君じゃなくてもよかった。
驚いた。単純に、頭が真っ白になる。
彼女が未成年だったという事実に。
僕はそんな年若い子を弄んでいたのかと思うと、自分自身に嫌気がさした。
あの頃、確かに僕は自分の苦痛を紛らわせることしか考えていなかった。だから、彼女が誘ってきたとき、簡単にそれに乗った。別に誰でもよかった。相手は誰でも。自分から誘う手間がいらないなら、この女でいいと、そんな気持ちで。だから、少しも彼女のことなど見ていなかった。だけど、まさか未成年だったとは――。
それも、瑠璃の同級生で。
僕の事情を全て知っていた。
何もかもを知った上で、僕を誘惑したのだと。
知らなかったのは僕の方。何一つ知らずにいた。
だが、聞かされて納得する。
彼女は僕が一人でいたくない日に限って、やってきた。
僕は不思議に思いながら、追求することもせず、ちょうどいいと受け入れた。
だが、あれは、たまたまなのではなく、知っていたのだ。
僕が一人でいたくない日を――瑠璃が彼氏と一緒にいる日を。
他の女の身代りに抱かれているのに、何も知らないとはいい気なものだ、と当時僕は彼女を見下していた。そうしながら、ただ自分のためだけにその体を貪っていた。残忍に。少しも優しくしなかったし、わずかも思いやらず、随分と乱暴に抱いていた。それでも彼女は嫌がらずそれを受けとめて、そのことでまた僕は彼女を蔑んだ。
だけど、そうではなかった。
全部、知っていた。
知っていて、それでも、僕に、
『瑠璃じゃないなら、誰でもいい。それなら私でもいいだろうと思いました』
彼女から告げられた言葉を、どう受け止めればいいかわからなかった。
貫かれて、苦痛を感じた。眉間に皺が寄るのがわかる。
何も知らずに、いい気になっていた自分に。
何もかも知って、僕と関係していた彼女に。
愚かな僕らのあの日々を、目の前で告げられて、どうすればいいのか。
そして、何より僕を後悔させたのが、"あの夜"が彼女にとって初めてだったこと。
思い返せば、真帆と出会った日のことは不確かなことが多い。酔いすぎていて、記憶が途切れ途切れだ。行きつけのバーを出て、声をかけられた。それから、誘いにのって、家に連れてきた。玄関をくぐると、「もう待てない」と囁かれてはじまった行為。慣れた口ぶりとは裏腹に、時折感じる緊張感。おかしいと慎重になれば理解できた。慎重ではなくても奇妙に感じたが、僕は、それを無視して続けた。酔いにまかせて、そのまま最後まで貫いた。異様にキツく思えたし、おそらくあの時、彼女の顔を見ていれば苦痛に歪んでいたに違いない。だが、僕は彼女の顔を見なかった。彼女は瑠璃の身代りだった。わざわざ"違う"と確認することはしなかった。夢見心地のまま、錯覚してしまおうと。
一度目が終わると、今度は場所を寝室に移した。それから二度、三度と求めて、僕は完全な眠りに落ちた。目覚めた時、彼女の姿はなかった。だから夢かと思った。寂しさにかまけて見た幻想かと。ただ、乱れたシーツの後が、それが夢ではなかったと告げた。
のんきな僕とは違い、一方で彼女は計画的だったのだ。僕の正体が危ういほど酔っていることは彼女にとって都合が良かった。玄関先で挑発してきたのも、初めてであることを悟らせないため。シーツにその証拠が残るかもしれないと危惧して、玄関先ならば後始末が出来ると考えた。僕が寝付いてから、彼女は玄関に向かい、そこにある痕跡を消したのだろう。
彼女がどんな気持ちで、それをしたのか。
自分のことをわずかも見ない男に、初めてを渡して、その後、体を気遣われることもなく、自分でその後始末をする。
何故、そんな馬鹿な真似を。そんなことをして、君に一体何が残る。虚しくなるだけじゃないのか。僕は言った。
『好きだったんです。あなたのことが』
彼女は申し訳なさそうに、でもかすかに笑って告げた。
「だからって……」
その続きがうまく出てこない。
テーブルには注文した料理が並べられている。真帆は美しく盛られたそれらに視線を注いで僕のことは見ないようにしていた。「食べようか」と言えば、少しは重たい空気が緩むだろうか。それとも場違いなことを言う無神経な男だと呆れられるだろうか。
真帆はそれから小さく肩で息を吐いた。
「愚かなことをしたと思っています。だけど、あの時は、それが唯一の方法のような気がしていました。だから、後悔はしていません。山代さんを騙すような真似をしたことは申し訳なかったですけど……すみません」
「……謝らないでくれ。君に謝られたら、僕は、」
