恋の罠U 2.保健室で
日常を取り戻したとはいっても、全てが元通りに戻るわけではない。晶規とは同じクラスだし顔を見てしまう。毎日。必ず。
それでも私たちの関係を学校の人間は知らない。教室で仲良くしたことがなかったのが幸いして、避けていても変に思われない。避けていると気づかれることもない。以前、同じクラスで公認のカップルが破局を迎え、無神経な野次馬にあれこれ噂されて、女の子が泣き出して大変だったことを思えばありがたい。私の気持ちだけの問題だから。なるべく関わらないように努めさえすればいい。
でも、不可抗力的に彼の存在を意識させられてしまうことがある。
三時限目。現代国語の時間だった。
「次、永原読んで」
――……。
「永原……?」
教師の呼びかけにも答えない。教室が少しざわつく。
「どうした? 気分でも悪いか。顔色が悪い」
「……頭が…保健室行っていい?」
「ああ。一人で大丈夫……じゃなさそうだな。おい、このクラスの保健委員は?」
「羽鳥さんです」
「連れていってやれ」
どうして私は保健委員などしているのだろう。
というか、もう一人いるはずなのに、よりによって私の名前があがるなんて。でもここで嫌ですというのもおかしい。何より、晶規の顔色は冗談抜きで悪かった。
二人連れ添って教室をでる。三階の教室から一階の保健室まで二分もかからない。調子の悪い晶規に合わせてゆっくり歩いても五分かからないはずだ。でも長く感じた。辿りついた時にはどっと疲弊していた。
中に先生はいなかった。職員室かもしれない。とりあえず、簡易ベッドに寝るように指示すると無言で従った。
「熱はかってみる?」
「いや、風邪とかじゃないし。単に寝てないだけ……いろいろすることがあって」
含みをもたせた言い方。
「そう」
「気になる?」
――嫌な男だ。
「別に」
「冷たいもんだな」
乾いた笑い声。
冷たい? 私が? どういうつもりで言っているのだ。晶規を見ると無表情だった。何を考えているのか読めない。元々よくわからなかったけど。
「……あんたも結局俺の体が好きだったんだろ? 満足したらそれで終わり」
ほとんど口を動かさずにつぶやいた。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。飽きたから来なくなったんだろ」
「そんな風に思ってたの? 呆れた」
こんな男と話すだけ時間の無駄だ。立ち去ろうとした。が、 先ほどまでフラフラしていたのにどこにそんな力が残っていたのかと思うほど強引に引っ張られた。
「あんたも俺から逃げてくの?」
あんたも? それは誰のことを言ってるのか。
「でも、逃がさないから」
狂気めいた色気に襲われる。明らかに様子が違う。彼は口では冷たいことを言うけれど、触れてくる指先は優しかった。愛されていると感じた。それが錯覚だとしても、抱き合っている間は真摯に愛されていると。乱暴をされたことはない。一度も。けれど、今は、
「嫌だ、やめて」
抗議の声をあげるが聞きいれられない。モノみたいにベッドに投げ出される。
「そういいながらやめてほしくないんだよね? 焦らしてるだけでしょ?」
「違う……」
否定するが口付けられた。侵入してこようとする舌を必死で拒むが、同時に責めたてられた胸元への刺激で思わず声が漏れてしまう。わずかに開いた唇の隙間をぬるりとした感触が滑り込んでくる。一度入り込まれるといいように弱い部分を犯された。体は容易く快楽を思い出し火がついていく。
「あんた感じやすいから、一月もしてなかったら大変だったんじゃないの? それとも他に男できたの?」
カッとなった。そんなことあるはずがない。
「どうなの? 答えてよ」
ベッドに押さえつけてくる晶規の顔は微笑をつくっているが目が据わっていた。恐い、と思った。右肩を押さえつけられたまま、空いている手で左足首を抱え込まれる。スカートが捲れて顕になった太ももに舌を這わせた。
「やめ……」
「答えてくれないなら確かめるだけだ」
残酷な声。そのまま舌先が敏感な部分へと徐々にあがってくる。
「してない……誰とも、他に男なんて、いな……」
襲ってくる快感に気が遠くなりそうになりながら、それだけ告げると、彼は動きを止めて私の顔をみた。満足気な表情。妖艶で、だけど相変わらず目は笑っていない。
「そう? じゃあ、よくしてあげるから」
再開される行為に悲鳴が上がる。
どうしてこんなことを――こんな無理強いをするなんて。抵抗しながら、涙が溢れてきた。私の感情を無視する晶規が悲しかった。
「本当に、嫌。お願い。やめて……」
「……」
そんな私の様子に気づいたのか、
「泣くほど嫌なわけ?」
柳眉を寄せて、困惑した表情。でもすぐ、不機嫌な顔に戻る。
「ちょっと前は自分から抱かれてたくせに、なんなの、あんた。いいよ。萎えた。泣く女を抱くほど相手に困ってないから」
組み敷かれていた体が解放された。私を見据える晶規の冷たい目。ぞっとする。憎悪と軽蔑が混濁している。拒否したのは私なのに拒絶されたような。辛らつで理不尽な言葉を吐く男の奥底に、一瞬だけ感じたもの。それは……。
――どうして?
間違ってない。気持ちも伴わないのに抱かれるなんて嫌だ。快楽を味わうためだけのセックスなどしたくない。初めは自分で望んだ。だから今更それを主張することが勝手だと言われても仕方ないのかもしれない。でも、もう受け入れられなかった。だから、私は間違っていない。なのにこの後ろめたさはなんだろう。
晶規は口元だけを歪めて笑った。つまらない。あんたなんかもういらない。そんな態度でベッドを降りて保健室を後にする。立て付けの悪いドアがガラガラガラと大きな音を鳴らす。何かが崩れ去っていくみたいだ。
残された私は、乱された服を整える気力も出せない。ほんの数秒前まで燃えるような情を見せた男の残像が消えない。
――傷つけてしまった。
私の胸に広がったのは憤りでも悲しみでもなくそんな想いだった。
2010/1/30
2010/2/22 加筆修正