聖なる夜 01
緑と赤が溢れだした町並み。もうじきクリスマスだ。心なしかいきかう人々の足取りも軽やかに見える。
朱乃は車内から眺めるイルミネーションを楽しげに見つめていた。だがそれもすぐ奪われる。信号が青に変わり、車が発進し、景色がどんどん流れ始めた。名残おしげに窓を見る姿を、隣に座る男が見ていたことには気付かなかった。
***
「籠の鳥ですか。普通思っても実行しないものですけどね」
入江翁に呼ばれて訪れた屋敷。帰り際、陽芽にとって最も会いたくない男に呼び止められた。
「万一の危険を避けるためだ」
陽芽の答えに、入江家の次男・史孝は面白そうに声をたてた。
「へぇ……一応、自覚はあるんですね。監禁してるって」
「監禁」という言葉が挑発的だ。
「朱乃は理解している」
「理解しているのと納得しているのは別ですよ」
「……」
「そんなに彼女を縛り付けて、まさか本当に危険だからと思っているわけじゃないでしょう?」
「何が言いたい?」
「意外と了見の狭い男だったんだなと思って。いい加減、彼女もうんざりしてるんじゃないのかな。まぁ、逃げたくなったらいつでも私が引き受けますからご安心を。それでは」
愉快そうに去っていく。
(食えん男だ)
まだ諦めていないのか、からかっているのか。飄々とした男の口調から真意は読みきれない。いずれにしても面倒な相手だった。表情を崩さない陽芽にしては珍しく、露骨に柳眉を寄せて屋敷をでた。途端に冷たい風が頬に触れる。季節はすっかり冬だ。
陽芽と朱乃の想いが通じ合ってから三ヶ月。怒涛のように過ぎた日々だった。
婚約破棄についての真偽を各方面から執拗に詮索されたのが疲弊した最大の理由だ。正式な執り交わしではなかったが、情報がものをいう社会。婚約予定を知る人間が多かった。それ故、破談は両家の間に確執が生まれたからではないか、と邪推された。入江家と奥澤家の間に溝ができることが利益になる者、不利益になる者がいるため仕方がない。そういった背景が事態を大きくさせることは予測できていたし、両家の間が今まで通りであることを徹底してわからせるための労力なら惜しまないと覚悟もしていた。
だが、話は意外な方向へ進んだ。
婚約話のご破算がわかると、すぐさま別の縁談が持ち込まれだしたのだ。
「奥澤」の家に関係なく、朱乃個人を気に入って申し込んでくる者も多い。断るのに苦労する。陽芽としては朱乃がウィークポイントと思われ、彼女の身が標的にされることがないよう、出来るなら二人の関係を伏せておきたかったのだが、言わなければ永遠にこんな状況が続くのかと、ついに関係を周知させた。おかげで、縁談話はこなくなったものの、女一人のために騒動を引き起こしたことが公然と知れ渡った。プライドの高い陽芽にとっては耐え難いことだ。それで朱乃を傍に置くことが出来るならと堪えた。
車に乗り込むと、陽芽から深いため息が漏れる。
史孝が言った「監禁」という言葉が頭にこびりついていた。強制しているつもりはないが、近いものはあった。直接朱乃が命を狙われることは少ないだろう。ただ人質される可能性は高い。その恐れから、外出時には気を配っていたのは本当だ。朱乃もそれがわかっているからか、あまり出歩かない。
しかし、それだけが理由ではない。――朱乃への縁談話の多さに嫉妬していた。
彼らが、いつ、どこで朱乃を見初めたのか。今後もそんなことがありえるかもしれない、と考えるだけでイライラした。誰の目にも触れさせたくない。たとえそれが相手の一方的な想いであっても、朱乃を想うのは自分一人で充分だし、そうでなければ気がすまない。それが陽芽の素直な感情だったが、朱乃の身の危険を案じていると話をすりかえることで体裁を保っている。
文句も言わず、陽芽の意に沿うような生活を送る朱乃だが、自由を拘束する代償がやがて訪れるかもしれない。こんな生活は嫌だと、飛び出してしまわないか。最近、朱乃の表情が優れないことも気にかかる。不安を感じるのなら、束縛などやめてしまえばいい。だが、気持ちとは裏腹に更に縛る行動をしてしまう。
「了見が狭い男か……」
自虐的な呟きがもれた。
2009/12/20
2010/2/21 加筆修正