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05 苛立ち

 イラつく。なんなんだあいつ。
 「生きる」を選択して目覚めてから、俺は待っていた。石森つばきが見舞いにくること。だがあいつは一度もこなかった。ありえない。逆の人間なら大勢いた。これみよがしに「心配してた」とご機嫌とりにくる連中は山ほどいた。口先ばっかりで調子のいい輩にうんざりしたがわかりやすくもあった。こいつらの気持ちの方がよくわかる。だが、つばきの行動は理解できなかった。毎日毎日来ていたくせに、目覚めた途端来なくなる? 何を考えているんだ。信じられない。誰を差し置いても来ていいはずだ。ここぞとばかりにアピールして俺の気を引いてもいい。なのに、そんな素振りどころか、姿さえ現さなかった。
 屋敷に戻ってからもだ。一度も、俺の顔を見に来ることはなかった。
 こちらから機会を作ってやらなけりゃならない腰抜けなのか。仕方なく、俺は母親に授業の遅れを取り戻したいと申し出た。母は勉学に熱心なことを最良と考える人だったから、俺の申し出にすぐさま家庭教師を用意すると言った。それをやんわりと断りながら、つばきに頼むように誘導するのはさほど難しいことではなかった。母の頼みならばつばきも引き受けるしかない。そして、二人でいる機会を提供した。
 部屋で二人きり。こんな好機はない。「心配していた」と。「実はいつも見舞いにいっていた」と。言ってくるのを待った。しかし、最初に「回復されてよかったですね」と手短に言ってから、一切事故のことに触れてくることはなかった。
――知られなくてもいいのか?
 自分がしてきたことを、俺に知ってもらわなくていいのだろうか? それがどういう心理なのか理解できなかった。恩着せがましいことを望んでいるわけじゃない。ただ、人は普通自分のことを認められたいと思うものなのではないか。ギブアンドテイクだろう。一方通行でいいなんて、そんなもの偽善だ。
 つばきには昔からこういうところがあった。目立つことを極端に嫌う。謙虚さが美徳だとでも思っているのか。だが、自分がしたことをアピールしなければ気づいてもらえない。だからつばきは地味だとか目立たないとかいわれるのだ。やっていることに見合うだけの評価を全く受けていない。
 俺はそのことにたまらなくムカついたことがあった。そう、あれは小学校の三年のときだ。つばきは当時から、人知れずこっそりと花瓶の水をかえたり、乱雑に入れられた掃除用具を片付けたりしていた。それをたまたま他のクラスメイトがしているとき、教師が見て、次の日にみんなの前で誉めた。いつもしているのはつばきなのにと俺はムカついた。手柄を横取りされたようで「いつもしているのは石森さんですよ」と言ってやった。すると、つばきは真っ赤な顔になってうつむいた。その顔をみて、なんだか悪いことを言ってしまったようで決まり悪かった。
 以来、俺は何も言わなくなった。あんな顔をさせるために言ったわけじゃなかったし。それから俺は、なるべくつばきと関わらないようにした。あいつを見ていると、気持ちがひどく乱れたから。あまりにも要領が悪くてイライラしたんだと思う。だから無視した。幸い中学は別々で会うこともなくなった。俺はたぶんつばきが嫌いなのだ。自分と違いすぎるから。事実、俺を感情的にさせる人間はつばきだけだった。
 あの時は、引き下がったが、今回はそうはいかない。俺が生き返った目的でもあるのだから。だから俺は、なんだかんだとつばきとの関わりを持ち続けた。

「英語の辞書貸してくれ」
「また? 忘れ物多くないですか?」
「忘れたんじゃない。お前が持ってきてるから置いてきたんだ。貸りた方が楽だろ」
「なまぐさ」
 軽口を叩くようになったのはここ最近だ。
「お礼に、昼飯ご馳走してやるよ。昼休み、学食にこい」
「……いや、私、お弁当持ってきてるから」
「来いよ」
 返事を待たずに背を向けた。
 昼休み。まだ空いている席があるのに、「隣りいいですか?」と聞いてくる女子学生にうんざりしながら「連れが来るので」と断ることを四度繰り返してもまだ来ない。本当に席がないから相席を求められそうなほど混雑し始めてからようやく姿を見せた。手には弁当箱がある。
「私、お弁当ありますから」
「わざわざ言いにきたのか?」
「だって、待ってたら申し訳ないし」
「ふーん」
 律儀というか、丁寧というか。
「じゃあ、それは俺が食べるから、お前は学食を食べたらいいじゃないか」
「なんで?」
「だから、お礼」
 手に持った弁当箱を奪ってテーブルに置き、学食売り場へと強引に連れて行く。抵抗して目立ってしまうことを恐れてつばきは黙ってついてくる。こういう時、大変扱いやすい性格だと思う。
「何がいい?」
「……何って……なんでもいいけど」
「何でもよくないだろ? お前、偏食児じゃん」
 小学校のときも、給食を食べられず、午後の授業が始まる寸前まで食べていた。時々、隣りの席になった男が――確か青山とかいう男で、つばきに気があった――こっそり手伝っていた。そんな下心ありありの男なんかに助けてもらわずとも俺に言えば食べてやるのにと思った。
「ああ、Bランチなら食べれるんじゃないか。これにしとけば?」
 つばきをみると不思議そうな顔で俺を見ている。
「嫌か?」
「ううん、ありがと」
 心なしか顔が赤い。照れている? 学食を奢ったぐらいで照れるなんておかしな奴だな。まぁ、悪くない反応だが。
 ランチを席まで運ぶ。四人用のテーブルだったが、俺たちが席を外している間に残りの席に相席した人間がいた。義臣と美由だった。こんな偶然があるのか。二人とも目を丸くしていたが、一番驚いていたのはつばきだった。
「奇遇だな」
 俺が声をかけると、義臣は一瞬躊躇した。
「ごめん。お前が座ってるって知らなかったから」
「別にいいぜ。混んでるんだし」
 美由の隣りにランチトレイを置く。それから俺は、義臣の隣の弁当箱が置いてある席に座った。当然、ランチトレイを置いた席につばきが座るはずと思っていたが、バカみたいな顔で突っ立っている。
「何してんだよ。早く座れ」
 遠慮というか戸惑っているのだろう。わからないではない。近頃俺は「親友に女を取られた男」と噂されている。そして、俺の元・彼女とそれを奪った男が美由と義臣だ。当事者三人がこうして顔をそろえてしまった。一触即発。そう思って困惑しているのだろう。
 だが、実のところ、二人と俺の間には噂されているほどの確執はなかった。多少ぎくしゃくはしているが、時が経過すれば落ち着く程度のものだ。ちゃんと話はしている。そう、あれは去年の暮れだった。二人で俺の病室を訪ねてきたのだ。最初、言い訳など聞きたくないと追い返そうとした。だが、普段温和な義臣が食いさがってきたので話をした。
 その時、美由は俺に言った。ずっと自分は「好かれて当たり前」だと思っていた。だから「俺に好かれていない」とわかったときショックだった。俺を好きというよりも、自分が好かれないことが許せず執拗になった。なんとなく、言っている意味はわかった。だから、尋ねたのだ。
「それでお前は今幸せなのか?」
 すると美由は、
「ええ、とても」
 と、義臣を見て穏やかに微笑んだ。俺といるときは険しく怖い表情ばかりだったが別人のように優しげだ。そんな顔を見せられて、二人を非難するなんてことできなかった。俺もまた、たいして好きでもないのに付き合ってしまった後ろめたさもあったし。
 あの日から俺たちは新しい関係を築いている。噂が落ち着けばもっと自然に関わることが出来るようになる。
 ただ、それを知らないつばきは妙に気を遣って冷や冷やしていた。食べ終えると逃げるように去っていく。なんでそんなにお前が動揺するんだと笑えてくる。背中を見送りながら、思わず顔がニヤついてしまう。そんな俺を見て二人はひどく驚いた顔をしていた。何故そんなに驚くのかはわからなかったが。

