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03 倉島蛍 と 斎木萌々羽 

 ――私の前で恋が通り過ぎていった。

 ずっと思っていた。漫画や小説や映画にでてくるような恋を私もいつかするのだろう。王子様が現れて、私を愛してくれる。そして、その通り私の前に一人の男が現れた。彼は学内でも有名な遊び人だった。最初はからかっているのかと思った。でも真剣だと。「君に出会って、俺は変わった」「真剣なんだ」「付き合ってほしい」そう言われて嬉しかった。
 付き合い出してからも言葉の通り彼は優しかった。気を配ってくれた。私の好みや、私のしたいことを常に優先してくれたし、大事にされているなと実感した。ふわふわした気持ちになった。噂に聞く彼とは大違いだ。人の噂なんてあてにならない。あれは尾ひれえひれがついて誇張された話なんだと思った。
 反面で、嫌な思いもした。彼を好きだという女の子たちの嫌がらせだ。暴力を振るわれるようなことは流石になかったけど、陰口を言われた。
――どうしてそんなことを言われなくちゃいけないのだろう?
 彼と何があったのかは知らない。でも、それは過去でしょう? 終わったことじゃない? なのに、恨みつらみが消えないのは変だ。いつまでも固執するなんて。それよりも新しくやり直すほうが建設的だと思う。それに、私に嫌味を言ったところで彼女たちにどんな効果がある? 私を傷つけて事態が変化するわけじゃない。人に嫌な思いをさせたら、自分だって嫌な気持ちになるだろうに。不思議でしかたなかった。

 そんな時、事件が起きた。

 彼に誘われてバスケの試合を観に行った。いつもは行かないけど、今日は特別な試合だから来て欲しいと頼まれたのだ。普段、あまり私に無理強いすることはない彼の願いだ。叶えてあげることにした。
 体育館につくと、私に視線が集中した。
「いつもこないくせに、こんなときだけくるなんてどういう神経してるの? あつかましい」
「調子乗ってんじゃないわよ。どうせすぐ飽きられるでしょうけどね」
 彼女たちは言った。嫌だなと思った。彼に頼まれてきただけなのに、そんな風に言われるのは心外だ。憎悪の眼差しが恐い。私がしてることはそんなにも悪いことなの? 毎日来てないなら観にきちゃいけないの? でも言い返せなくて黙った。すると、
「おい、お前ら何失礼なこと言ってんだよ。蛍は俺が来るように無理に頼んだんだよ。俺が応援してほしかったんだ。それをそんな風に言うなんて、性格悪すぎるぞ。謝れよ」
 彼の声が響いた。
「今度蛍に何か言ってみろ。女だからって容赦しないからな」
 その言葉に館内が静まり返った。私に嫌味を言っていた女の子たちは俯いたり、苦々しそうな顔をしたり、泣きそうな子もいた。それを観てるとちょっと可哀相な気もしたけど、これで私への陰口がおさまってくれたらいいな、と思った。そして、何よりも、私を庇ってくれた彼に感謝した。悲しい気持ちが和らいだ。彼にお礼を言うと、嬉しそうに笑ってくれた。やはり彼は優しい。大切にしてもらっている。私が言えずにいたことを汲んで助けてくれた。でも、

――え?

 気づくと、彼は水に濡れていた。ペットボトルの水をかけられたのだ。相手は――坂上ちぐささんだ。彼の幼馴染み。何故彼女がそんな暴挙にでるのか。物凄い剣幕でまくし立てている。
 私は二人のやりとりをぼんやりと眺めていた。
 彼女の言っている内容を聞くうちに、私に意地悪をした女の子たちの気持ちを少しだけ理解した。気持ちを全部わかるのは無理だけれど、私がどんな風に見られていたのか。私の存在がどれほど彼女たちの傷ついた心を踏みにじっていたかを知った。だからって、言われた酷いことが完全に正当化されるわけじゃないけど。
 でも、何よりも、私が驚いたのは坂上さんに対してだ。
 彼女は人前で目立ったりすることを嫌うタイプだ。なのに、今は、大勢の前で怒りをあらわにしている。それは彼女自身の怒りではない。彼のための怒りだ。彼のことを真剣に想っていないと言えない。彼女にメリットがあるわけじゃない。嫌われる可能性が高い。余計なお世話だとつっぱねられるかもしれない。
――それでもわかってほしかったんだ。
 すごいなと思った。
 そして、私は部外者だと知る。いつもと同じ。映画館の客席に座って、繰り広げられるドラマを見ている。結局、今回も私はお客さんなのだ。やっと私も恋の舞台へ立ったのだと思っていたけど、彼と過ごしてきた日々はイミテーションだった。優しくされて嬉しかったし、楽しかったけど。こんな風に自分をぶつけたりしたことはない。感情的になることなど一度もなかった。彼に問題がなかったわけじゃない。私に問題がなかったわけでもない。きっと、ケンカすることはあったはずだ。でも、一度も諍いが起きることはなかった。そうならないように、お互いに無意識に距離をとっていた。それに、きっと彼も気づいただろう。 

