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忘れた恋のはじめ方 2 

 金曜日の夜。仕事上がり。私の職場の近くで、都々木と待ち合わせをした。電話で告げられた内容について話し合うためだ。
 あれから私は言った。
「とにかく会おう。会ってから聞くよ」
「……だから俺、最初からそう言ってたじゃん?」
 勝ち誇ったような声。優越感に浸っているのか。そのような悠長な状況だろうか。あまりにも変わらない態度に、都々木の言う「付き合ってくれ」は世間で言うところの「好きだから付き合ってくれ」という代物ではなく、何か事情があってのことらしい。と解釈する方が無難だと思った。また、そもそも最初に「頼みごと」と言われていたことも思い出し、そうだった、そうだった、と私は少し落ち着く。あたふたする必要はない。
 だけど、だったとして、
――どんな事情だろうか? 
 それとももしかして、
「私のことをからかっているわけじゃないんだよね?」
 確認するために率直に告げた。
「なんでわざわざ電話してお前をからかうんだよ」
「そう? だってこういう場合、多少なりとも緊張したりするものだと思うけど、全然態度が変わらないから」
「そういうお前こそ冷静そのもののような声だけど?」
「私は動揺が表面に出ないだけだよ」
「じゃあ、ドキドキしてるのか?」
「ドキドキというか……なんで? って疑問符が散っている」
 私の答えに、都々木は「ふーん」と素っ気なく呟く。それから、「今週はちょっと忙しいんだ。来週の金曜なら時間とれるんだけど、どう?」と提案される。それで私はますますからかいではないかという疑いを強めた。だって、普通、こういう状況なら、今すぐにでも会おう。とかなるのではないか? それが、一週間以上先まで、この宙ぶらりんの状況で平気。というのだ。まぁ、仕事やその他もろもろ都々木にも都々木の事情があるのかもしれないが。
 考えてもはじまらない。
 私はそれ以上追及せず、金曜の約束までこのことを忘れて過ごすことにした。

 で。

 約束の日。
 待ち合わせの少し前に着くと、すでに都々木の姿があった。 
「よぉ、久しぶり」
 爽やかな笑顔に、脱力する。電話の時と同様に、何ら緊張感が見られない。久々に顔を会わせるのだから、もう少しぎこちなくてもいいように思う。まして、私はかつて都々木に告白したわけだし、また事情があるにせよ都々木は私に「付き合ってくれ」と宣言しているわけだし、もうちょっと距離感があってもいいだろう。それが……微塵も感じられない。気を張っていた自分が途端に情けなく思えて、いつもの自分を取り戻し、
「お腹すいたよ。とりあえずどっかお店入ろう」
 周囲をぐるりと見渡す。私が勤める会社は典型的な中小企業で、社員は全部で八名。うち、女性は私だけで、仕事帰りに同僚と一緒に呑みに行くということはほとんどない。まっすぐ帰る。だから、この辺のお店はあまり知らない。かといって、どこかへ移動するのも面倒だ。ちょうど駅前にはチェーン展開されている居酒屋がいくつかある。そのうち一番最初に目に入った焼き鳥屋に入ろうと提案したが、
「焼き鳥嫌いだったっけ?」
 都々木はわずかに眉間に皺を寄せている。私の記憶では、特別鳥が嫌いだったことはなかったように思うけと、ある日突然食べ物の趣味が変わるということはままある。嫌いな物を薦めるわけにはいかないと一応尋ねる。
「……いや、いいよそこで」
 ちっともよくない声音だったが、都々木はスタスタと私が指差していた店に向かう。私は後を追った。