 しばらくして、今度はまた別の噂が流れ始めた。
――俺とつばきが付き合っている。
 いい加減なものだなと思う。それまでほとんど関わりをもっていなかった人間が頻繁に一緒にいる姿を見れば邪推されるのも仕方ないのか。
 噂はつばきの耳にも入っているはずだ。
 さて、つばきはどういう行動に出てくるだろう? 経験から考えると噂に便乗して「このまま付き合っちゃおうか」と言ってくる。今までの女はそうだったし。この方法なら普通に告白するよりも敷居が低い。へっぴり腰のつばきでも大丈夫じゃないのかと踏んでいた。これを狙って一緒にいたわけじゃなかったが――まぁ、そういうことが起きるかもしれないとは思ったけど――これであいつが告白してくる気になったなら結果オーライだ。
 噂が流れ出して一週間。柄にもなくドキドキした。こんなにも緊張して待ったことはない。俺の予想ではぼちぼち言ってくるはずだ。事実、つばきはここ数日落ち着きがなかった。言葉を言いかけては、今一歩のところで詰まらせた。何を躊躇っているのだ。いい加減こっちの我慢の限界だ。忍耐力を引き伸ばす訓練なのかと思うほどじれったい。早く言ってこいと内心イライラした。だが、無常にもそれから更に一週間が流れた。もしかしたら、このまま何も言ってこないかもしれない。人の噂も七十五日。耐え忍んでなかったことにする気なのか。ありえなくはないな……と思い始めた頃、ようやく図書室に呼び出された。
 これでやっと、あいつの気持ちが聞ける。――問題は答えだった。生き返った当初は振ってやるつもりだった。あいつの長い片思いに引導を渡してやろう。それが幼い頃から知るせめてもの友愛だと考えた。だが、一緒にいるうちに付き合ってみてもいいかなと思い始めた。つばきの傍が意外に居心地良かったから。妙な安心感がある。そう、あいつは他の人間のように俺に何かを求めたりはしない。それが新鮮だった。
 そんな奴は今までいなかった。「あなたのことをこんなに好きだから」とか「お前はこんなに恵まれているんだから」と言っては「だからこうしてほしい」といわれることが常だった。俺も自分が人よりも多くを得ていると思っていたから、自分が出来ることは貢献するべきだと、幼い頃は思っていた。だが、奴らはやってもやっても際限がなかった。くれ、くれ、くれと要求はエスカレートした。次第に俺は人と距離をとるようになった。優しくするとつけあがるから突き放すことを覚えた。自分から与えるなんてバカらしい。それでも俺に言い寄ってくる人間は後を絶たなかった。機嫌をとればおこぼれにあずかれると考える人間は、思う以上に多い。奴らが俺から何かを得ようとするなら、俺だってそうしていいはずだ。だから俺は、奴らが俺に示す好意を当然のものとして受け取った。
 けれど、つばきはそういった連中とは違った。最初はそんなもの嘘だと思った。そのうち本性を表してくる。仲良くなれば、今までの奴らと同じようになると思った。だが、目覚めてからすでに四ヶ月が経過しているが、つばきは相変わらずだった。距離が近くなっても、求めてこないし、主張もしてこない。こちらがはがゆくなるほど。
――こいつの「好き」は他の奴の「好き」とは違うのかもしれない。
 だから、付き合ってみてもいいかなと思った。あいつが俺を好きだと言うなら、その求めになら応えてやってもいいかな、と。




2010/1/8
2010/1/9 改編
2010/2/21 加筆修正

  

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