 彼は雷に打たれてしまったような顔をして、去っていく坂上さんの後姿を見つめていた。

***

 驚いた。
 あの坂上が、クールで傍観者を気取っている坂上が、あんな風に人前で自分を主張するなんて思わなかった。我に返って「バカなことした。もう恥ずかしくて学校に行けない」とごねてたけど。
「坂上に何か言ってくる奴がいたら、あたしが守ってあげるわよ」
 言うと、
「あんたじゃ頼りにならないわ」
 と返された。いつもの坂上だった。
 坂上に近づいたのは、翔吾くんにアプローチするためだった。最初は気に食わない女だと思った。幼馴染というだけで、翔吾くんの傍にいられる。特別なポジションを確保している。そのことが羨ましくて嫉妬していた。利用するつもりで近寄った。あたしの目的を坂上はすぐに気づいた。聡い女だ。だから、嫌味を言われると思った。
「そんなことまでして翔吾と付き合いたいの?」
 案の定、呆れたと言ってのけた。けど、笑っていた。そして、付け足したのだ。
「バカな女だけど、その根性だけは認めてあげるわ。まぁ、せいぜい頑張れば? 泣きを見ても知らないけどね」
 こういうタイプの女はあたしみたいな女をバカにしてると思ってた。お洒落と男のことしか感心がない女だって、蔑んでいるんだって思ってた。でも坂上は違った。利用しようとしたあたしを怒るわけでもなく、口では辛らつに言いながら心配してくれているのがわかった。面白い女だと思った。変な女だけど。
 翔吾くんと倉島が付き合いだしたと聞いて、真っ先に愚痴ったのは、いつも行動を共にする友人ではなくて、坂上にだった。何故そう思ったのか。でも、あの時、あたしの気持ちを正確に理解してくれるのは坂上だと思ったのだ。
 そんなあたしの話を坂上は大笑いして聞いていた。
「言ったじゃないの。忠告したのに聞く耳持たなかったんだから自業自得よ」
 振られた直後の人間に言うか? と思った。けど、言葉の奥には優しさが溢れていた。状況を把握して、一方的な見方をしないでいてくれた。あたしの愚かさを正当化し、翔吾くんのことを悪者にして、あたしを励ましたり、慰めの言葉を言われるよりずっとありがたかった。素直にそんなこと言えなかったけど。
 
 それからしばらくして、翔吾くんと倉島が別れた。

「これで、ちょっとは私の気持ちが分かった?」
 落ち込んでいるだろうと思った。倉島にとっては初めての恋人だ。それがあんな風に大事に至って、破局を迎えたのだ。気になって話しかけた。倉島はビックリしたみたいだったけど。
「……」
「何よ? バカみたいな顔して」
「……いや、私に話しかけてくるなんて思わなかったから」
「別に嫌味を言いに来たわけじゃないわよ。ただ、ちょっと気になったから……一応同じ男を好きになった者のよしみよ」
「わかってるよ」
 倉島は言った。あたしは持って来たいちご牛乳を渡してやった。落ち込んだり悲しいときに飲むと元気になる気がする。幼く甘い味だ。まだ恋の苦さや苦しさなんか知らなかった頃に戻れる気がした。倉島は受け取るとストローを指したけど、不器用なのか中身が飛び出してしまった。
「どんくさい女ね」
 ティッシュで拭いてあげると、はにかんだように笑った。二人して無言でいちご牛乳を飲んだ。
「……私ね、結構平気なんだよね」
 倉島はパッケージの表示に目を走らせながら呟いた。
「彼と別れた後、寂しいなって思ったけど、悲しくはなかった。小説や映画で読んだような悲しみはこなかった。悲しくないことが悲しかった。結局、私は恋に憧れていただけで、彼のことを好きだったわけじゃないんだなってわかった」
 強がっているわけではない。倉島はスッキリとした顔をしていたから。
「今度は、ちゃんと人を好きになりたいと思う。自分をぶつけて、高めあっていけるような恋がいいな」
「なにそれ? やっと恋愛に目覚めた女がそんな簡単にいくわけないじゃん。みんなそれを求めて頑張ってるんだからね。なめないでよね」
「先輩風吹かせないでよ。あなただってまともな恋愛してないじゃん」
「やっぱあんたムカつくわ」
 あたしが言うと、倉島は笑った。




2010/3/21

  

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