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恋の罠U  4.特別     

 店内は混雑していた。九割が女性客だ。
 私たちは一番奥のキッチンに近い席に通された。他の席からはほんの少し隔離された場所だ。話をするにはちょうどいい。
 店員がメニューをもってきてくれる。
「アップルパイは食べなくちゃね、有名なのよここの」
 真千子さんは言った。それで、アップルパイ一つを二人でわけることにして、私はレアチーズケーキとアールグレー、真千子さんはブルーベリータルトとコーヒーを注文した。
「すみませんが、アップルパイは二つに切ってもってきてもらえますか?」
「かしこまりました」
「お願いします」
 店員は丁寧にお辞儀をすると厨房へ戻っていく。二人きりになると手持ち無沙汰になった。私はお水を口にした。
「さてと」
 そう切り出して、真千子さんも水を一口ふくみ真っ直ぐに私を見た。微笑を浮かべているが眼差しは真剣だった。途端に私の体に緊張が走る。
「そんなに堅くならないで? 私まで緊張しちゃうわ」
「……すみません」
「謝らないでよ。無理に付き合ってもらったのは私なんだから。でもよかった。てっきり断られるかと思ってたから」
 断りたかった。偶然私を見つけて声をかけたとは考えにくい。たぶん、話したいことがあるのだろうと思った。そして、その話は私にとってそんなにいいものではない。だって彼女は晶規の従姉弟なのだから。
「遠まわしなのは好きじゃないから、言うわね? まだ、晶規のこと好きでいてくれてる?」
 潔いほど直球だった。晶規を好きか。私が最も考えないようにしてきたことだ。
「……わかりません」
「ふふ、正直ね」
 私の曖昧な答えに、けれど真千子さんは満足気だった。
「わからないってことは少なからず好きって気持ちがあるってことよ。キライだと思えば、女は容赦なく拒否する」
 私は返すことが出来なかった。真千子さんが言うことはおそらく当たっている。私は彼を嫌いではない。今も。でも、そうだからといって私たちの関係が変化するものではない。だから考えないようにしてきた。好きだと自覚してしまえば、行き場のない想いに苦しめられるだけだとわかっていたから。
「よかった。まだあなたが少しでもあの子を好きでいてくれて。私じゃ手に負えなくなっちゃってるから」
「手に負えないって……何かあったんですか?」
「あの子、今ね、生きることにストライキ状態なの」
 ストライキ――それはどういうことなのか、聞き返そうとしたら、ちょうど店員がケーキと飲み物を運んできたのでタイミングを失う。
 テキパキと適切な位置にお皿が置かれていく。どちらが何を頼んだのか覚えているみたいだった。きっと、仕事の出来る人なのだろう。最後にアップルパイを中央に置くと「失礼いたします」とまた丁寧にお辞儀をして帰っていった。アップルパイはちゃんと均等に二つに切ってくれていた。
 生まれてしまった奇妙な間を破ったのは真千子さんだった。
「ねぇ、咲穂ちゃんから見た晶規って、どんな風?」
「どんなって……」
「正直に答えてくれていいよ。我侭で自分勝手で甘ったれで、」
 真千子さんのその後を続けるように合図した。
「……寂しがり、かな。あと、すごく気分屋」
「そう、とても子どもっぽい子なの。でもね、これまで晶規が付き合ってきた女の子たちは違うと思うよ。同じ質問をしても、きっとそんな風には答えない。『優しくて、気配りができて、理想的な恋人だ』って言うと思う」
 何が言いたいのか、私は掴みかねていた。
「晶規はね人の気持ちに敏感なの。相手が何を望んでいるか、好かれたくて一生懸命になってしまう。自分が望まないこともしてしまう。でもそんなの長くは続かない。くたびれるから、結局誰とも長続きしなかったわ。それで、気づけば、誰とも心を通わせないで、自分の殻に閉じこもるようになった。でもそれじゃ寂しいから、来る者拒まず、去るもの追わずみたいなことしてる」
 真千子さんは寂しそうな顔をしていた。
「でも、あなたに対してはそうじゃなかった。だから私はすごく嬉しかったの」
「……そうでしょうか。私もやっぱり同じだったんじゃないかって思います」
「本当にそう思ってるの?」
 強い口調だった。
「咲穂ちゃんにとっては辛かったかもしれないけど、晶規にとって咲穂ちゃんと必要な人だったわ。そして、今も、必要としてる。あなたもそれはわかってるんじゃない?」
 そうであればいいと願ったことはある。でも、どうしても信じられなかった。
「よくわかりません。勝手気ままにできるから『必要』というのは都合がいいだけだとしか思えません」
「そうね。あなたから見たら、ひどく勝手な言い分だと思うわ。それでも晶規にとっては、そうできる相手が『特別』であることは本当なの。自分が必要とする相手にそんな風にしか振舞えないあの子に問題があることもわかってる。でも、初めてなのよ。あの子があんな風に接していたの」
「……」
「こんなことを言うのは卑怯だってわかってる。あなたにとっては重荷にしかならないことも。でも、ごめんなさい、私は晶規の従姉弟だからどうしても晶規が可愛い。なんとかしてあの子に幸せになってもらいたい。だから、言うわ。――あの子はね、実の母親に捨てられたの」
「え……」
「あの子が七歳の時。男をつくって出て行った。それからしばらくして、父親が再婚した。新しく母親になった人に、晶規は好かれようと必死だったわ。もう二度と悲しい思いはしたくなかったんでしょうね。気に入られるように頑張ってた。でも、義母となった人は子どもが好きじゃなかった。晶規の努力は報われなかったの。そしてあの子が中学に入学したとき、父親の海外赴任が決まった。晶規はそれに連れて行ってもらえなかった。もう中学生なんだから、一人でも大丈夫でしょって、置いていかれた。酷い話だと思った。だからうちにくるように説得したけど『お父さんとお母さんは僕が一人で暮らせるって信頼してそうしてくれたんだから、一人で住む』って言い張って。それからあのマンションで一人暮らしをしているわ」
「……」
「あの子が自分から何かを望むことが苦手なのはそういう理由。望んで手に入らない悲しみを味わいたくないの。だからいつも傷つく前に諦める。自分の気持ちはみせない。晶規がもし、何かを追いかけたり望んだりすることがあるなら、それはとても勇気がいることなの。普通の人がするよりずっとね。でも、あなたのことは追いかけたでしょ?」
 保健室での出来事が思い浮かんだ。あの時、晶規は「逃がさないから」と言った。あの言葉は彼にとって切実な叫びだったのだろうか。私が受け取ったよりもずっと重く、強い意味があったの? でも、私は彼を拒んでしまった。蔑むような眼差しで私を見た晶規の顔。傷つけたと思ったのは間違いなんかじゃなくて、あの時、確かに晶規を傷つけてしまったのだ。最悪の形で、傷つけた。
「すごく好きなのよ。傍にいてもらいたいの。それを上手に言えない。世話のやける従姉弟なの」
「……今も、そう思ってくれているんでしょうか?」
 まだ、間に合うのだろうか。真千子さんは私の問いににっこりと笑って、
「この一ヶ月、あなたがくるかもしれないって、玄関先で張り付いてほとんど寝てない。食事もままならないくらい待ち焦がれてるわ」



2010/2/14
2010/2/22 加筆修正

  

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