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――まただ……。
私は今、騎堂の屋敷に来ている。
史宣は順調に回復し、年明けには自宅での養生を許された。屋敷に戻ってから、私は奥様に呼び出された。遅れた分の授業を取り戻すため、冬休みの間、家庭教師をしてほしいと言われたのだ。史宣なら私が教えなくとも、すぐに追いつけるだろうと思ったが、奥様直々の頼みを断るわけにもいかない。クラスは違えど同じ学校に通っているのだ。ノートを貸すくらいの役には立つかもしれないと引き受けた。
午後一で史宣の部屋に訪れて、夕方までの間を過ごすことになって三日が過ぎた。
教科書と、参考書と、私が貸したノートを見ながら問題を解いていく史宣の傍で、することもなく窓を見つめる。すると決まって視線を感じた。はじめはわからないところがあって、聞きにくいのかと思い「何かわからないところありますか?」と尋ねても、「別にない」と素っ気無い返事。意識しすぎて自意識過剰だったのかなと恥ずかしく思いながら、でもしばらくするとまた視線を感じる。そんなことを繰り返している。
いい加減ストレスになって、思いきって尋ねた。
「……あの、私に言いたいことでもあるんですか?」
「それはお前だろ?」
苛立った声ですぐさま返ってきた台詞。だが身に覚えはなかった。
「別にないですけど」
「ウソつけ。俺が瀕死の状態になって目が覚めたんじゃないの?」
「瀕死の状態から目覚めたのはあなただと思うんだけど」
話がかみ合わない。事故の後遺症で錯乱しているのか。心配になって自然と眉根がよる。史宣はますます面白くないと怒りだした。何が気に食わないのだろう。というか、こんな風な人だったっけ?
「もういい。今日は寝るから帰れよ」
「その方がいいですね……気分悪かったらお医者様呼びますけど」
「気分がすぐれないのは体調が悪いからじゃなくてお前のせい」
捨て台詞を残して、掛け布団を頭からすっぽりかぶってしまった。まるで子どもだ。
私はため息をついて部屋を出た。
史宣の機嫌が悪い理由の検討はついている。
――彼の恋人と親友が付き合いだしたこと。
あれは大晦日の夜だった。
史宣の意識が戻ってから私はお見舞いに行けなかった。私が行っても迷惑なだけだと躊躇していた。でも、どうしても動いている姿を見たくてついに病室の前まで行った。すると話し声がもれてきた。加賀屋美由と真下義臣が来ている。恋人と親友だ。ここで出て行っても邪魔者でしかない。史宣会うことは諦めてその場を離れようとした。が――。
「別になんとも思ってないよ。俺が死かけなくても、いずれこうなることはわかってたし? そうだろ、美由」
なんの感情もない。さめざめとした声。史宣だ。
「あなたはひどい男ね」
「お互い様じゃないか。そんなの」
快気祝いのお見舞いという雰囲気ではない。
「でもまぁ、これでハッキリしていいんじゃないか。別れ話もしないままじゃ後腐れ悪いし。これで綺麗サッパリだ。義臣だって俺に気兼ねすることなく付き合えるじゃん。よかったな。祝福するよ」
――え?
「史宣……俺は……」
「よしてくれ。聞きたくない。お前を恨んでも憎んでもないよ。でも同情されたり言い訳されるのはごめんだ。もう行ってくれ」
私は逃げ出した。これ以上聞いてはいけないと思った。だから、その後どういうことになったのかは知らない。ただ、ハッキリわかっているのは加賀谷さんは真下くんと付き合っているということだ。史宣は振られた。
――そりゃ、ショックだよねぇ。
それも自分が眠っている間に。堪えただろう。恋愛なんてもともと不平等なもんだから仕方ないが。タイミングが悪かった。目覚めてすぐにそんな告白されても受け止められないだろう。
だからって私に八つ当たりをするのもどうかなと思うけど。
でもそれも後わずかだ。もうすぐ冬休みが終わる。家庭教師もお役御免だ。史宣と会うこともなくなる。だから、我慢しようと思った。それに私は嬉しかったのだ。たとえほんのちょっとでも(それも悪態つかれてるけど)史宣と二人で過ごす時間が持てたことが。大切な思い出にしようと思った。
だが、予想に反して、史宣との関わりは終わらなかった。
三学期が始まってすぐ、加賀屋さんが真下くんと付き合いだしたことが瞬く間に広がった。そして史宣は親友に女を捕られた男と言われた。普段完璧な史宣への嫉妬から弱点を見つけたとばかりに悪意をむける人間がいたのだ。史宣は相手にはしなかったが、気分いいはずがない。人と距離をとり、孤立した。
そして、気づけば私に絡んでくるようになった。学校でも、家でも、私の行く先々に現れては絡んでくる。暇つぶしなのか。気晴らしなのか。よくわからない。寂しかったのかもしれない。ただ、どうしてその相手が私なのかは謎だったけど。
史宣は私にとって憧れだったから、最初は話しかけられると緊張した。でも、人は順応する生き物だ。時間が経過するうちに、普通に――内心は心臓がバクバクいってはいるが、みかけだけはという意味で――話せるまでになった。史宣は思っていたよりずっと話しやすかった。彼は私が何を想っているのか知りたがっているようにも見えた。それが嬉しい。時々、なんだか意味もなく(あるのかもしれないけど、私には理解できない)不機嫌になったり、ぷいっとすねたり、案外子どもっぽいところがあって理不尽だと感じて困るけど、惚れた弱みか可愛くも思えた。
一度なんて、私が暮らす従業員用の家にやってきた。本当に驚いた。騎堂の家で暮らし始めて十三年が経つけど、初めてだ。日曜日の午後で、母は休憩に入っていて、二人で遅い昼食を食べていた時だった。呼び鈴に、母が出た。すぐに素っ頓狂な声で私を呼ぶので何事かと玄関へ向かうと、白のポロシャツにジーンズという軽装の史宣が立っていた。
「わざわざお越しいただかなくても、お呼びいただければ、こちらから伺わせましたのに」
母は恐縮しまくっていたが、史宣は涼しい顔で「用があったのは僕の方なので」とにっこりした。なんだかこのままでは母は卒倒してしまうんじゃないかと思い、史宣を自室に招き入れた。それでも気にして「お茶をお持ちしましょうか」とかなんとかいって入ってこようとするので無理やり追い出した。
母とやりとりをしている間、史宣は私の部屋をじっくりと見まわしていた。母のパニックぶりをどうにか落ち着かせることしか頭になかったけど、考えてみれば部屋で史宣と二人きりなのだ。なんだか自分がとてつもなく大胆なことをしてしまった気がした。だが、当の本人は平然としたものだ。
「……それで、用事ってなんですか?」
「別に」
「は?」
「結構サッパリした部屋だな……女の部屋ってもっとゴチャっとしてるもんだろ」
それは誰の部屋と比べて言っているのか。加賀谷さん? それとも別の女の子? 私は男の子を部屋に入れるのは初めてだったけど、史宣は女の子の部屋に入るのは初めてじゃない。そんな些細なことにいちいち傷つく自分がおかしかった。こんな風に、今、目の前に史宣がいることこそ奇蹟みたいなものなのに。
「でも、お前の部屋の方が落ち着くけどな」
それは喜んでいいことなの? 苦い想いが広がるのを誤魔化すように笑った。
2010/1/6
2010/1/9 改編
2010/2/22 加筆修正