君なくて、【本編】 > 01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06 / 07 / 08 > novel index
05. Side朱乃―必死で幸せなふりをしてるのに  

「奥澤の名に恥じない最高の花嫁にしてさしあげますよ」
 婚儀を決めた時、陽芽は言った。せめてもの私へのはなむけというより奥澤の体裁のためだろう。言葉は実行されていた。父の喪があけてすぐにでも挙式をあげられるように着々と。今日は式で着るウエディングドレスの仮縫いのためにサロンを訪れている。
「いかがでしょう?」
 試着室のカーテンが開けられる。待合室のソファで優雅に足を組んでいる男に店員が伺いをたてた。男はじっと私を見つめて、少しだけ目を細めた。
「結構」
 短く告げられる。そっけない言葉。店員が気を遣って「照れてらっしゃるみたいですね」と小声で耳打ちしてくれた。私は苦い笑みを返すしか出来ない。男が本当に興味ないのだと知っていたから。奥澤陽芽にとって、豪華なドレスであれば、似合っていようがいまいがどうでもいいに違いない。
――どうしてこんなことになっているのか? 
 わからなかった。本来なら、式の準備は史孝と相談して行うべきだ。それが、どういうわけか、打ち合わせに陽芽が同行してくる。「花嫁の準備はこちらでします」という名目はあるが、それだけではない気がする。
 あの日、入江翁のパーティに出席してから、婚儀について触れてくることが多くなった。史孝と私が思いのほか打ち解けていたことに気を良くして、このまま早いところ結婚させてしまおうという魂胆か。そのために自らが出向いて準備を進めている。おそらく、そんなところだろう。でなければ忙しい身の陽芽が付き添ってくるなど不自然だ。陽芽にとって婚儀はそれだけ重要なことなのだ。
「店を予約している。夕食を一緒に」
 試着を終えて店を出る間際に告げられる。誘いというよりも有無言わせぬ決定。その証拠に私の返事を待つことなく車に乗り込んだ。
――……胃が痛い。 
 近頃、一緒に夕食をとる時間が増えた。週に少なくとも三度。それが正直苦痛だった。元々お互いにおしゃべりではない。沈黙が続く。或いは史孝のことを聞かれた。どこへ行ってどんな話をしているのか。うまくいっているのかを探ろうとしているのだろう。それ故に聞きたがる。しかし、まがりなりにも私は陽芽を好きだと告げたのだ。好きな男に他の男とうまくいっているかと尋ねられて平気なわけはない。それでもなんともないふりをして楽しげに話してみせる。それが、陽芽の望みだから。
 車に乗り込むと、携帯電話が鳴りだす。サブディスプレイには、「史孝さん」の文字が。どうしようか一瞬迷ったが無視することも出来ずに受話器上げるのボタンを押した。
『朱乃さん? 今大丈夫ですか?』
「…はい。どうかされました?」
『今日は仮縫いの日だったでしょう? どうだったかと思いまして』
「先ほど終わったところです」
『ああ、じゃあ帰り道ですか? それならこれから夕食でもどうです?』
 申し出にどう対応するべきか。陽芽とこれから食事に向かうことになっている。しかし奥澤当主の誘いといえど、陽芽自身がこの婚儀を望んでいるのだ。きっと婚約者との約束を優先させる方が陽芽の意にも沿うはずだ。 
「ええ……」
 答えながら、確認するように視線を隣に座る男に向ける。
「――っ」
 ゾッとするほど冷たい眼差しとぶつかった。どうして……。
『もしもし、朱乃さん?』
「あ、すみません。今日はちょっと……」
『そうですか。残念だな。ではまた連絡します』
「はい」
 電話を切る。
「よかったんですか? 婚約者を優先しなくて」
 困った人ですね、とでも言いたげなセリフとは裏腹に、声はとても甘かった。



2009/9/13
2010/2/20 加筆修正

  

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