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恋の罠U  3.救世主     

 次の日、晶規は学校に来なかった。
 寝不足と言っていたけれど、そのまま体調を崩してしまったのか。はたまたサボりか。いずれにせよ内心ほっとした。これまでのことを考えても、彼が話しかけてくることはないだろうけど、顔を合わすことが恐かったから。
 更に翌日も休みだった。二日連続で休みとなると、今度は心配になる。彼は一人暮らしだ。風邪だとしたら不便だろう。
――いや、看病してくれる人ならいくらでもいるか。
 私がそんなこと心配しても意味ない。というかあんな目に遭ったのに懲りていないどころか、心配してしまう自分がおかしかった。こういうのを偽善者というのだろうか。そうやって心配していると口実をつくって、彼にまた寄っていこうとしているの? そんな風に自分を糾弾する。自嘲的だ。嫌になる。
 
 学校からの帰り道、歩いているとクラクションを鳴らされた。車道と歩道の区切りがない道だったから、ぼんやりして知らぬ間に真ん中に寄ってしまっていたのか。慌てて端に寄った。でも、車は追い越していかない。気配で後ろにいることはわかる。これぐらい端に避けていれば通れるはずなのに。でも、再びクラクションを鳴らされた。激しい音ではなくて、軽めの。呼びかけるような。振り返ると、
「あっ」
 シルバー車体の軽自動車が目に入る。
 運転席には鮎川真千子がいた。
 彼女は窓を開けると愛くるしい笑顔を見せる。
「やぁ〜っと気づいてくれた。考え事でもしてたの?」
「いえ……」
「ねぇ、時間ある? 付き合わない?」
 誘いではあったけど拒否できない強さがあった。「さ、乗って」と促されるままに助手席に乗る。車を発進させながら「美味しいケーキ屋さんがあるから行きましょう」と言った声は、鼻歌でも歌いそうなほど陽気だった。

 彼女――鮎川真千子とは一度だけ会ったことがある。あれは晶規の家に通い始めて一週間ちょっとの頃だった。
 事がすんで帰りがけ。彼はいつも玄関先まで私を見送るにくる。無言で。そして別れ際、私を抱きしめる。言葉に出して「帰らないで」と言われているわけではないけど、引き止められているのだと思った。私はその時間が一番好きだった。求められている気がするから。
 その日も同様に、靴を履いて玄関のドアノブに手をかけると後ろから抱きしめられた。私の肩に顔をうずめるから吐息が首にかかってこそばゆい。頼りない男は好きではないはずなのに、晶規に甘えられるのは嫌ではなかった。
 ゆっくり振り返ると、端正な顔があって、唇が近づいてくる。
 後わずかで重なる――というところで右手で触れていたドアノブが回った。勝手に。私ではない誰かが回しているのだ。そして、開いた。入ってきたのは女性だった。彼女は私たちのキス(しそうな)シーンを目撃すると、
「あら、ごめんなさい。お邪魔したわね」
 と、まるで動じた様子もなく、豪快に笑った。
 慌てたのは私の方だ。目を白黒させるというが、その瞬間、私が見る世界の色が飛んだ。モノクロにチカチカした。頭の中でショートして、一切の言葉が出てこない。抱きしめられているのを見られていることへの動揺。突然登場した女性が何者なのか不安になる気持ち。あと、なんだ。そうだ、早く帰らなくてはいけないんだ。とか。重要なこととどうでもいいことが均等に並んでしまって、口元でかち合って音にならない。あわあわしていると、先に晶規が言った。
「ホント、邪魔」
「かわいくなーい。あんたのオムツ替えてやったの忘れたの?」
「忘れる以前に覚えてないし。ってかつまんない。そのネタ」
 オムツ? そんな頃からの知り合い? 
 二人で会話しながらも晶規は相変わらず私を抱きしめている。そのまま、更に先ほどの続きをしようと顔を寄せて、
「って、ちょっと」
「何?」
「何じゃなくて……あの、」
 チラリとその女性の方を見る。
「ああ、気にしなくていいよ。それよりほら、続き」
 いやいやいやいや、それはないでしょ。ありえないでしょ。人前でキスする趣味とかないし。というかなんでこんなに構わないの? ない。断じてない。とうまく声にならないので、変わりに両手を顔の前に持ってきて拒否をする。するとたちまち不機嫌になった。
 いや、私は悪くないでしょう。たぶん。
 そんな私を見かねてか、
「晶規。困ってるじゃない。やめなさい。嫌われるよ?」
「……」
 ため息を一つ。それから、一度、痛いほどギューッと強く抱きしめられて解放された。
 傍にあった体温が離れると寒く感じる。晶規は私を離すと興味をなくしたみたいにリビングへ戻ってしまった。残されたのは私とその女性だけだ。
「まったく、我侭王子なんだから。ごめんなさいね」
「いえ……」
「自己紹介がまだだったわね。私は鮎川真千子。晶規とは従姉弟なの」
 にっこりと微笑むその顔は、どことなく晶規に似ている。従姉弟でも似るものだんだなぁとのんきなことを思う。パニックになりすぎて、グルリと一巡してしまって平静になった。そんな感じか。
「あなたは、晶規の彼女?」
「えっと、あの……」
 彼女と言ってしまっていいのだろうか。私が困惑しているのを真千子さんは照れているのだと解釈したらしく、
「ビックリしちゃった。あの子が女の子を家に連れてくるなんて。それもあんな無防備な姿になっちゃって」
 無防備? あれは無防備なの? よくわからないけど。ただ、真千子さんは嬉しそうだった。
「あの子、結構な問題児だけど、根はいい子なのよ。よろしくしてやってね」
 そう言って、私の手を握ってきた。その力の強さに私は驚いた。まるで救世主に願いをかけるような、そんな強さだったから。

「着いたわよー」
 赤いレンガ造りの一軒家が見えると、真千子さんが言った。「アンリッコ」という看板が出ている。先々週のフリーペーパーの特集で取り上げられていたお店だ。アップルパイが美味しいんだとか。
 真千子さんはお店の隣りに併設された駐車場に車を停めた。半分ほどが埋まっていて、奥から二番目の場所に頭から突っ込む。豪快だ。帰り出しにくくないのだろうかと心配になる。でも本人は全く気にしていない。にっこりして「さぁ、行きましょう」と車を降りる。私も慌ててついていく。お店に向かいながら車のキーを高く掲げる。ロックしたらしい。車のランプが二度点滅した。ちゃんと閉まっているか確認することもしない。やっぱり豪快だった。



2010/2/3
2010/2/22 加筆修正

  

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