忘れた恋のはじめ方 1
誰でもいいから傍にいてほしい。そんなことを言う女を私は軽蔑してきた。誰でもいいからってなんだ。そんなことで消えてなくなる寂しさなんて程度が知れている。つまらない。あんたの孤独なんて大したことないよ。そんなことで一人ぽっちだとか言うな。と、思ってきた。
「そういうところが可愛げがないんだよ。いいじゃん。誰でもいいから傍にいてほしい。それって重要だろ。特定の人がいないなら、誰でもいいってなる。自然だと思うけど? そこから始めるしかないからな。最初から『この人』って相手を見つけて……なんて高望みしすぎ。お前はさ、まず『誰でもいい』ってことを受け入れないとマジで一生独り身になるぜ?」
都々木創は言った。言葉に少しでもうんざりしたり、同情的だったり、呆れていたり、お節介だったり、濁った色の傲慢さが混ざっていたら私は無視しただろう。だが彼は自然だった。てらいなく、真実を述べた。彼の世界の真実を。
だから私はその瞬間彼に恋をしてしまった。
こんなにもあっさりと好きになってしまったことに自分でも驚いた。ただ、生憎、あまりにも無謀な相手だったけど。だって彼には可愛い彼女がいたから。そして、モテる男だった。
卒業して四年後。
社会人となった。今年二十七歳だ。
「あとはお前と俺だけか」
本日招かれた大学の友人の結婚式の二次会。
久々に顔を合わせた都々木は近寄ってくるなり言った。
「絶対抜け駆けなしよ……とかいってた菜々子が結婚しちゃったからね」
みんなに囲まれて幸せの絶頂にいる山崎菜々子――今日から藤崎菜々子(確かそんな芸能人がいたはずだ)を見ながら言った。
「裏切られてやんの」
「女の友情なんてそんなものよ」
どこぞの三文小説に出てきそうな台詞を言ったら都々木は噴き出した。笑いの沸点が低い。昔からだ。
「お前は相変わらず男気なしか?」
「まぁ、そうね」
だってずっと都々木のことが好きだったから。
大学卒業して連絡をとることはなくなった。携帯番号もメールアドレスも交換していたがしたことはない。都々木からもしてくることはなかった。それでも気持ちは変わらなかった。不思議だ。定期的に会っていたからか。毎年必ず誰かしらが結婚していたので最低でも一度は顔を見る。それだけで私の恋心は継続してしまえた。それも今日でおしまいだ。ああ、でも、もう一度だけ会うことがあるかも。都々木本人の結婚式。呼んでくれたらだけど。
「あのさ、私、都々木のこと好きなんだ」
最期だと思えば何でも言えるものだ。
「あー悪い。俺、今、彼女いるんだわ」
「そう。それはタイミングが悪かったな」
私は笑った。
都々木は女関係が緩い。彼女がいない場合、告白されたらとりあえず付き合う。だから、彼女がいない時に告白すれば付き合えただろう。でも、彼女が途絶えたことがない。私が彼の破局を知る時には、いつももうすでに新しい女と付き合い始めていた。都々木がもうちょっとモテなかったり、私にもっと恋愛スキルがあれば、彼の別れをすばやくキャッチしてアプローチ出来たかもしれない。失恋の寂しさに漬け込むのだ。だが結局出来なかった。やらずに済んでよかったと思う。人の破局を願って毎日過ごすなどおぞましい。それは半分負け惜しみだ。
それからまた、一年が経過した。
見知らぬ番号からの電話がここ三日ばかり続いている。基本的に知らない番号からの電話は出ないのだが、あまりにしつこいので出た。
「もしもし? 今大丈夫か?」
名乗りもしない。
「すみません。どちらさまですか?」
「……お前、俺の携帯番号削除したわけ? ひでぇ」
嘆かれても……。連絡取ることはないと判断した人間は削除するようにしている。コンパで知り合った人の誰かか。でもコンパなんてもう随分行っていない。いつの人だ?
「ごめんなさい……えっと、それでどちら様ですか?」
「普通声でわかるんじゃないか? マジでわからない?」
もったいぶらずに名乗ればそれで済む話じゃないか? 面倒くさい男だと思った。
「電話の声って音が反響するから……わからない」
「都々木だよ」
――都々木?
