[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

君じゃなくてもよかった。 > 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 > novel index
君じゃなくてもよかった。

 桜が散っていく。
 夜。丘の上の公園。
 静けさの中で、たった一人。
 涙は流れなかった。
 ただ、胸が痛くて。
 痛くて、痛くて。

――じゃあね、咲哉。

 笑顔で言った。
 会心の笑みを向けた。
 それが別れの挨拶と、彼は気付きもしなかった。


 茂垣建設の社長、茂垣利一。
 彼は熱烈な恋をした。だが、立身出世のためにその女と別れ茂垣建設の社長令嬢と結婚。
 月日が流れたある日。
 かつて愛した女が他界したと知る。交通事故。唯一助かったのは彼女の一人息子――山代咲哉。当時高校生だった。利一は何を思ったか、天涯孤独になった咲哉を家に引き取った。
 更に月日は流れた。
 咲哉は大学を卒業すると利一の秘書として茂垣建設に就職した。一人娘である茂垣瑠璃が婿養子をもらったとき、その右腕となるように。
 彼は瑠璃を愛していたから苦しんでいた。いつか、瑠璃が別の男と結婚する日、自分はどうなるだろうか。壊れそうな日々を紛らわせるために、人肌を求めた。
 相手は誰でもよかった。

――なら、私でもいい。

 瑠璃の送り迎えにくる山代咲哉を、私は愛した。
 近寄って、関係を持つことは簡単だった。瑠璃には彼氏が出来たばかりで、咲哉はそのことを悲しんでいたから。
 迎えにきてもデートの日は追い返される。彼は「社長に頼まれておりますので、困ります」と感情を殺した声で忠告するが、瑠璃は聞かない。そればかりか、瑠璃のために工作させられる。
 そんな夜、彼は女を求める。
 だから私は彼を待ち伏せして声をかけた。あっさりと誘いに乗ってきた。
 それからも私は、瑠璃が彼氏とデートする日、彼に会いに行く。苦しみで一杯の彼は、何故私が都合よく現れるかなど考えない。ただ、持って行き場のない熱を私に吐き出した。

 むなしくならないかって?

 なるに決まっている。
 でも私は引き返さなかった。傍にいて、邪険に扱われ、ああ、この人に愛されることはないのだと、この身を持って実感する。そうでなければ、永遠に諦めきれないと思った。自虐的でも、自暴自棄でも、それが楽になる唯一の方法のように思えた。

 だけど、実際そんなことは嘘で。

 私を見ない彼を。
 少しも愛してくれない彼を。
 それでも私は愛し続け、もうどうしたって愛していて、これ以上、傍にいても、この人を嫌いになることなどないとわかった。

 近くにいても、離れていても、きっとこの胸は痛むだろう。
 この人が、私を愛してくれない限り、苦しむだろう。

 だったらどうする?

 同じ辛さなら、傍にいよう。
 そう、決めた、矢先だった。

 彼の部屋で、いつものように、彼の悲しみに付き合っていると、携帯が鳴った。
 瑠璃から。彼氏とケンカをしたらしく、迎えに来てほしいと、勝手な電話だ。当然、彼は飛んで行こうとした。
 その時、私は何を思ったか、それを止めた。

――行かないで。

 全く馬鹿な一言だ。
 彼が瑠璃より私を選ぶはずがない。それでも私はかすかに自惚れていた。関係した直後だったし、少しぐらい愛着があったりするかもと。そんな幻想を。
 だけど当然、現実は違う。
 彼は、言葉でこそ言わなかったが、眉を顰めて、あからさまに邪魔にした。鬱陶しそうだった。

――ああ、

 私は慌てて否定した。冗談よ。ごめんね。謝って、急いで服を身に纏い、彼と一緒に家を出た。
 彼は別にいいと。ゆっくり着替えて、出ていけばいい。鍵を閉めたらポストにいれておいてくれたらいいからと。テーブルに置いて一人で出て行こうとしたけれど、私は連れだって部屋を出た。
 そしてマンションのエントランスで別れたのだ。
 これまで朝が明ける頃、私は黙って彼の部屋を去っていた。だから一度も口にしたことがなかった台詞。 


――じゃあね、咲哉。


 とびっきりの笑顔で。
 奮い立たせるような笑顔で。
 その言葉を口にした。

 彼は気付かなかった。

 それが”今日の”挨拶ではないこと。

 それよりも、愛しい女からの呼び出しで頭が一杯だ。
 私の些細な異変になど気付いてくれるはずがない。
 まったく、馬鹿なことをしていた。

 けれど。

 それでも私は後悔していない。
 だから、涙は流さない。
 だって私は、

――私じゃなくてもよかたったという、あなたを愛してしまったのだ。

 もう、どうしようもなくて。
 ただ、胸が痛い。
 痛くて、痛くて。
 公園の中、一人ぽっちで立ちつくす。
 少し寒い夜。
 桜が潔く散っている。



2011/4/24

<  

Designed by TENKIYA