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06 約束の代償

 私と史宣が付き合っていると噂が流れた。
 史宣は目立つ。最近フリーになって狙っている女子も多いから余計に注目が集まっていた。そこに、今まで仲良くなかった私が現れたのだ。一緒にいると目を引く。噂されても仕方ない。
 ただ、それだけにとどまらなかった。
 史宣狙いの女子に真偽を聞かれるのだ。
 「そんなことあるわけないです」と答えるたびに胸が苦しかった。「好きなの?」と問われるのも苦痛だ。
 ドーセとの約束がある。自分の想いを口外しちゃいけない。守らなければ、史宣に起きた奇蹟はなくなり昏睡状態に戻る。それだけは避けなければいけない。だから、「好きじゃありません」と答える。好きなのに好きじゃないというのは悲しいことだった。口にするたびに気持ちが滅入る。史宣と仲良くなれて嬉しいと思ったけど、辛いと感じるようになるなんて夢にも思わなかった。
 そして、何より、私が心配なのは、こんなことが続いて、いつか自分の本当の気持ちを口にしてしまうのではないかということだ。魔が差すということがある。恐かった。そんなこと絶対あってはならない。最悪の事態を回避するため史宣と話をすることにした。きっと、こんな噂をされて彼もうんざりしていると思ったし。史宣の口から、迷惑がっていると直接聞くのは悲しいけれど事態が変わるなら我慢できる。話せば彼も協力して距離をおいてくれるだろう。
 そして、私は、史宣を図書室に呼び出した。
――それにしても、変な感じだなぁ。
 史宣が来るのを待ちながら、ここ数ヶ月の出来事を思い出し苦い笑みがこぼれた。
 時々、これは夢じゃないかと思う。そもそもの「天使」と約束したのがはじまりだなんて現実味に欠けるし。それに、史宣と話すようになったことも信じられない。だって出会ってから十三年経過するのに、これまでまともに話したことがなかったのだ。もう一生仲良くなることはないと思ってた。それが軽口を叩くまでになったのだ。たったの数ヶ月のうちに。夢だといわれた方が納得できる。でも、これは現実だ。
「待たせた」
 呼び出した時刻に、史宣はやってきた。後ろ手で扉を閉めてから真っ直ぐ私の方へ向かってくる。ただ歩く。それだけの動作なのに優雅で美しい。事故の後遺症はない。何もかもが元通り。史宣は傍まで寄ってくると立ち止まった。 
「それで話ってのは?」
 幾度も考えた言葉だったが、いざ相手を前にすると出てこない。背の高い史宣がどんな顔をしているのか。見上げる勇気はなかった。ただ、黙って待ってくれている。大きく呼吸する。
「……噂になってること、知ってると思うけど」
「俺とお前が付き合ってるって話だろ」
「そう……いい迷惑でしょう? お互いに」
「何故?」
――何故?
 シュミレーションにはない返答だった。「全くだ」とか「そうなんだ」とか「笑っちまう」とか考えられる限りのフレーズを思い浮かべていたつもりだったが、そこに「何故」という問いは含まれてなかった。更に、史宣は予想外の言葉を口にする。
「俺は……お前が俺を好きだっていうなら付き合ってやってもいいぜ」
――付き合ってもいい? 私があなたを好きだといえば? なんで? 
 時間がほしい。せめて三分。時が止まってくれたらいい。そしたら私はとりあえずこのやかましいくらい早まる心臓を落ち着ける。頭が上手く働かない。何か言わなければならないと口が勝手に動く。「違う」とかすれた声が出た。
「違うって何が?」
 あなたは、私の言葉に、「そうだな、迷惑だよな。噂がなくなるように離れよう」と言うべきなのだ。そして、以前のように遠い人になる。それがあなたが答えるべき台詞だ。そう言いたかったが声にはならなかった。代わりに漏れたのは、
「なんでそんなこと言うの?」
「はぁ?」
「どうしてそんなこと言うのかわからない……」
「どうしてって、お前が俺のこと好きだから。ずっと好きだったろ? その長い片思い、報いてやってもいいいかなって」
 バレてた? 私が好きなこと? いつから? いや、それよりも――ここで認めるわけにはいかない。絶対に。
「何言ってるの?」
 私は史宣の顔を見ながら、なるべく何気なく言った。私の言葉に、史宣は眼を見開いた。それからすぐに剣呑な顔つきになった。
「お前こそこの期に及んで何を誤魔化そうとしてんだよ」
 鼻で笑う彼は加虐的な目をしていた。
 握った手のひらから汗が出てくる。顔が熱い。息苦しかった。
「俺がさ、ここまで言ってやって、お前の気持ちを聞いてやるつってんのに、なんで素直に言わないのか意味が分からない。……お前、昔からそうだよな。絶対自分の望みを叶えようとはしない。なんでそうやって躊躇うわけ? イラつくんだけど」
「別に……何も望んでないからだよ」
「うそつけ。望みのない人間なんていない。ただ、誤魔化してるだけだろ。なんで?」
 何もかもが思惑と違う。どうしてこんなとになっているのだ。わからなかった。
「そういうの、傲慢っていうんだぜ」
「――っ」
 これはなんの罰なのだろう。
 私はただ史宣に元気になってほしかった。幸せになってほしかった。別に仲良くなりたいとも、ましてや付き合いたいなんて大それた事も思ってなかった。これっぽちも。だたひっそりと想って、やがて懐かしい思い出になればいいって。最初から何も望まなかった。なのに、どうして告白する機会が巡ってきたりするの? 
 史宣の射るような眼差しにたえられず、私は逃げ出した。ここにいたら、どうにかなってしまいそうだったから。