 店内はそこそこ混雑している。私たちは入口に近い席に通された。右隣にはサラリーマンの二人連れ(同僚っぽい。私たちよりちょっと年上)、左隣には同じくサラリーマンの三人組(こちらは上司とその部下といった感じ)が座っている。
「とりあえず、ビール」
 近頃の若者は、最初にビールを頼まない子が多いらしい。と、テレビで特集していた記憶が蘇る。私もけしてビールが大好きというわけではないが、店に入ってメニューを見て、「どれにしようかなぁ?」と迷う行為を億劫に感じる。仕事が終わった直後のヘトヘト状態で、余計なことを考えたくない。とりあえず、ビール。それでいいじゃないかと思っている。
「都々木は?」
「俺もビールでいいよ」
 やはりどこどなく機嫌が悪い気がした。こらえているようだが、元々感情表現が豊かなタイプだ。まして、なんだかんだと付き合いは長い方だし、何より私はかつて都々木を好きでいて、都々木のことばかり見ていたから、機嫌のよし悪しを見抜く目は養われている。機嫌は悪い。というか、拗ねているような感じ。
――会った瞬間までは、そんなことなかったのになぁ。
 そういえば……最後に会った時から、二キロほど太ってしまった。それに、卒業してから都々木に会うのは結婚式やその二次会ばかりで、相当気合い入れてお洒落している状態だった。でも今は、自分で言うけど妙齢の女性にしては手を抜いている。職場は制服だし、通勤時はラフな格好だ。たぶん大手企業だったり、そうではなくても女性が他にもいるような職場だったら意識する部分もあるのだろうけど、私はそうじゃない。環境に甘えている。そういう姿にげんなりしたのかも。こいつ普段こんなかよ。と、幻滅して、「付き合う」と言ったことを後悔しているかもしれない。今更引くに引けず困っている?
――ありえるなぁ。
 そうだったとしても、とういかそうだったとしたら、どうしようもない。私に出来るのは、何食わぬ顔をして普通に接することだろう。だから、そうすることにする。
「お待たせいたしました」
 店員がビールを運んでくる。
 たんまりとした泡が美味しそうだ。早く呑みたいところだが、配膳し終えた店員に「料理のご注文はお決まりですか?」と尋ねられる。焼き鳥の盛り合わせと、冷や奴、トマトスライス、きのこの炒め物を注文する。
「他に何かいる?」
「いや、いい」
「そう? じゃあ、以上でお願いします」
 店員が「かしこまりました」と去っていくのを見て、私はビールのジョッキを手にする。
「お疲れ様」
 都々木に向けてグラスを掲げると、同じように掲げた。やはりふてくされているように見えたけれど。

「ぼちぼち出ようか」
 結局、あれから、例の話題を都々木が振ってくることはなかった。していたのは、最近観た映画やテレビ、読んだ本の話。近況を話しあうことさえなかった。プライベートなことに立ち入らず、当たり障りのない話をして二時間が経過。一体何のためにここにきたのかわからなくなる。ただ、言ってこないものを、こちらから聞くのも――それこそ再会した私を見て、幻滅した可能性が高いし――躊躇われたので、知らないふりをして過ごした。いい加減、気疲れする。限界だ。家に帰りたい。だから、帰りを促した。それに対して、やはり都々木は反対しない。
 会計は割り勘だ。都々木は出してくれようとしたが、ほとんど手つかずで、私が一人で飲み食いして話をしていた。私のオンステージを、二時間聞かされて、おまけにお金まで支払わせては後ろめたすぎる。ディナーショーするほど有名ではないし、と支払うと繰り返し、最終的に、じゃあ割り勘で、というところに落ち着いた。
 それから、駅に向かう。
 すぐ目の前が駅だ。便利だ。
 駅に向かっても、都々木は引きとめない。時間はまだ九時過ぎ。次に行こうと誘われれば、今度こそ話があるのかと思う。だけど、そういう素振りは見せないので、これはいよいよ、会ってみて気が変わった説が有効だ。私も大人だ。そういうこともあるよ、と目をつぶることにした。
 私と都々木の家は逆方向、そのまま電車に乗って別れた。

――あーあ。

 一人になると、ふいに情けなさに襲われる。
 都々木から電話があり、「付き合わない?」と言われた時、正直ドキリとした。一年も前に終止符を打った恋心だったけど、曲りなりにも大学二年から七年も馬鹿みたいに好きでいた相手からの申し出だ。何か事情があって言ってきているのだろうとは思っても、嬉しいと感じる気持ちは多少あった。それが、会って不合格を突きつけられた。そんなのってあるか? 忘れていた恋を引っ張りだされて、改めて一刀両断された。そんなのってあるか? いや、まぁ、確かに、電話で聞きだそうとした私が悪いのかもしれないけど。電話ではなく、会ってから聞くことを選んでいたら、都々木は私を見た瞬間、別の頼みごとを用意してすり抜けていたのかも。そしたら、私はそれを信じて、都々木の本当の目的を知らずに済んだかもしれない。そうせずに、会う前に聞いたのは私自身だ。だけど。
――悲しい。
 気持ちは沈み込んで行く。明日、休みでよかった。この週末は家に引きこもって寝て過ごそう。そしたら、月曜には元気になっているはずだ。
 最寄り駅に着き、電車を降りる。
 改札を抜けると、目の前にコンビニ。以前は酒屋さんだったのが、コンビニになった。お酒でも買っていこう。ヤケ酒だ。そうじゃないとやってられない、と一歩踏み出したところで携帯が震える。鞄から取り出すとサイドディスプレイには「都々木」の文字。電話がかかってきて、再登録し直したものだ。
 無視してしまおうか――と一瞬思ったが、それはいくらなんでも大人げない気がして出ると、
「お前一体何なの?」
 抑揚のない声。完全にキレていた。



2011/7/18

  

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