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君じゃなくてもよかった。

 食事の誘いのメールが届いて、迷った末に返信するとすぐに電話がきたことには驚いた。メールばかりで電話の一つもないことを内心意気地がないなぁとか、やはり遊び半分でからかっているのかなぁ、と悪く解釈していたから。或いは、単なるメール好きなのかもしれない。これに意味を見出そうと懸命になることが滑稽なのかもしれない。私はまた一人で空回りしているだけなのではないかと思うと腹が立っていた。そんな気持ちが伝わったのかと冷や汗が出る。
 だけど、いざかかってくると心の準備はちっとも出来ていなくて、無愛想な声になった。そんな私の機嫌を伺うように彼は慎重だ。そのことが更に私の心を助長させた。

「行きたいお店は、ある?」
「いえ……」
「食べたいものは?」
「優しいですね」

 前はあれだけ適当だったのに。とまでは言葉にしなかったが、彼には私が言いたいことが伝わった。重たい沈黙が生まれる。傷つけたと思った瞬間、すっとするものがあったが、今度は、こんなこと言って嫌われてしまうと気持ちが冷えた。私が横柄な態度をとることを受け入れて詫びろ、ぐらいの感情はある。だけど、それほど好かれている自信はない。こんな嫌味な女、嫌気がさすだろう。――それならそれでいい、と開き直れない未練。私は慌てて取り繕った。

「和食がいいです」
「ああ、そうだね。じゃあ、和食にしよう。時間は? 七時ならいける?」
「はい。私は大丈夫です」
「じゃあ七時に、駅前で」
「わかりました」

 告げて、電話を切った。これ以上失態を犯さないように。
 ただ、自分が取った行動が蘇ってきて泣きたかった。

 とてもではないけれど、誉められたものではない。可愛くもないし、優しくも。厭味ったらしい、態度の悪い女。自分の中の嫌な部分が露骨に出ている。隠しておきたい醜い感情が。それを人に――曲がりなりにもかつてあれほど好きだった、そしておそらく、今も好きなはずの相手にぶつけている。

 何をしているのだろう。

 でも、感情を抑えつけられない。
 好き以上に、憎いと。今はその方が強くて。

――ああ、もう、やっぱり駄目なのかな。

 嫌な自分ばかりが出てきて、うんざりする。そんな自分を見たくない。彼に対して、未練はたっぷりあるくせに、素直になれる気がしない。こんなにも頑固で意固地な性分だとは知らなかった。

――行きたくない。

 わずか数分の電話でこれなのだから、会って食事となれば、私はどうなってしまうだろうか。
 考えるだけで、おそろしい。今から、やはり無理ですと断ろうか。
 だけど。

 結局私は断る勇気もなくて、約束の日を迎えた。

***

 私の願いどおり、和食料理の店に連れてきてもらった。
 駅からすぐの繁華街。三本目の路地を右に折れてほどなくの店。最近オープンしたばかりらしく、店の前には胡蝶蘭の花がいくつも置かれてあった。
 通されたのは四人用の個室。掘りごたつになっていて、靴を脱いで上がる。正面に向き合って座ると、目が合ってドキッとする。すぐに逸らす。
 店員さんがお絞りを渡してくれた。「ご注文は後ほど聞きにまいりますので」と出ていく。二人きり残された。私はお絞りで執拗に手を拭いた。緊張している。 
「何を飲む?」
 メニューを向けられる。日本酒の種類が豊富だ。目を引いたのは「十四代」。美奈子さんに彼とのことを初めて吐露した夜。「まぁ、呑みなさい」とすすめられたのがコレだ。あの時、記憶を飛ばすという経験をし、翌日「二日酔い」になった。死ぬほど気持ち悪くて、二度とご免だと思った。いろんな意味で印象深いお酒だ。
「日本酒にする?」
 私の視線を追って、彼が聞いてくる。
 素面では落ち着かないけれど、呑めばよからぬことを口走るかもしれない。それに一応まだ私は、
「いいえ、未成年なので」
「え?」
 彼は完全に固まっていた。

 そういえば、私は年齢も言ってなかったんだっけ?

