02. Side陽芽―どんなに見つめても、君と視線が交錯しない
心配げな視線。
いつだって俺にだけ注がれる眼差し。
鬱陶しいと思っていた。ずっと。煩わしいものだと。
「おかえりなさいませ」
指をついての出迎え。旧式のならわし。そんなつまらないものと思うが、伝統があるから序列が守られることも事実だ。女――朱乃が顔をあげるのを待って「ああ」と返す。
あの日、婚儀の話を打診した日から、朱乃は俺を視界から消した。今も、顔を上げても視線は空を見つめている。
――拗ねているのか。
当然といえばそうだ。告白を袖にした上に、他の男の元へ嫁げと宣告したのだ。だが、朱乃は反対することもなく従った。受け入れたのは己自身だ。嫌ならばあの時に言えばよかったのだ。そうしなかったのに今更怒りを表されても迷惑だ。
あの執拗なほどに見つめてくる視線を疎ましく思ってきた。知らない。気付かないふりをして切り捨ててきたのだ。ようやく解放されて、せいせいした。そう思えばいい。だが、豹変を理不尽に感じるのはどういうわけか。身勝手だと揶揄ってやりたくなる。苛々した。自分の感情がわからなかった。疲れているのだ。だから、つまらないことにも神経を尖らせてしまう。目の前からいなくなってくれたら気にすることもなくなる。先代の喪が明けてからなど言わず、すぐにでも婚儀を行ってしまえばよかった。
「朱乃さん。夕食がまだなら一緒に。今日、入江家の方々にお会いしたのでその報告をかねて」
「申し訳ございません。お戻りの時間がわからなかったので、夕食は先ほど……お話はお呼びいただければ伺いに上がります」
「……そうか。ではのちほど、私の部屋へ」
「はい」
短いやりとりの間も、やはり一度も私を見ることはなかった。
夕食の後、しばらくして朱乃がやってきた。
「入江さんとはその後、問題なくお付き合いされているようですね」
「……はい」
やはりこちらを見ない。うつむいたままでつぶやく。
「今度、パーティに出席するとか?」
「父の喪中ですのでお断りしたのですが……入江さんのおじい様の米寿のお祝いだそうで、どうしてもとおっしゃられて」
「その件で、入江翁から本日、念をおされましてね。まだ正式な婚約前とはいえ、いずれ入江家に嫁ぐ者に直接会いたいと。こちらも勝手を申しているのでそれぐらいの願い、叶えないわけにいかない」
「はい」
「わかっていただけているのなら結構」
話が終わると、朱乃は静かに部屋を後にした。一刻も早くこの場を離れたがっている。そんな仕草に、もやもやとした気持ちが溢れてくる。奥澤当主に対して、もっと愛想を浮かべてもいいのではないか。避けるような、いや、事実避けられていることが気に食わなかった。
2009/9/8
2010/2/20 加筆修正