお前が自分をいらなくなると。彩未はお前の気持ちを一過性の戯れだと思っている」
「なんだって? 」
 柊夜柳眉を寄せた。
「彩未はお前が本気で真剣に惚れているなんてこれっぽっちも思っちゃいない。単なる戯れで可愛がっているだけで、そのうち飽きて、また別の蜜を連れ帰ってくると思っている。そしたら自分はいらなくなるから、その前に喉が潰れるまで歌ってお前に食べてもらいたかったんだそうだ。お前に言い寄る蜜がお前に歌を捧げて命果てたように、自分もそうするんだと決めて「歌いたい」と言った。それをお前が拒絶した。他の蜜には情けをかけて食べるのに、自分にはしてくれないから、そんなには好かれていないのだと思ってショックを受けて泣いている。それが彩未の解釈だ」
「……バカな。どうしてそんな風に思う?」
 独白のようにいった。衝撃が強すぎたか。無理もない。今までの自分の気持ちが通じていないと知らされたのだ。
「でもまぁ、冷静に考えてみれば、彩未がそう思うのもあながち無茶だとは言えないだろう。元々お前のろくでもない噂を聞いていたのだ。気まぐれで飽きっぽい蝶。それが自分を本気で好きになると? あの子はそんなに自惚れが強い子じゃない。どちらかといえば自信が無い。蜜として歌えない劣等感があるし。だからお前が物珍しさで近寄ってきたのだと思っていても不思議じゃない。興味本位で愛でているだけで、すぐに飽きる。今、愛されていても、先のことはわからないと」
「私はあの子は特別だと何度も言っているし、一生大切にするとも言っている。あの子も嬉しそうにしてくれているのに? それを信じていなかったというのか? 私の気持ちを信じてなかった? 」
「だから、そうじゃなくて…わからん男だな。彩未は何も現状のお前の気持ちを疑っているわけじゃない。今、愛されていることもわかってる。そう言われて嬉しかったのも本当だろう。ただ、それがずっと続くとは思ってないということだ。彩未はやがてくる終わりを感じて怯えているんだ。お前のこれまでの行いを考えれば、そう不安に感じても不自然じゃないだろう? これまでどれほどの蜜に甘言蜜語を囁いてきた? そして飽きたら嘘のように相手にしなくなる。彩未はそれを知っているんだ。お前の噂を知ってる。気持ちが無くなってしまえばどれほど冷たくされるか。お前の寵愛を失った蜜たちが悲しみに暮れる姿を見てきた。自分もそうなると思っても仕方ないだろう? 」
「……蝶が蜜に甘言を言うのは歌を食べるためだ。蝶とはそういう生き物だとお前たちだって知っているはずだ。それで騙されたなど言う方がおかしいだろう? 最初から本気じゃないのはわかっていることじゃないか。でもそれと彩未に言ってきたこととは全然次元が違う。私は彩未を蜜として見て言ったわけじゃない。本当に本心から言っていたのだ。それだって繰り返し伝えてある。あの子は特別だと言っているのに…」
 蝶はそういう生き物。その通りだ。それに引っ掛かる蜜が愚かなのだ。それでもこの男に命を奪われた蜜たちが気の毒でならない。この男は私が蜜であることを忘れているのか。柊夜自身、動揺しているにしろ、よく私に向かってそんなことが言えるなと思う。その無神経さに彩未も追い詰められていったのではないか? こんな男に、大事な彩未を奪われたあげく、とりなす役目をしなくちゃならない? 別れさせてしまった方がいいのではないか? そんな気がした。
「そうだな。彩未は特別だ。それはわかっているだろう。ただし、その「特別」がまた出来るかもしれない。いくら歌えなかったといえ彩未は蜜だ。お前は蜜をそういう目で見ることが出来た。今まではなかったが、一度出来たのだから、これから先はあるかもしれない。そうなれば自分はいらなくなる。彩未はそう思ってるよ。そういう意味では、お前が今まで蜜にしてきたことが、彩未にも起きるだろう? 蜜としての寵愛を失うのも、女としての寵愛を失うのも同じだ。彩未はそれに怯えているんだ。なにせお前は気まぐれな蝶なのだからな」
「そんなこと絶対にない」
 あっさりと否定した。だから、