 明らかに動揺する彼に、何と声をかけてあげればいいのか。
 それにしても、それほど驚くことなのだろうか。私はそれほど老けて見えたのか。会いに行く時、うんと厚化粧して、服装も派手にしていたけれど。でも、

――ああ、そっか。

 自分が大きな勘違いをしていたことに気付く。
 私が未成年だったことに驚いている理由は、

「大丈夫ですよ。十六歳とか言わないですから。法には触れないです」

 なるべく軽い口調で言った。
 心配事を払拭出来るように。 
 だけど、

「茶化すなよ」

 低い声。そんな風な物言い、あの頃だってされたことはなかった。私はそれで彼を酷く怒らせたのだと知った。

「茶化しているわけではないです。ただ、私は十八になっていたから、あなたが心配しているようなことはないと言っただけです」

 彼に声をかけ、初めて関係を持ったのは一昨年の秋口。十八歳の誕生日を迎えた後だった。と、私はもう一度言った。だけど、彼は眉間の皺を濃くしただけだった。見ているのが辛くて視線を落とす。
 十八歳になれば、法には触れない。だけど、彼は知らないうちに、未成年に手を出していた。とんでもない騙し打ち。一歩間違えれば犯罪だ。怒りを感じるのは無理はないかもしれない。だけど、これほどあからさまに嫌悪されるとは思わなかった。

――でも、確かめなかったじゃない。

 私のこと、興味なかったから。私がいくつなのか、聞こうとしなかった。
 それに、

――瑠璃のことは好きになったくせに。

 瑠璃と私は同じ年だ。彼は、瑠璃を好きになった。私の年齢の子を恋愛対象として見ることが出来た。瑠璃ならよくて、私はいけないのか。嫌悪される対象になるのか。瑠璃は特別だから? 

 理不尽だと思って、言い返したい気持ちが私を突き動かし、下げていた目線をあげる。何か言いたい――けれど、彼の沈痛な表情が目に飛び込んでくると途端に憤りは鎮まった。
 彼は後悔している。とてつもなく。
 それが否応なく伝わってきて、今度は泣きたくなる。

 言うんじゃなかった。
 本当の年齢を。
 黙っていればよかった。

 もう嘘をつくのは嫌だと思っていたけれど、一度吐いた嘘なら、最後まで吐き通すのが義務だ。私は自分の浅はかさを恨む。

 彼の顔を直視するのが苦しくて、また視線を伏せて謝罪の言葉を口にした。

 情けなく、辛かった。
 もう、帰りたい。
 
 隣に置いてる鞄を握りしめる。

「……帰ります…」

 逃げ帰る――それもみっともないけれど、ここにいてもただただ辛い時間が待っている。逃げ出してしまおう。私は立ち上がろうとするけれど、

「ご注文、お決まりですか?」

 店員さんの陽気な声がした。
 私はそれで動けなくなった。

「ああ、……とりあえずウーロン茶を二つ。食事は後で言いますから」
「かしこまりました」

 彼の声は静かなものに変わっていた。だけど私は恐ろしくて彼の顔を見ることが出来ず、鞄を掴んだ右手に視線を落していた。

「ちゃんと、話をしてくれ」

 店員さんがいなくなると、彼は言った。
 一度、逃げ出すタイミングを失い、私は諦めるしかないと悟った。自分のしたことを白日のもとにさらさなければ、と。

 そして、私は、全てを話した。

 私が、瑠璃の同級生であること。
 瑠璃の送迎に来る彼を好きになってしまったこと。
 彼が瑠璃を好きだと知っていたこと。
 瑠璃に彼氏が出来て苦しんでいたことも知っていたこと。
 それを利用して、誘惑したこと。

 何もかもを洗いざらい。

 その間に、店員さんがウーロン茶を運んできて、食事の注文を聞いてきた。深刻な話をしているのに、食べ物など喉を通るはずがない。それでも、飲み物だけで居座るわけにもいかない。彼は私にも一応何が食べたいか聞いてきたけれど、私は首を振り、彼が適当に注文した。それから、話している最中に、食べ物が運ばれてくる。その度に話が中断するけれど、全品が運び込まれる頃には、話しも終わっていた。手つかずの料理と、重たい沈黙に支配されたテーブル。ああ、きっとこの料理はこのまま捨てられることになるのだろうな。申し訳ない、と。全てを話終えた私は、そんな場違いな心配をしていた。



2011/7/5

  

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