聖なる夜 03
午後十時を過ぎた夜の街。
クリスマスイブとあって、街路樹がイルミネーションで飾られ美しい。多くのカップルが寄り添い仲睦まじく歩いていた。周囲がこれだけベタベタしていると、普通に歩く方が逆に浮いてしまう。陽芽の後ろを歩く朱乃は困惑気味だ。どうしてこんな状況になっているのか。話は少し前にさかのぼる。
二人は先程まで入江の屋敷にいた。クリスマスパーティへ招待されていたのだ。
屋敷に着くと、入江史孝が迎えてくれた。婚約破棄になってからも、史孝は以前と変わらない。顔に泥を塗られたと、両家の関係が悪化してもおかしくないのに、朱乃の恋の成就を祝福し、両家の確執が生まれないように間に立って取り成してくれたのだ。
今日の会場でも、挨拶周りに忙しい陽芽に代わり傍にいて話し相手になってくれている。そんな配慮も嬉しかった。朱乃にしても、これ以上陽芽の立場が悪くならないよう史孝に対しても務めて友好的に振舞っている。
「それで、彼とはその後上手くやっているのかな?」
「はい。大切にしてもらっています」
「家から一歩も出さないほどだそうだね」
朱乃は曖昧に笑った。
「窮屈じゃないのかい?」
「……いいえ、私は、陽芽様の傍にいられればそれで」
「彼は果報者だね」
のろけてしまったようで朱乃の頬が染まる。そんな表情も初々しくて、陽芽でなくとも閉じ込めておきたい気持ちがわかる。
それから他愛のない世間話をして過ごした。久々に人と会話して、朱乃の心も軽くなる。一人でいるとろくなことを考えないので息抜きになった。
「私でよければ、いつでも相談に乗るよ。彼は一筋縄ではいかなそうだし」
そう言って笑う史孝に朱乃の表情も緩む。一人っ子の朱乃にとって史孝は頼れる兄のようだった。
そうして、陽芽が戻ってくる頃には、二人の間にはすっかりとくつろいだ空気が流れていた。だがその反対に、陽芽の纏う空気は凍てついていた。あまり表情を出すタイプではなく、傍目にはわかりにくいが、明らかに不機嫌だった。長い間見てきたのだ。朱乃にはわかる。ただ、その原因がわからない。華やかな場を好まない人だから、早く開放されたいのかもしれない、と解釈する。
この後は何の予定もないはずだ。早く帰宅して休んでほしい。そう思い、それとなく帰宅を促すように話をもっていく。その願いが通じたのか、退席を許され、玄関へ向かう。
帰り際、史孝がわざわざ出口まで見送ってくれた。
「ここの道を下ると、イルミネーションが美しいですよ。朱乃さん、せっかくですから見に行ってはいかがですか? そこの男にでも連れて行ってもらえばいい。女性はイルミネーション、お好きでしょう?」
何を思ったのか、史孝が突然言った。自分を配慮してくれているのだろうけれど、陽芽に休んでもらいたい気持ちがある。朱乃は返事に困った。すると、更に史孝が、
「それとも、私がお連れしましょうか?」
リップサービス――というわけでもないらしく、一歩朱乃の傍に近寄ろうとした。その瞬間、陽芽が間に割り入るように立った。
「入江さんはホストとして他の方のおもてなしもあるでしょう。朱乃のことはご心配なく。では失礼」
言うや否や、朱乃の腰を強引に抱いて歩き出した。屋敷の前で待機していた車を無視して、門に向かう二人に慌てたのは運転手だ。運転席から飛び降りてくると、走り寄ってきた。
「すまないが、今日は歩いて帰る。お前たちは先に帰ってくれ」
そうでなくても愛想のない陽芽が不機嫌さを隠しもせずに言うと場が凍る。言われたことに逆らう勇気などなく、運転手はあっさりと戻った。残された朱乃はどうしていいか途方に暮れる。その頃には腰を抱いていた手から開放されていたが、力強い腕の感触はなかなか消えなかった。
「少し寒いが、大丈夫か」
「私は平気ですけど……いいのですか? 護衛もつけず出歩いたりして」
「俺が傍にいる。必要ないだろう」
「いえ、私の身ではなくて陽芽様の……」
陽芽はフッと笑っただけで、何も言わずに歩き出した。仕方なく朱乃もその後を追う。
それから無言のまま、このイルミネーションで飾られた街路樹まで来たわけだが……。
大きなクリスマスツリーの装飾の傍にきて陽芽は足を止めた。少しましになっているとはいえ、まだ不機嫌なオーラを感じて、声をかけるのも躊躇われる。ツリーを見上げる精悍な横顔を見ても考えは読みとれない。しばらくそうしていると、こちらを見ることなく言った。
「私といるより、入江といる方が楽しそうだな」
「……どうしてそんなことを言うのですか?」
尋ね返しても返事はない。状況を悪い方へ解釈させる、重苦しい沈黙が生まれる。朱乃の中にあった不安が蠢きだす。
やはり陽芽は、婚約破棄させたことを後悔していて、元鞘に戻したいと思っているのではないか。自分が家を出ると口にすることが陽芽の望みなのではないか――。そんな想いが溢れてくる。そして、
「私は邪魔ですか? 傍にいることは迷惑でしょうか?」
問いかけに、陽芽はまるで不可思議なモノを見るような顔をして朱乃を見た。
2009/12/24
2010/2/21 加筆修正