 走って、走って、走って――。

 気づくと家の近くの公園にいた。夕暮れから夜にかわりかけていて、子どもたちも帰ったらしく、誰もいない。私はブランコに腰掛けた。錆付いたそれがギシギシと軋む。
「辛いですか?」
 声がした。隣をみると、真っ白い羽を生やした男が、同じようにブランコに座っている。ドーセだった。
「辛いと感じてますか?」
 すべて知っているという顔だ。天使はなんでもお見通しなのだろうか。
「あなたは、恵まれていた。結果はどうであれ『自分の想いを告げること』は許されていた。それがいかに贅沢なことだったか。お気づきになられたでしょう?」
 私はうなずいた。
「あなたは手を伸ばすことをしなかった。傷つきたくなかったから。そうやって幸せでも不幸せでもないところで生きてきた。それは大きな罪ですよ。私はあなたに知ってほしかったんです。想いを告げることさえ出来ない者もいること。その苦しみを。そして、自分から求めていく勇気をもってほしかった。自分の想いを成就してやれるのは自分だけです」
 そこまで言うと、ドーセは言葉を切った。その顔は笑っているのに寂しそうだ。完璧な笑みではなく、こんな顔をするのかと思うほど頼りない。私に同情してくれているのかもしれない。
「気づかれたのなら結構です。今後改めることが出来る。人間は失敗から学ぶことができる生き物ですから。……ですが、約束をたがえることは出来ませんから、彼にあなたの気持ちを告げることは許されませんよ?」
 わかっている。自分で決めた選択だ。
「けれど、前にも言いましたが私は悪魔ではなく、天使です。人が不幸になることは望みません。何より、あなたには幸せになってほしい。必ず。ですから、心配はいりませんよ。ただ……あっちもあっちで一筋縄ではいかないようですから、あなたはどうぞ、神に祈って待っていてください」
 祈って待てというが、何をするつもりなのか。相変わらず困ったような笑みを浮かべたままで、
「泣かせてしまってすみません」
 ドーセは私の涙の後をぬぐった。ひんやりとした指先が気持ちいい。
「どうぞ、今しばらくこちらでお待ちください」
 そういって、ドーセは消えた。




2010/1/9 
2010/2/21 加筆修正

  

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