「…それをどうやって信じたらいいと? そもそもお前たちの間には根本的な信頼関係が無い。お前は強引に彩未を奪った。絆も何もない。そうでなくとも蜜と蝶という壁がある」
 柊夜は黙った。反論できるはずがない。
「やはり、いい組み合わせではないんだ。彩未はお前といれば不安ばかり感じる。お前だって、自分の気持ちを信じてもらえないのは辛いだろう? 別れた方がいいんじゃないか? 」 
 柊夜に追い打ちをかける。ここで諦めてしまうようなら、それまでだ。彩未には悪いが、その程度の男なら、別れさせた方がいい。遅かれ早かれそうなるだろうし。だが、
「――冗談、言うな。あの子を手放すなんて…そんな……」
 柊夜は苦しげな声を出した。この男がどれほど真摯に彩未を想っているのか。反目する私にもわかった。その切迫した切実さに、先ほどまで感じていた怒りが少しおさまる。でも、だからといって、事態が解決されたわけじゃない。
「お前といれば彩未は苦しむ。お前が宴に行くたびに不安でいっぱいになる。可哀相じゃないか。彩未のためにも別れてやった方がいい」
 柊夜が宴に行くと彩未は心配する。柊夜が蝶である以上、どうにもならない。愚の根も出ないだろうと思った。しかし、
「……ならば、私はもう宴にはいかない」
「は? 」
「彩未が嫌がることはしない」
「何をいってるんだ。宴に行かないなど出来るはずがないだろう。お前が死ぬぞ? 」
「構わない。彩未の傍で死ねるなら、そっちを選ぶ」
――そんなこと言うなど思ってもみなかった。
 それが、口先だけの言葉でないことは目を見ればわかる。柊夜は真剣だった。正直な話、柊夜は彩未をデレデレ甘やかし愛でてはいるが、愛情としてここまで深いとは思わなかった。だから、驚いた。彩未にしても柊夜にしても、命を捨てても構わないくらい互いに惚れているのか。これだけすれ違っているのに? いったいこの二人はどうなってるんだ? 怒りや憤りはなりをひそめ、なんだかバカらしくなってくる。これだけ思いが強いなら私が間に入らなくともうまくいくのではないか? 私は余計なお世話をしている? おそらくそうだろう……どっと疲れた。
「お前が死んだらそれはそれで彩未が悲しむだろうが」
「……だけど、仕方ないだろう……他に方法がな…あ」
「あ? 」
 柊夜はじっと私を見つめた。穴があくほど。そして、
「お前がいるじゃないか? 」
「は? 」
 なんだ、お前がいるって……私に彩未をまかせる気になったということか?……どう考えてもそんな雰囲気じゃない。目がキラキラしている。悲観的なものは見受けられない。反対に私は悪寒を感じていた。大変嫌な予感が、する。
「私が宴で蜜と二人きりになると彩未が心配する」
「そうだ」
「でも宴に行かなければエネルギー補給出来ない。彩未を手放さないでいられるならそれで死んでも構わないが…そうすると彩未が悲しむ」
「そうだな」
「そこでお前だ」
「……と、いうと? 」
「私はお前の歌を食べることにする。お前からなら彩未も安心するだろう? 幸いお前の歌は上質で、一人でも私を満たすことが可能だ。男の蜜からなんて食べたくないが我慢する」
「ちょっと待て、私だって男の蝶なんぞに歌いたくない。まして、お前と密室で二人きりになるなんて……考えただけでもぞっとする」
 私は当然拒絶した。そんなおぞましいことしたくない、だが
「お前は彩未が可愛くないのか? いつも言っているのは詭弁か? 口先だけか? 」
「う……」
 こいつ…。だが私も一瞬でも二人の仲を裂こうとした後ろめたさがあるし、何より彩未が可愛いのは事実だ。それで彩未が笑ってくれるなら安いものだ。
「……わかった。その話飲んでやる。ただし、宴に彩未も連れてこい。お前と二人きりで部屋にいるのは耐えられない。彩未が見ているのなら引き受けてやる」
 彩未を連れて来いという言葉に、柊夜は一瞬だけ躊躇ったが了承した。



2010/4/8

PREV | NEXT | TOP
Copyright (c) アナログ電波塔 All rights reserved.