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02 決断

 古い映画に「素晴らしき哉人生」というのがある。善なる男が、策略にはまり絶望し自殺を決意する。自分の人生などくだらないと今まさに川に飛び込もうとした瞬間、神は慈愛を持って「もし男が存在しなかったら」という世界を見せる。男の善行により本来なら救われたはずの人々が、男の存在がないため救われず、罪人になったり、辛い人生を生きる世界。そして男は、自分の人生の尊さを知り、再び生きる気力を取り戻す――そんな話だ。
 ドーセから資料を受け取ったとき、頭に過ぎったことはそれだった。俺もまた、俺がいなくなった後、人々が嘆き悲しみ不幸になっているのではないかと思った。しかし、資料を読み始めて、書かれた一文に嗤うしかなかった。
 『彼の恋人であった加賀屋美由と学友である真下義臣が交際を開始する』
 ショックというよりも、ああやっぱりな、という感想だ。義臣が美由を好きなことは気づいていたから。俺があんな状態になって、支えになってやったのだろう。そしてそのままなびいた。よくある話だ。ただ、俺がいなくなってわずか二ヶ月でそうなるとは思っていなかったが。
 美由との関係は睦まじい恋人というわけではなかった。美由からの告白を受けたのも、彼女を好きというより学年一の美女の申し出を断るのは惜しいという気持ちだ。付き合ううちに好きになるかもしれないと思ったし。だが、時が経過しても特別な感情は抱けなかった。そんな俺を美由は束縛してくるようになった。毎日のメール攻撃は正直うんざりした。「あたしのこと好き?」と聞かれるのも鬱陶しかった。ただ、自分から別れ話を持ち出すのも面倒だったから放っておいた。そのうち自然消滅になればそれでいいと思っていた。
「あの二人付き合いだしたか……」 
 何もない真っ暗闇の空間に仰向けに寝転がる。大きく伸びをして闇を凝視していると乾いた声が漏れた。深い息を吐いて、唯一光を発する窓を覗く。病室で俺が横たわる姿が見えた。規則正しく胸元が上下している。呼吸している証拠だ。
 もし、俺が生き返ったとしたら、美由と義臣はどうするだろうか。美由は案外平然と開き直るかもしれない。元々うまくいっていたわけじゃないのだ。優しい義臣と付き合って何が悪いと。義臣はどうだろう? 同じように自分が幸せになって何が悪いというだろうか? それとも申し訳ないと謝ってくるのか。いずれにしろ今まで通りというわけにはいかない。
 考えると何もかもが億劫だった。やっぱりこのまま死んでしまった方がいいのかもしれない。両親は悲しむが、弟がいるし。どうしても、俺が必要だ、俺でなければならない、と実感できることがない。俺がいなくとも、いないならいないでどうとでもなっていく。それなら面倒なことはやりたくない。
 病室はいつのまにか日が暮れていた。ベットは夕日で赤く染まっている。
「どうするお前…生きるか? 死ぬか?」
 眠った俺の肉体に問いかけてみるが、答えるはずもない。むなしかった。選択を与えられたことを幸運だとドーセは言っていたが、果たしてそうだろうか。生死を自分で決めることは重い。決めてもらった方が仕方ないと思える。
 窓を覗きこんでいると、一人の女が入ってきた。女は手馴れた様子でカーテンを閉め、ベッド脇の椅子に腰掛け俺の手を握った。
「つばき……?」
 石森つばき。幼馴染だ。小さい頃は一緒に遊んだが、小学校高学年になる頃にはほとんど口を聞かなくなっていた。
――何してんだ、あいつ。
 意識のない俺の肉体に懸命に話しかけている。内容は聞こえない。俺は投げ出した資料を手にとって「石森つばき」の項目を探してみる。
 資料は関係性が濃い順に並んでいるらしい。ページを捲ってもなかなかつばきの項目は見つからない。分厚い資料のほとんど最期の方にようやく「石森つばき。史宣の事故を知ってから毎日見舞いにきている」と表記を見つける。
 両親は悲しみで手が一杯。親友と恋人は自分の人生に手が一杯。置き去りにされた俺を、ただ一人、つばきだけが毎日会いにきていた。事故前、ほとんど疎遠になっていたつばきだけが。
「あいつらしいか……」
 つばきは俺を好きだ。もうずっと。幼い頃から、あいつは俺を好きだった。地味で目立たない女だったし、俺とはつるむグループも違っていたから相手にはしていなかった。もし、告白でもしてくれば振って諦めさせたが、そこまで身の程知らずではないらしく、ただ黙って好きでいた。ひっそりと思われるぐらいなら害はないからそのまま好きにさせていた。
 ピンピンしている俺には話しかけてくることは出来なくても、意識がない俺になら話せる。情けない女だ。面と向かって行動出来ないで、そんな状態になってから言い寄ってくるなんて、なんの意味がある? 手遅れだし、侘しいだけじゃないのか。と思った。だが、つばきは違うらしい。次の日も、そのまた次の日もやってきた。
 相変わらず何を言っているのかわからないが、唇の動きから、「早く目を覚まして」とか「きっと良くなる」とか言っているらしい。医師から俺が目覚める確率は極めて低いと聞かされているだろうに…。だが、表情から気休めではなく真剣にそう思っていることが伝わってくる。懸命な、祈りのようだった。
 それから一週間が過ぎ、再びドーセが現れた。
「決断、されましたか?」
「……ああ」
 それは、おそらく、好奇心だった。俺が生き返ったら、あいつはどうするか。毎日毎日、意識が戻る見込みのない俺に話しかけてきたのだ。喜ぶだろうが、その後どうするか。見込みのない恋心をいつまでも捨てず、願い続けた気持ちを、どうするのだろう。今度は告白でもしてくるか。当たって砕けてくるだろうか。それぐらいのチャンスをやってもいい気になった。ほんの戯れに、
「生きることにする」
 ドーセはあの完璧な笑みをみせた。




2010/1/4

2010/2/21 加筆修正

  

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