君なくて、番外編 【聖なる夜】 > 01 / 02 / 03 / 04 > novel index
聖なる夜 04

 陽芽にとって今日は厄日だった。
 入江家主催のクリスマスパーティの招待状。史孝の直筆で「閉じ込められた姫君の息抜きを」と朱乃の出席を促す一文が書かれていた時から予感はあった。無視してしまいたかったが、もっとおそろしいことになりそうで受け入れた。
 屋敷につくなり、目ざとい史孝に捕まり、「朱乃さんの相手は私がしますので、どうぞご当主殿はご挨拶めぐりを」と強引に送り出された。挑発にのっては思うツボだと、史孝の言うとおりに従ったが、内心気が気ではなかった。意識の端では常に朱乃を見ていた。早いところ挨拶を終わらせて戻ろうとしても、こんな時に限って話こまれる。
 イライラしながらも一通りの顔見せを終えて、もう用はないと帰ろうとしても、なんだかんだと史孝に引き止められ、やっとの思いで暇乞いに成功したが、屋敷を出る前に、史孝がわざわざ出口まで見送りにきて言った。
「ここの道を下ると、イルミネーションが美しいですよ。朱乃さん、せっかくですから見に行ってはいかがですか? そこの男にでも連れて行ってもらえばいい。女性はイルミネーション、お好きでしょう?」
 朱乃が返事に困っていると、更に史孝は言う。
「それとも、私がお連れしましょうか?」
 冗談じゃない。これ以上朱乃の傍に貼りつかれては迷惑だと、二人の間に割って入り朱乃をさらうようにして屋敷を後にした。
 それから、以前、朱乃が車窓から見えるライトアップされた町並みを楽しげに見つめていたことを思い出し、入江の提案に乗るのは釈然としなかったが、陽芽はその街路樹へと向かうことにした。
 二人して外を歩くことなどなかったから、新鮮で、先ほどまでの苛立ちが少し緩和されていく。が、目的地へ着いてみると再び気持ちがささくれだつ。カップルがあふれかえって、人の目などおかまいなしに戯れている。「はしたない」と心で揶揄ったが、半分はやっかみだ。ここで陽芽に朱乃の手を繋ぐだけの行動力があれば話はもっとスムースに違いないのだが、恋愛ごとには疎い。ただ無言で歩く。その後ろを朱乃もまた何も言わず歩いた。
 メインの大きなツリーの下まできて、さすがにここで何か話さなければ……と口を開いたら出てきた台詞が「入江といる方が楽しそう」だった。「どうしてそんなことを言うのですか? 」と朱乃に問われて、ようやく陽芽は朱乃と史孝が仲良くしている光景を見て嫉妬しているのだと自覚した。途端、口走ってしまった台詞が女々しくて恥ずかしいと感じ、黙るしかなかった。
 そんな陽芽に朱乃は言った。
「私は邪魔ですか? 傍にいることは迷惑でしょうか?」
 自分が朱乃を邪魔に思うはずなどない。感じていた苛立ちがいっぺんに吹き飛び、朱乃が何かとんでもない思い違いをしているらしいと知る。そして、陽芽自身もまた、
「お前が俺を疎んでいるんじゃないのか?」
 朱乃へというよりも独白に近かった。思わず出てしまった一言は頼りなく空気に溶けた。
「私が、陽芽様を疎む理由はないと思うのですが……」
 何をどう解釈すればそんな台詞が出てくるのか、身に覚えのない朱乃は陽芽の次の言葉を待った。だが本人は考え込んで動かない。
「……なにか行き違いがあるようですけど、私は陽芽様の傍にいたいと思っています」
「嫌がっているんじゃないのか? こんな窮屈な生活……俺にはずっとお前が憂いているようにしか見えなかったが」
 その言葉に、朱乃は戸惑った。この三ヶ月、たまにしか顔を合わせることはなかったし、会うときは明るく振舞っていたつもりだ。まして、自分を避けているのではないかと疑うほどよそよそしかった陽芽が朱乃の憂鬱を見抜いていたことに驚いた。無関心だったわけではないのだ。ただ、憂鬱さの理由を大きく誤解しているけれど。
「私が憂えていたのは、この生活に不満をもっているからではありません。私の警護が強まるのは、それだけ陽芽様の身が危ういということでしょう。だから私は、」
 すべてを言う前に、朱乃は口をつぐんだ。目の前に立つ男が、信じられないほど優しげな眼差しをしていたから。いつも冷淡な目をして、何を考えているかわからない男が、初めて自分に向けた微笑に見とれてしまった。陽芽は惚けた顔で自分を見つめる朱乃に口付けをして、そのまま抱きしめ耳元で囁く。
「さっき屋敷を出るときもそんなことを言っていたな」
 ほんの数十分前の話だ。入江家の門を出たところで「護衛がなくて二人きりで出歩いて大丈夫なのか」と朱乃が言った。「俺が傍にいて守るから大丈夫だと」と陽芽は答えた。しかし、朱乃は自分の身ではなく、陽芽が大丈夫なのかという意味だと付け足した。
 そんなこと言われたことがない。人の護衛をすることはあっても、人から守られたことなどない。危険な目に遭えば、自らの体を差し出して依頼者の命を守る。幼い頃からそう育てられたのだ。だから、言われて初めて、朱乃が自分の身を案じていることを理解した。
 この世から自分が消えても特に何も変わらないだろうと思っていた。だから陽芽にとって衝撃だった。自分が死ねば、朱乃は悲しむ。その事実に喜ぶ自分がいる。惚れた女を悲しませるのに、嬉しいだなんておかしな話だと思う。だが、陽芽を襲っている感情は幸福感であることは疑いようのない事実だった。不謹慎なものだと、すぐにどこか意識の奥底に眠らせてしまったが。
 そして今、再び、朱乃の心を憂鬱にさせていたのが、陽芽の身を案じてのことだと知り、あのなんともいえない喜びが甦る。
「バカだな……」
「え?」
「いや、俺のことだ」
 どこかで、信じ切れずにいた。いつか自分から離れていくのではないかと、そんなことばかり気にして朱乃を縛ることばかり考えていた。
「俺は死なない。お前のために生きよう。だからお前も、俺から離れるな」
 柔らかな唇をふさぎ、貪るように深く浅く口付ける。
「……街中、ですよ」
 朱乃は顔を赤らめて、抗議の声をあげたが構わなかった。
「いいさ、第一、誰も周りなんて見てないだろう」
 みな、自分たちのことで忙しい。人前で戯れるなどはしたないと思っていた気持ちなど忘れて、現金にも言ってのけた。




2009/12/27

2010/2/21 加筆修正

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