真帆はただ静かに顔を振った。
それは、拒絶のようにも見えて、言いたかった言葉が、スルリとひっこんだけれど、
「愚かだったのは僕だ。自分ばかりが不幸だと。だから何をしても許されると。そんな甘えを、君に受けとめさせた。……後悔してもしきれなかった」
どうにかそれだけ告げる。真帆は顔を上げて僕を見た。その目に映る感情は、読みとれない。何を思っているのだろうか。伺うように目線を合わせてみても、わからない。まっさらな瞳に、見えない壁がある。
本当は、過去のことには触れたくはなかった。出来るなら、そのことには触れず、今の自分の気持ちを伝えたい。そんな調子のいいことを思っていたけれど、聞かされた事実を前に、あの頃の日々をなかったことになどできないと痛感する。
彼女を瑠璃の身代りにして、見下して、適当に扱って。僕はそういうことを平然と出来る人間だった。いや、今もそうなのかもしれない。ただ、真帆を好きになってしまったから、悪びれているだけで、そうでなければ、都合よく扱って、それでいいと思っていたのではないか。浮ついた気持ちから、反省したと思っているだけで、何一つ変わっていないのではないか。
真帆は僕のことをどう感じているのだろうか。
罪悪感と、後悔とが僕の体を駆け巡り、希望を失わせる。
それでも、
「ずっと君に会いたかった。この一年、もう一度君に会えないかとそればかりを考えていた」
その気持ちに嘘はなかった。
幼く、愚かだった僕は、ひどく君を踏みにじってしまったけれど。
「君が、好きだ」
喉の奥が渇いていて絡まったが、それでもどうにか音にした言葉。静まり返っていたせいか、大きく響く。そして、その後に待っていたのは、さらなる静寂。時が止まったような、不気味な空間。
真帆の表情は凍りついたように硬い。
ただ、その目は僕を射るように見つめていた。僕の真意を推し量るような。そして、ゆっくりと、
「私の何が好きなんですか?」
真帆の声は冷たかった。
「……何がって…」
僕は言葉を詰まらせる。
「会っても、セックスしかしてなかったじゃないですか。それで好きだなんて、」「違う!」
自分でも驚くほど厳しい声が出た。
彼女が言わんとしていることに苛立ったから。
僕の剣幕に、真帆はわずかに体をすくめたが、
「……すみません。失礼なことを言って。でも、私はどうしてもそう思ってしまう」
言われた言葉は、偽りのない気持ちだったと思う。だから、僕はジリジリとした焦りと苛立ちを増幅させた。
「僕のこれまでの態度から、君が体目的じゃないかと疑う気持ちはわかるけれど、僕はそんなつもりで言っているわけじゃない。君を好きだと言う明確な理由を言えと言われると説明出来ないのも事実だけれど」
口からでる言葉が上辺を取り繕っているようにしか聞こえない。僕の焦燥は強まっていく。何を言えば届くだろうか。不安に揺れる心は、自分を正当化する気持ちと結びつき、
「それに、何も知らずに好きになったと言うなら、君だって僕のことを知らないだろう?」
言ってしまった後で、はっとなったが、すでに遅く、
「すみません」
真帆は俯いて萎縮してしまう。それを見て失敗したと思った。
「いや、僕は責めているわけじゃないし、責められる立場ではないけど……そういうことではなくて、」
テーブルに並べられた烏龍茶を手に取り口をつける。喉がカラカラで三分の二ほど一挙に飲みほしたら、冷たさに頭が痛くなる。額を押さえる。あれだけ流し込んだ水分だが、それでも渇きは消えなくて、生唾を飲み込む音がやけにはっきりと聞こえた。僕は手を膝に降ろす。それから、
「僕が言いたいのはもう一度、僕とやり直してほしい」
真帆を表情は一瞬で陰る。
「でも私は、……またあなたを不愉快にさせるようなことを言うと思います」
すぐに返ってきた言葉には、怒りが混ざっている。告白するはずが、怒らせてどうする気か。何をしているのか、自分をなじる感情が奥底から溢れてくる。ここにくるまで大切に持っていた気持ちがしぼむ。このまま無様に追いすがるような真似して、傷つくことがおそろしくて、「わかった」と言ってしまいたい衝動。だけど、
「それでも、かまわない。君にまだ少しでも僕を好きな気持ちがあるなら、僕とやりなおしてほしい」
絞り出すように発する。その言葉は、今度はしっかりと届いたのか、真帆を包む空気がかすかに揺れたように見えた。僕はもう一度、
「僕と付き合って欲しい」
ここは堂々としていなければいけないと思うのに、頼りない声が情けなかった。
2011/7/10