「あー都々木? 久しぶりだね。どうしたの?」
懐かしい。都々木から電話があるなんて初めてだ。私の番号を登録したままだったのが意外。
「名乗っても知らないとか言われたらどうしようかと思った」
「そんな嫌み言わないでよ。それで何? もしかして、結婚報告?」
言うと、都々木は電話越しにゲラゲラ笑った。
「笑いすぎじゃない? そんなに面白いことでもないと思うけど?」
「面白いだろう? 久々に電話して『結婚報告?』って言われるとは思わなかった」
「あなたが私に電話してくるってそれぐらいしかないじゃん」
「なんでそれぐらいしかないんだよ」
都々木はまたゲラゲラ笑った。
だって、これまで一度もかけてきたことはなかったじゃないか。会えば親しく話すけど、直接電話やメールで他愛のないやりとりをする関係ではなかった。だから、都々木が連絡をしてくるなら、何か重要なこと――結婚、と思っても不思議はないように思われた。私がそう告げると、
「……だったとして、結婚報告してくるだろうって思ってる相手の番号消すか?」
「こない確率の方が高いと思ったし。不要な番号をいつまでも残しておくのって落ち着かないんだよね。たぶん、学生の頃、やたらとアドレス登録が多いことを自慢してる人がいて、『バッカじゃないの?』って思ってた後遺症かな」
「それで俺は削除対象になったわけ?」
ちぇっと拗ねたような声が聞こえた。ふてくされたような顔をしているのだろう。都々木は表情の豊かな男だった。自分が男前なことを自覚していて、わざとそういう顔をして甘えているんじゃないか。と、いつだったか私は酔った勢いで言って、ケンカしたことがある。そう言いながら、私は都々木のくるくる回る表情が好きだったのだけれど。好きな子をいじめるというアレだ。普通、男が女の子にするものだと思われるが、私は都々木にしていた。
「だから、ごめんって。……それで、一体何の用?」
「用がないとかけちゃいけないのか?」
からかうように言われた。面倒くさい男だなと思った。それが本日二度目であると気付く。たぶんきっと、これが一年前なら喜んでいたのだろう。そう、思うと、なんともいえない気持ちになる。相手や、自分の感情によって、受けとめ方を変えちゃいけないなぁと多少反省する。
ただ、私は電話が嫌いだ。メールの方がいい。一方で、都々木はメールより電話派だ。学生時代、仲間内で呑みに行くと、途中で彼女からメールが届く。モテる男だから、彼女は心配らしい。それを払拭するためにメールに返信するのではなく、電話しに席を外す。そしたら十分、二十分は戻ってこない。そのまま帰ってしまうこともあった。ひそかに都々木が戻ってくることを待っていた私は、何も言わずに帰ってしまったことに勝手に傷ついていた。
思い出さなくていいことを思い出して、ちょっと笑ったら、都々木は自分が言ったことに私が笑ったのだと解釈したらしく、先程までのちょっとふてくされた声音を緩めて、
「お前に、話があるんだよ。会えないか?」
「……それはいいけど、電話じゃダメなの?」
「電話で言うような内容じゃない」
キッパリと言われる。
何だろうか。電話で言えないこと。都々木は割と古風なところがあるから、
「頼みごと?」
そういうものは、会って言うべきだと考えていそうだ。だから、私は尋ねた。すると、
「頼みごと……まぁ、大別すれば頼みごとになるかな」
随分歯切れが悪い。まぁ、久々に電話してきて頼みごとというのは厚かましいとか思っているのかもしれない。
「電話で言ってくれていいよ? 別にわざわざ会って言わなくても。失礼な奴だとか思わないから」
合理的に行きましょう、と私は提案した。だけど、
「いや、会っていうよ」
「いいってば」
「いいよ」
「っていうか、『話がある』とか言われたら気になって眠れないし。言ってよ。じゃないと引き受けない」
私が言うと、都々木は押し黙った。電話越しでも躊躇っているのがわかる。困らせている。
沈黙はしばらく続いた。
仕方なく、
「十、九、八……」
カウントを開始する。ゼロになっても、頼みごとぐらい(私で出来ることなら)聞いてあげるつもりだったけど、焦らせた方が言いやすいのではないかと思った。それは的中したのか、
「あー、もうわかった。言うよ」
「うん。何?」
「お前さ、今フリーなら、俺と付き合わない?」
ああ、うん。それは確かに、会っていうべきことかもしれない。
2011/7/16