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君じゃなくてもよかった。

 
真帆との偶然の再会。
 逃してはいけないと声をかけてから、カフェに入った。
 だが、あまりにも唐突すぎて、何を言えばいいのかわからない。真帆の方も同様で、口を開きかけたが、言葉を詰まらせて続きを紡げないようだった。

――僕のことを忘れているわけではない。

 真帆の困惑に、僕はにわかに安堵した。
 完全に僕のことが過去になっていれば、このような態度ではないだろう。ただ、それがいいことなのか悪いことかは際どい。僕が真帆に対してとっていた行動は酷いものだった。そのことも過去になっていないということだ。事実、僕を罵倒するようなことはなかったが、真帆からは親しみを感じない。心を閉ざされている。
 この状態の真帆に、何を言っても伝わらないだろう。
 時間が、必要だった。

 なんとも言えない空気のまま、やがて真帆が体を揺らし始めた。
 帰るきかっけを探しているのが読み取れる。
 僕は携帯電話を取りだした。
 アドレスから、真帆の登録を呼び出し、彼女に向けてテーブルに置いた。
 表情が途端に真っ赤になった。

「君が来なくなってから、連絡しようとしたんだ。だけど、」
「これ……残していたんですか」

 消せるわけがなかった。消したくなかった。
 アドレスの代わりに打ち込まれていた言葉。

 SUKUYA.SUKI

 冷たい態度の僕に、直接告白することができず、携帯に残した。真帆に僕から連絡をとろうとする。それは少しでも自分に興味があるという証拠。その瞬間ならば、気持ちを告げられると考えたのだろう。もしも、あの頃、真帆が僕に会いに来ている間に、これに気付いていれば――だが、僕が気付いたのは、彼女がこなくなったずっと後だった。

「すみません……。こんなことされて気味悪かったですよね。あの頃、私は本当に自惚れて……自分に酔っていたんです。山代さんが気付いて、何か言ってくれるんじゃないかって。もう恥ずかしいやら、情けないやら、申し訳ないやら、本当にすみませんでした。これ、消しますね」

 真帆はますます赤くなる。湯気があがりそうなほどだ。
 それから慌てたように携帯を手にしようとしたので、僕は先にそれを奪った。

「謝るようなことは何もないよ。ただ、真帆が残してくれた物はこれだけだったから、ずっと置いていた。もう黙っていなくならないでほしい。正確な連絡先を教えてくれないか」

――嫌でなければ。
 と付け足すことはしなかった。
 真帆はぎこちない笑みを浮かべた。

***

 連絡先を聞いてから、僕は頻繁にメールを送り連絡を途絶えさせないようにした。だが、真帆から送られてきたことはなかった。僕が連絡する限り、拒否する気はないけれど、積極的に関わる気はないということだろう。かろうじてだけど、繋がっている。
 再会できたとしても、罵られ、二度と顔を見たくないと冷たく突き放されることも想定していたから、楽観はできないが悪くはなかった。細い糸を途絶えさせないように、メールを送り続ける。

 そして五ヶ月が過ぎ、

「食事に行きませんか?」

 それは賭けのようなものだった。
 可能性は半々ぐらい。
 五ヶ月では早いかもしれない。彼女は僕を警戒している。もっと時間が必要――でも、会いたいという気持ちに後押しされるようにメールを送った。
 返事がきたのは三日後だった。
 これまで送ったメールも、彼女のレスは早くはなかった。一日ないし二日置き程度。だが今回は三日開いた。返事に困り、そのまま音信不通にされるかもしれない。後一日経過してアクションがなければ、そのことには触れず、いつもの他愛のない内容を送り次に繋げるしかない。と、考えていると、夜メールが送られてきた。

「そうですね。お時間がある時にでも、是非」

 どっと力が抜けた。
 ただ、油断ならない内容だ。日時が決定しているわけではない。具体的に決まらなければ社交辞令とも解釈できる。
 僕はその日初めて、彼女に電話をした。

「もしもし?」

 出てくれないのではないかと思ったが、真帆は出てくれた。
 受話器の向こうから聞こえる声は戸惑いがある。
 僕は、気付かれないように息を吐いて、平静を装う。

「今、電話、大丈夫?」
「……はい」
「電話した方が、早いと思って」
「……はい」

 静かな声に緊張は増していく。
 それでも、ここで引き下がるわけにはいかない。

「食事。いつなら行ける? 今週は、時間ある?」
「私は大丈夫です」
「じゃあ、金曜の夜はどう?」
「……わかりました」

 断りにくいように電話したが、その作戦は上手いく。
 そして、僕はわずかに浮かれてしまった。
 彼女に会える。その事実に。だから、尋ねた。

「行きたいお店は、ある?」
「いえ……」
「食べたいものは?」

 せっかく行くなら、彼女に喜んでもらいたい。
 純粋な気持ちだった。でも、

「……優しいですね」

 その一言に、肝が冷えた。

 僕と真帆が真っ白な関係ならば、きっとそこには嬉しさが含まれていたに違いない。でも、真帆が口にしたそれには、明らかに悲しみが滲んでいた。不快さと言ってもいい。
 その理由は、考えるまでもない。
 僕が、これまで真帆にとっていた行動と違いすぎることへの不信感。 
 悪感情は未だに根深くあることを告げている。

