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01 天使と遭遇

ずっと見ていた。
話しかけることもできなくて。
ただ、あなたの幸せを願っていた。
それが私の幸せだった。

***

「騎堂さーん」
 聞き覚えのない声だ。
「騎堂史宣さーん」
 軽やかで柔らかい。声はどんどん近づいてくる。
「見えますか? 見えませんか??」
 声に導かれながら目を開ける。――暗闇だ。瞬きを数度繰り返してみる。開けていても閉じていても真っ黒な世界が広がる。そういう場所なのか、俺の目が見えなくなったのか、判断はつかなかった。
「これでどうです?」
 左から右へ閃光が走った。たまらずギュッと目を閉じる。
「どうぞ、もう一度ゆっくり目を開けてみてください」
 言われたとおり目を開けてみる。と、目の前に、……男……?
「どーも。騎堂史宣さん」
 男の周辺だけが白く発光していたが他は相変わらずの暗闇が広がっている。
「見えてますかー?」
――みえてる
「あっれー? おっかしいなぁ……」
――みーえーてーるー
 声を絞り出そうとするが音にならない。おかしい。喉元に手をやろうとして手の感覚がないことに気づく。手だけではない。肉体の感覚がない。体が鉛のように重く動かないというのではない。初めから存在しておらず、目だけがギョロリと空間に浮いている。そんな奇妙さだ。
「あ、そっか、そっか、忘れてた」
 男は俺の眉間があるはずのところまで指をもってきて「パチンッ」と鳴らした。瞬間、重力に引きずられるように落下する。衝撃で尻もちをついた。
「痛ってぇ……」
 今度はすんなりと声が出た。浮遊感は消え去り、引きずるような重さ――肉体の感覚だ。
「あ、すみません、大丈夫ですか?」
 「大丈夫ですか」といいながら悪びれた感じがしない。のんきな声だ。尻をさすりながら、声の方向を見ると男が手を差し伸べてくる。だが俺はその手をとるのをためらった。男の背中に見慣れないものを見たから。
「どうも、騎堂史宣さん。私、天使のドーセと申します」
「てん、し、だぁ?」
 天使。あの神様の使いの? ……確かに男の背にはそれを思わせる真っ白いふわふわした羽があるし、人間とは思えない発光を放っているが。
「心当たりおありでしょう?」
「天使に会う心当たり……交通事故か」
 覚えている限りで最期の記憶。
 バイクで走行中、右折した瞬間、猫が飛び出してきた。咄嗟に避けようとして大きくスリップし「あっ」と思ったときには目の前にアスファルトが迫っていた。ぶつかる、と衝撃に身を硬くした。そこで記憶は途絶え今に至る。
「ふふ。飲み込みが早くて助かります。騎堂史宣さん、あなたは二〇〇九年十月十二日にバイク事故を起しました。現在、意識不明の重体になっています。ちなみに、今は、あれから少し月日が流れておりまして…二〇〇九年十二月二十四日。世間でいうところのクリスマスイブですね」
「重体……ってことは死んでいないということか」
「はい。生きてらっしゃいますよ。動けないし、意識もないですが」
 ドーセが指を鳴らすと暗闇に丸い窓が現れた。覗くとベットには横たわる俺の姿が見える。鼻に呼吸用のチューブを通され、胸には心音の測定器、左手には点滴が打たれていた。肉体はやつれて細くなっているが表情は意外と穏やかだ。
「信じますか? 信じませんか? 前者なら話を進めますが、後者ならあなたが信じるまで証明を続けなければなりません。時間なら無限とはいきませんが幾分あるのでどちらでもかまいません。どうしましょう?」
「進めてくれ」
「飲み込みが早くて助かります。本当に」
 にっこりするドーセはぞっとするほど美しい。完璧な笑顔だった。
「世の中には恵まれた人間というのが存在します。容姿端麗、文武両道、家柄も申し分なく、思うとおりに生きられる。あなたもそのお一人です。異論はないでしょう?」
 恵まれた人間――面と向かって言われると気恥ずかしいが事実だった。まったく困難を味わったことがないわけではない。ただ、多くの人が費やす時間よりも少ない時間で事を成せたのは間違いない。勉強にしろスポーツにしろちょっと努力すればトップをとれた。何をするにしてもすんなりと事が運んだ。望んだことで叶わなかったことなどない。
「そして今もまた……。普通の人間は生死を自らの意思でどうこうすることは不可能です。命が続く限り生き、時がきたら死ぬ。でもあなたは違います。特別な取り計らいにより選択する権利を得たのです。このまま死ぬことも、生き返ることもできます」
 無風であったがドーセの羽は時折揺れた。呼吸をするたびに一緒に上下している。本物なんだなと妙に感嘆した。真っ白で上質そうだ。
「それで、どうします? 生きます? 死にます?」
「どっちでもいい」
 答えるとドーセは無表情で俺を見つめた。
「なるほど。恵まれていることと幸せとはまた話は違いますものね」
 俺は否定も肯定もしなかった。自分の人生を嫌だと思ったことはないが、執着するほどの気持ちもない。幸せなら生きたいと願うのか。わからなかった。
「決断するのはあなたです。どちらかに決めていただかないと。まぁ、今はまだ多少混乱されてるでしょうし、しばらく考える時間を差し上げます。どうぞいま一度よく考えて結論を出してください。……あと、こちらはあなたが意識を失ってから今に到るまでの周囲の人々の様子を記録した資料です。よければ参考にしてください。では私はこれで」
 ドーセは消えた。
 残された資料とやらを手にとってみる。分厚い。表紙には手書きでデカデカと「騎堂史宣身辺記録」とある。一ページ捲ってみる。「二〇〇九年十月十二日。騎堂史宣が交通事故で重体になって以降、彼の身近な人物の動向についてまとめた記録である」味気ない文章だ。なんの同情も感じない。だからこそ、冷静に読める。俺は意識を失ってからの二ヶ月ほどの記録をゆっくりと読み始めた。



2010/1/4
2010/2/21 加筆修正

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