君なくて、番外編 【聖なる夜】 > 01 / 02 / 03 / 04 > novel index
聖なる夜 02

「夢なのかも……」
 ベッドに横になり、天井を凝視しながら朱乃はひとりごちた。
 史孝との婚約が流れて三ヶ月が経過した。だが、未だに、現実味がない。都合のいい夢を見ているのではないかと疑い、頬をつねってみては本当なのだと思う。そんなことの繰り返しだ。
 現実感のなさは、陽芽との関係にあった。
 当主として元々忙しい身ではあったが、婚約破棄の尻拭いのため拍車がかかり会えない日々が続いた。それでもようやく最近になって落ち着いてきたのだが……陽芽の態度が以前と何も変わらない。それどころか更に素っ気無くなった気がする。朱乃としては「恋人」と解釈していたから冷たさに戸惑った。だからあの告白劇は夢で、実際は何も起きていなかったのではないか。と、そんな思いに襲われてもしかたがなかった。
 ただ、夢ではない証拠が一つだけあった。朱乃の身辺警護が徹底してなされるようになったことだ。
 奥澤の家は闇社会で生きる。それ故、命の危険にさらされる。それは当人だけではない。身近な人間も同様だ。むしろ本人よりも狙われやすい。本人にとって大事な人間を殺害することで苦しめる。下賎な考えはいつの時代もなくならない。また人質とし誘拐し交渉を有利に進めるという手もある。利用価値は高い。だからこそ、当主にとって大事な人間には警護がつく。
 実際、朱乃の父、前・奥澤当主である弥一が生きていた頃、朱乃には警護がついていた。父が死に、奥澤との繋がりが絶たれてからは外された。それが再開されたのだ。つまり、少なくとも、朱乃に何かあっては困る、という意思の現われだ。傍に置いておく意識があるからこそ、警護させている。の、だろうと信じたい。だが、それを信じきるだけの陽芽との関わりが持てていない。不安は広がった。
 また、朱乃を憂鬱にさせている理由がもう一つある。――身辺警護が厳戒すぎること。
 弥一の娘として警護対象だった当時はもう少し自由があった。しかし、今はない。どこに行くにも、何をするにも誰かが必ずついてくる。元々そういった特殊な状況に慣れていた朱乃でも息苦しさを感じるほどの徹底ぶりだった。
 あまりに厳戒なことが気がかりだ。警護が厳しい分だけ陽芽の身が危険であるといえる。父親の生前もそうだった。大きな仕事――身の危険が高い仕事を依頼された時は、警護が厳重になる。だから、よほど危険な仕事をしているのだと思った。それ故、ひどく心配だった。もし陽芽の身に何かあったら、と思うと心臓が止まりそうになる。真実は、陽芽の嫉妬による束縛だが、そんなこと露ほども知らない朱乃にとっては、陽芽の身を案じて眠れない。また守られる一方である自分の非力さを悲しんだ。
 家からほとんど出ず、誰とも話さず、陽芽の身を案じるだけの日々は、思考をネガティブにさせていく。
 そもそも、陽芽に好かれていると自信がない朱乃だ。自分をただの足手まといだと思いはじめていた。ひょっとして、それが重荷になって嫌になっているのではないか。そんな後ろ向きの思考に落ち始め、ついにはあの告白を、勢いにまかせたものだったと思い始めていた。「誰にも渡さない」と告げた言葉に嘘はなかったと思う。熱を帯びた感情は本物だった。だが、一過性のものだった。自分を好きだといっていた女がいなくなると惜しくなる。そんな話はよくあることだから。
 仮にそうであったとしても、朱乃は満足だった。全く叶うはずのなかった想いが、一瞬でも成就したのだ。ただ、勢いによるものだとしたら、いつ熱が冷めてもおかしくはない。本当はすでに冷めているのかもしれない。陽芽にしたら、自ら薦めた縁談を、自ら破棄した手前、今更朱乃をほっぽりだすような真似は出来ない。義務と責任を負わざるを得ない。今頃失敗したと後悔しているかもしれない。
「……私、ここにいていいのかな」
 自分が出ていけば話が丸くおさまる気がする。近頃ではそんなことばかり考えてしまう。思考が筋道をたてていない。とんでもない妄想だった。しかし、思考の袋小路に入った人間というのはそのことに気付けない。滅裂なことを真実であると思い込む。悪循環がとまらない。それは気持ちだけでなく、肉体にまで影響がでてきて、顔色も優れなくなっていた。それでも、陽芽の傍にいたい。その気持ちが、ギリギリのところで行動に移すことなく思いとどまらせていた。




2009/12/22
2010/2/21 加筆修正

  

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