 生まれた沈黙。
 気まずさは電話越しでも十分感じられる。

 何か、言わなければ、でも何を――

「真帆、僕は、」「和食がいいです」

 取り繕うように名を呼ぶと、重ねて告げられた。

「和食が、いいです……」

 もう一度、繰り返される。

「ああ、そうだね。じゃあ、和食にしよう。時間は? 七時ならいける?」
「はい。私は大丈夫です」
「じゃあ七時に、駅前で」
「わかりました」

 そして、名残なく電話が切られた。

 携帯のディスプレイには「通話時間 二分三十六秒」の文字。
 たった数分で打ちのめされている自分が情けなかった。

 ただ、真帆自身、自分の苛立ちを気まずく思っている様子だった。微妙な空気を訂正しようとしていた。僕を責め立てたいわけではないが、いざ僕の態度の変化を目の当たりにすると堪えきれないものがある。その感情を持て余し言葉にしたがすぐ後悔した。ということだろう。そこに救いを見る。

 僕のことを嫌っているわけではない。もし嫌われていたら、メールの返事はないだろうし、さっきだってもっと怒りをぶつけてきただろう。だけど真帆はそうはしなかった。迷いや躊躇いは強くあるけれど、普通に接しようとしてくれている。

 望みがない、わけではない。

 目を閉じる。真っ暗な世界で、祈るように息を吐き切った。

***

 金曜の夜。仕事が終わり、待ち合わせ場所へ向かう。
 まだ彼女の姿はない。最悪の場合、ドタキャンされる可能性を予想していたが緊張が強まる。
 時計を確認する。約束の時間にはまだ少し早い。息を吐くと喉が震えた。
 僕は周囲の様子を窺う。
 僕の姿を見て、やはり嫌になって帰る――なんてことも考えられたから、真帆の姿を先に発見するぐらいの意気込みだった。
 だが、真帆の姿は見えない。
 携帯を見る。
 メールも電話もない。
 もう少し待つ。
 結果が出る前は落ち着かないものだが、これほど緊張して待つなんて初めてかもしれない。耐えがたい時間だった。来てくれるにせよ、来てくれないにせよ、どちらでもいいから白黒はっきり出ることを望む。そうでないと張り裂けそうなほど息苦しい。
 今一度時間を確認しようと視線を周囲から腕に移したら、

「山代さん」

 声がかかる。慌てて顔を向けると、すぐそばに真帆が立っていた。

「来てくれないかと思った」

 漏れたのは気弱な台詞だった。
 真帆は微妙な顔で笑っていた。それを見ているうちに、恥ずかしくなって、僕は慌てて、

「じゃあ、行こうか」

 と促した。

 店は、駅からさほど離れていない。
 隣を歩きながら、真帆を盗み見るように様子を窺う。少し俯き加減に歩く姿はどことなく幼く見えた。――いや、実際、真帆は随分若いと思う。僕と会っていた頃は、濃いめのメイクをしていたが、今はナチュラルで、尚更そう感じるのかもしれないが。
 いくつなのだろうか。
 と、いうか、僕は真帆のフルネームさえ知らない。
 再会した日も、あまりにも突然のことに、連絡先を聞くのが精いっぱいだった。それ以降も、メールのやりとりで真帆のプライベートに踏み込めずにいた。送るのは他愛のないものばかりだった。

「……何か?」

 視線に気付いた真帆が問いかけてくる。

「久しぶりだなと思って」
「……そうですね。でも、」

 真帆は少しだけ言い淀む。

「でも?」

 僕は問いかけた。

「メールしていたので、それほど久しぶりな感じはしないです」
「そう?」
「はい」

 とにかく、繋がりを持っておきたい一心でしていた行為だが、それは悪い結果には繋がっていないらしい。

「山代さんは、メール好きなんですか?」
「ほとんどしたことがなかったかな」
「……そんな感じのメールでしたね」

 真帆は困ったように笑った。

「正直返事に困りました」

 なかなか返信がこなかったのはそのせいか。
 ならば、どんなメールを送ればよかったのか。

「そんなに困った?」
「……うーん、そうですね。だいたい、普通は、何してるの? とか聞かれて、それから何往復かやりとりすることが多いですけど、山代さんのはなんだかメールマガジンみたいでした。読んで『へ〜』って思って、それで終わりみたいな感じで、何と返せばいいかわからなかったです」
「じゃあ、今度からは『何してる?』にしておくよ」

 僕は笑いながら返した。



2011/6/28

  

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